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ハルピンの思い出

 営業日が4日間で終了し、今日から3連休に入ります。

 先日来の経営トップとのいざこざも、側近の人たちが間に入り事実関係の調査を行い、クリアになったわけではありませんが、まあここから先の水掛け論を云々しても仕方ない、ここらへんで手打ちにして、これまで以上にコミュニケーションを図ることでこうした齟齬は減らしていく、そうした形で、一応の決着を見ました。

 昨日の午後に、母のところにフォローに行ったので、この連休はフリーな状態にあります。

 ここから年度末まではあっという間であり、この三連休の使い方は大事なように思います。転居関係の手続きとか、確定申告もありますが、自分の稼げる力を取り出せる時間としたいですね。

 今日はだいぶ昔の話ですが、中国一人旅でハルピンに行ったことがありました。なぜ行きたかったのいえば、その寒さを体感したかったという、他人が聞くとよくわからないような理由です。

 ハルピンの冬は寒く、氷点下40℃まで下がります。そうした厳寒の地で、黒龍江(アムール川)の支流である松花江という大河の、氷結した上を歩いてみたい、これが動機でしょうか。

 夕方に成田を出て、夜に北京に到着、北京を夜中に出る瀋陽行きの特快の固い座席に揺られて朝に瀋陽に到着。瀋陽市内の旧満洲国時代の遺構や現在も営業しているホテルなどをひたすら歩き回り、顔を拭いたら真っ黒でしたので、大気汚染がすごかったのだと思います。

 ハルピン行きの特快は、寝台車の中段を確保しています。出発は夜中であり、しばらく時間があるため、駅の広大な待合室で、カップ麺と具のないお好み焼き?のようなものを購入して晩御飯を済ませ、列車の到着を待っていました。

 当時、列車の中にも給湯器は設置されており、乗客は車内でカップ麺を食べたり、インスタントコーヒーの空き瓶を大きくしたような瓶を持ち歩き、その中に龍井茶(日本の緑茶に相当するものだと思いますが、少し風味が違います。ただ、ウーロン茶とは全く違うものです)の葉をぶち込み、底に葉が溜まった状態で、お湯が少なくなったら継ぎ足す、そんな感じでしたね。

 夜中に列車が到着し、目指す寝台車の中段に潜り込み、巨大なリュックを枕元に置いて、窮屈な中で眠りにつきます。

 目覚めると、夜が明けつつあり、広大な大地が窓の外に広がり、寒さが伝わってくるような光景です。点在する家々の窓には、灯りがほのかに点っています。家の外には練炭が積んであります。

 しばらくして列車は市街地に入り、ハルピン駅に到着。駅に降り立つと、寒い!
 駅には巨大なデジタル温度計があり、マイナス28℃の表示でした。

 夕方の北京行きの寝台特快までの間、とにかく街の中を歩き回ろうと、しばらく歩いていましたが、あまりにも寒い。1時間ほどで、外に居れなくなり、街中にあるマクドナルドに入り、ホットチョコレートを注文、しばらく暖を取り回復してから、目的とする松花江を目指しました。

 松花江は期待どおり完全凍結しており、川の上を対岸まで自転車を引いている人も見えます。僕も川の半ばまで行き、そこで写真を撮影しました。その時はデジカメではなく、フィルム写真でしたが、2枚ほど撮影したところ、突然フィルムが巻き戻され、それ以上、写真を撮ることができなくなってしまいました。帰国してからは普通に使えましたので、寒さのあまり一時的に故障してしまったのだと思います。

 その後もハルピン市内を歩きましたが、寒くて外に居られるのは1時間半が限度、結局、マクドナルドには4回は入ったように思います。今は分かりませんが、当時の中国は公衆トイレは有料でかつ汚いため、マクドナルドのトイレは清潔で、助かったのを覚えています。

 夕方になると、風が出てきて、駅の気温表示ではマイナス26℃とかでしたが、陽も落ちてきたこともあり、体感温度はマイナス40℃近い感じで、とても外には居れません。列車の到着まで、待合室でカップ麺食べて寒さを凌いでいました。

 帰りの寝台特快は、一等寝台(軟臥)のコンパーメントで、これまで使ってきた二等車両(硬座、硬臥)とは雲泥の差です。同室の乗客も、それなりに立場のある人たちのようで、そのうちの一人の黒龍江省政府の方とは親しくなり、その後も手紙のやりとりをしました。

 トイレの話をしましたが、北京市内を歩き回った時も、無料で快適なトイレを探し回りました。結果、北京駅の国際列車待合室のトイレが無料で快適であることがわかり、時々そこに行っては、用を足していました。

 この国際列車待合室の行き先掲示板には、モスクワ行きの列車の出発時間が出ており、この列車にはどんな人が乗るのだろう、一度乗って見たいなと思っていました。

 こちらが当時の国際列車の時刻表です。莫斯科=モスクワになります。ちなみに途中の満州里が、中国とロシアの国境で、氷点下58℃を記録した町として知られています。




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