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1日の中のちょっとしたいい話

僕は今、絶賛大学生ということで
かなり時間のある生活をしていると思う。

自分の時間が大いにあるため
時間があれば大抵好きな小説を読んだり、
コーヒーを入れてそれ飲みながらゆったりしたり。
ときには運動したりしてそれなりに時間を持て余している。

社会に出ればそれが当たり前じゃなくなって、
仕事がたくさん増えて自分以外の人との時間が増えて…

そんなことを考えなければいけない時期に
のほほんとしている自分に危機感を感じる時も多々あるが
それはそれでいいじゃないかと思ってたりする。
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ある日散歩していた時のこと。

その日はなぜか少し切羽詰まっていて
ため息をつきながら気分転換に散歩に出かけた。

いつもの川沿いにボケーっとしながら空を眺めてたら
優しそうな老夫婦が寄って来て
”お兄ちゃんそんな暗い顔しなさんな”と
立ち話をしたことがある。

たった数分話しただけだったが
その2人と同じ時間を共有したことに軽い安心感を覚えた。

その老夫婦にとっても、僕にとっても
”同じ時間”、”同じ場所”だったはずなのに
感じるものはこうも違う。

老夫婦を見てこんな時間の過ごし方も素敵だな
なんて羨望の眼差しを向けたのだった。

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スーパーで買い物した日のこと。
親子で買い物に来ている家族を見かけた。

小学校高学年くらいの男の子と
まだ小さい3〜4歳くらいの女の子、
それとお母さんの3人で仲良く買い物に来ていた。

何気ない日常の一コマかもしれないが
僕はお兄ちゃんの行動に目を惹かれた。

そのお兄ちゃんは妹が離れようとしたときに
”手離すなよ!”と声をかけ、お母さんから逸れないように
妹を先導していた。
そして母に気を使わせまいと、それを小さな声で
諭すように妹に言っていた。

母にもそれは伝わっていたようで、
お兄ちゃんの好きなお菓子を(鬼滅の刃のお菓子だったからきっとそう)
そっとカゴの中に入れていた。

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この2つのシーンに共通していることは
”思いやり”に”気づく”ということ。

1つ目は顕著に表れていたけど、
2つ目に至ってはそれは思いやりの連鎖だった。

そして、誰かがその思いやりに気づいたという話だ。

目に見えない思いやりの根源は”愛情”だと思う。

誰に対しても人への愛情が
思いやりを生むと考えている。

難しいことはしなくても
相手を思いやった行動こそが愛なんだなと感じ
心が温かくなった日々の話。

2つの出来事との出会いから
僕もちょっとだけ優しくなれた気がしました。


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