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人の評価の難しさと自己アピールのバランス
僕は最近、組織における人の評価のされ方について考えさせられることがありました。特に、人事の観点から見ると、必ずしも成果そのものではなく、どのように見せるかによって評価が左右されることがあると感じます。
職場には、自分の仕事を大々的にアピールする人がいます。彼らは会議の場やちょっとした雑談の中でも、自分の取り組みを強調し、上司や周囲に「自分はこれだけのことをやりました」と伝え続けます。
そうした姿勢が功を奏して、評価を得る場合もありますが、時として周囲に鼻につくこともあります。実際、僕の周りでも「あの人は仕事をやっている感ばかり出している」と評される人がいます。しかし、評価の仕組みを考えると、組織の中では「目立つこと」がある程度必要なのも事実です。
じっさい、確かに仕事をしているにもかかわらず、目立たない人もいます。彼らは黙々と職務を全うし、成果も着実に上げていますが、自分から積極的にアピールしないため、組織内で埋もれてしまいます。
こうした人たちは、上司がしっかり見てくれていれば正当な評価を受けるかもしれませんが、そうでなければ「可もなく不可もなく」と判断されることも多いです。特に、大きな組織になればなるほど、上司が部下一人ひとりの細かい貢献を見極めることは難しく、結局のところ、自ら発信する力が求められます。
僕自身は、アピールの仕方が上手なタイプではありませんが、結果的に、人に認められ、見出される機会が多かったため、自己アピールする苦労をあまり味わってこなかった点、恵まれていたといえます。
ですので、僕としては、目立たないところで、それなりの仕事をしている人を見出すことは、できるだけやっていこうと思っていますが、当然ながら、大きな組織の中では縁のある人はごく一部であり、また、相性とかタイミングもあって、埋没している人をもれなく発掘するのは困難です。
「自己アピールの必要性」という問題は、単に仕事の成果を伝えるというだけではなく、職場の文化や人間関係にも影響を与えます。
過度なアピールは周囲の反感を招くことがありますし、逆に控えめすぎると本来得られるべき評価が受けられません。このバランスをどう取るかが、組織や集団における、自分の存在を上手に認めてもらうことの難しさなのだろうと感じます。