見出し画像

人に奢ることの心の葛藤

 昨日は、前の職場でしっかりとした仕事をしてくれた若手社員二人との食事会でした。

 僕が転出してから、上の方のプロジェクトの方針が大きく変わったことにより、関係者との意見調整のフロントに立たされている彼らは、悩みながら仕事をしているようであり、その彼らを慰労しつつ、自分としても深く関わってきたプロジェクトがどのように方針転換が図られているのか、興味もあり、3時間近く、話をしていました。

 僕のやり方は、関係者の得心した表情を見渡しながら、相互理解の積み上げの土台の上に、骨組みをつくり、揺るぎのないことも確認し、さらなる高みを目指す、これにより、時間は少しかかるけれど、後工程になって、最下層の部分に揺さぶりをかける動きが出ても、跳ね除けるだけの強度と安定性を確保しつつ、最後の結論の果実が届くところまで、楼を天に突き刺し、果実が落ちるのは必然とみせるようにする、そんな戦略でした。

 今は、お尻のスケジュールがトップから示されたこともあり、果実に届く楼を作ることを優先し、まずはそこまでの設計図を短時間で作り関係者で共有、それをベースに、建設工事は先行して進めつつ、関係者の理解の浸透は、タイムラグがあってもやむなしと割り切り、楼が天を貫き果実を突き刺し、大目標を達成することの実績をもとに、関係者に現状追認を求める、そんな戦略になっているようです。

 ある意味、このプロジェクトは、果実に届くことが唯一最大の目標であることから、設計図を共有するのは案外簡単なので、大筋の了解を取ること自体は難しくない。

 ただ、野次馬的な外野の関心は高く、果実を落とすこと自体に反対の向きもあることから、少なくとも方向性を共有するメンバーの認識合わせは、綿密に行っておかないと、基礎が緩み楼が揺らぎ、果実を貫くという目標を達成できずに、楼が倒れてしまうのではないか、そんな危惧を覚えました。

 とはいえ、僕が昨年度まで携わってきたこのプロジェクト、社会的関心が高いですが、同時に、収益性の低いプロジェクトであり、今年度、同時並行で収益性の高い案件がいくつも動いていることから、成否をそこまで拘らなくてもという思いが、今のトップの頭にあるように感じます。

 さて、本題は食事が終わり、会計になった段においてです。僕の方が二人に比べ職位がずっと上であり、当然ながら割り勘などにはしないわけですが、全部出すというのも、ちょっと多い気がします。

 この二人との飲み会では、直属の上司であった時は、しばしば僕が全ての勘定を出してましたが、今は離れており、現在の上司が二人にどう対応しているのかもわからないので、全部出すことをデフォルトにするのもやり過ぎという気がします。

 で、結局、二人からは最低限の千円ずつだけ出してもらい、あとは全部支払うことにしました。

 この辺って、僕の中にある阿吽の呼吸、それは僕自身の経済状態もありますが、職位や年齢の差、シチュエーションの違いなど、さまざまな要素があり、それをある程度瞬時に、会計時に判断する必要がある、そこを間違えていたり、そもそも傾斜配分の考え方がないことで、後輩から内心、評価を下げられる、そういう事例も多く見てきたので、飲み会での上司としての金払いのバランスというのは、僕の世間体という要素もあり、高度な政治判断だなと、実感しました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?