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頭を殴られた感覚
今日は普段、まったく接点のない人たちとのランチ会でした。平日に急遽設定されたので、いつものような忙しさなら、とても行ってられなかったでしょうが、たまたま日中空いていて、休みをとって駆けつけました。
ビジネスで成功している人たちの集まりに、組織人としてさえ、そこまで成功しているとは言い難い僕が参加するのは、内心気後れするところはありましたが、自分の持っているものをとにかくぶつけてみようと臨みましたが、結果的に、大きな収穫がありました。
世情が不安定になりつつある中、自分の今の立場に拘泥し、格好つけている場合ではない。自分の持ち時間もそうですが、世情の猶予も残り少なくなっている、ロスタイムに入っているのに何やってるんだと、頭を殴られるような感覚を味わいました。
わかっているつもりで動いていないのは、わからずに動かないよりも駄目なんですね。型を維持したまま動座するなんてことは自分の器量ではできないのだから、まずは危地を脱しないといけない。人の恩義とか厚情には、危地を脱してから応えれば良い、そこを勘違いしていたというか、できるつもりになっていた、そういう心得違いを指摘されました。
わからない人たちに付き合って、その人たちの理解を得てから一緒に進もうとすること自体が無理な発想なんですね。とにかく今日の自分の決断は、一つのターニングポイントになったと思います。
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