俺はエモいが好きだよって話。
片割れどきに手を繋いで歩く親子。
雨夜の閑散としたシャッター街。
秘密の関係を匂わせる裏路地を歩く若い女とサラリーマン。
この世の中には"エモい"が蔓延る。
"エモい"には人それぞれに定義がある。
自分の感性の赴くがままに
人それぞれにある感覚だと考えている。
俺の中の"エモい"は言語化するのが難しい。
だが"エモい"を人に共有するほど
大層なものではないし、
共感して欲しいという想いなんて微塵もない。
"エモい"というのは
自分の世界の中で楽しむものだと考えている。
だけどここで"エモい"について
語る矛盾には突っ込まずに
ここから先も読み進めてもらいたい。
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俺が"エモい"を感じるものの中の1つに
写真がある。
「これエモいね〜」なんて言いながら
人と話すことも多いのだが、
"なんでこの写真はエモいと感じるのだろう"
と答えのなさそうな想いを持ちつつ、
半日ほど時間を費やし
物思いに耽っていることもある。
俺の中でのエモい写真の条件は
"その写真に物語があるか"
というものがある。
写真から物語が連想できるものならば
その写真は"エモい"写真なんだろう。
そう言った結論に落ち着いた。
何気なく部屋の写真を撮ると
夕暮れ時の赤い日が外から差し込んだり、
ふとした瞬間の彼女の顔を横から撮ったり、
街を歩いて働いている八百屋のおばあちゃんを撮ったり。
その瞬間に物語が詰め込まれていて
それを見た人が読み取れば
エモい写真が出来上がる。
そのエモさを創り出すことが
想像以上に難しく、楽しく、そして愛おしい。
何気ない日常に彩りを加えるには
この物語を創り、エモさ感じることが非常に重要だと
四六時中考えているのが、俺という変人である。
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この世の中には"エモい"が蔓延る。
1つ1つの事象に"物語"を作って生きる。
俺にはこんな隠れた趣味がある。
日々の日常に色をつけるためには
何の意味もないことに意味を持たせること。
そこからそのヒト、モノに
自分なりの物語を作る。
それが"エモい"の根源であると考えている。
もちろん、俺の人生も"エモい"人生でありたい。
全ての事象を物語にする。
全てハッピーエンドで埋め尽くす。
そこから俺独自の"味"が出て"エモい"人になる。
これも変な人だろうか(笑)
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俺はこの"エモい"が大好きだ。
自分の物語の中に生きることは
これ以上ない幸福感と
人としての美徳を感じさせてくれる。
自分の生きる意味が
鮮やかになっていくこの感覚に名前をつけるなら
それが"エモい"ということなんだろう。
これからも俺は"エモく"生きていこう。
自分の人生を1つの物語として。
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