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目立たず至難な事業に尽力されている方々に、思いを致す一日としたい

 今日は東日本大震災から13年、あの日を生きた者として、地震による激しい揺れの衝撃は、今振り返ると序章の鐘に過ぎず、
その後、津波による被害を目の当たりにして絶句し、さらに原発事故による危機が迫り、状況の深刻さを十分に理解できないまま、不安な日々を過ごしていたその時、
原発は破滅的事態をギリギリのところで回避したことを、多くの人は後になって知るところとなりましたが、逆に、破滅的事態をリアルタイムで知らされたとき、
どれほどの人が冷静でいられただろうかと考えると、孤独な極限状態の中で、我先に逃げ出したい思いを封じ込め、手綱を手放さずに事態を統御した人たちの努力には、感謝しなければならないと思います。

 僕の父が三陸出身のため、僕自身は2019年と2022年の2回、3月11日を被災地で迎えました。今日は三陸に赴くことはできませんが、現地に思いを致し、この日を過ごしたいと思います。
 
 また、遺された家族や、被災を受けた人々も、現在進行形の物語があったところ、多くは震災により軌道修正を余儀なくされたわけで、そのショックは大きく、気持ちの整理がつくまでには、相当、紆余曲折があったことと思いますし、今でもこの日が近づくたびに、様々な思いが去来するのではないでしょうか。

 ただ、社会全体としては、感染症拡大の後は、過去の様々な事件や災害と同一線上に並べられ、年間行事の一つに落とし込まれ、この日が来ることをトリガーに振り返り、一定期間が過ぎると、また来年、という扱いになっています。
 既に震災を実体験していない人たちも増えており、体験した人も、震災後の帰宅困難や計画停電の影響を受けたぐらいの人は、すでに震災後時間をおかずに、社会の一応の平常化とともに、その後の新たなイベントにメモリが上書きされ、こうした節目でない限り、被災した方々、亡くなられた方々に思いを致すことは、ないように思います。

 とはいえ、この震災は、原発事故という、発生してそこで終わりでは済まされない、解決困難な課題を残しました。
原発事故は収束しておらず、この先の解決の道筋が見出されているわけでもありません。責任感と使命感に裏打ちされた、高度な技術と知識を有する多くの人々が、相互の信頼関係のもと役割を着実に果たすことで、はじめて、社会の安寧が保たれ、日常生活、経済活動ができているわけです。

 現実問題として、こうした先の見えない、困難な戦いに、安定的に人材を確保することができるのか、今後も、こうした不断の取り組みが、何者かに阻害されることなく、維持できるのか。これは今後、数十年にわたり、この国の多くの地域の暮らしを守るうえで、前提となる課題である、この認識を共有しなければならないと思います。

 確かに、原発事故により、故郷を追われた方も多くおられますし、結果的に、これまで受けていたエネルギーの恩恵以上のコストを、費やすことになっている、これは事実としてあるのかもしれませんが、現在関わる人たちに怒りをぶつけることは、生産的でないどころか、かえってリスクを高めることになります。

 今日は、亡くなられた方に哀悼の意を示し、被災された方、現在も避難を余儀なくされている方に対し、念を致す縁とするとともに、原発の暴走を不断の努力により何とか抑え込み、廃炉に向けた至難の事業に尽力される人たちに対する敬意も、忘れない日としたいと思います。


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