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『危機の神学』 若松英輔/山本芳久

年末年始読書備忘録です。ついこの前出たばかりの『危機の神学 - 「無関心というパンデミック」を超えて』を読みました。

最近は付箋を貼ったりすることが多くなったので、電子書籍ではなく紙の本で読むことが多くなりました。

若松さんと山本さんの対談形式は『キリスト教講義』でとても楽しく知的興奮に満ちていたので、今回も期待して頁をめくりました。
一般的に神学と云うと、大変とっつきにくく、縁遠いものと思われがちです。(僕もそうです。)しかし、いま特にコロナ禍にあって、人類が直面している危機の問題と絡めて考えると、神学が個々人の生き方・考え方に直結する問題を孕んでいるということを、この本を読むとよく理解できます。「危機」は「画期」であるとして、このコロナ禍で浮き彫りになった貧困や無関心の問題にキリスト教が積極的に関与していく契機とすべきと、教皇フランシスコの発言などを引用しながら論じています。一箇所だけエッセンス的な引用をしますね。

コロナ危機後に教皇は折に触れて、これは自己中心的なあり方、自分に閉じこもっているあり方から抜け出る決定的な機会なんだと述べています。自分の力だけでは自己閉塞的なあり方から出ていくことができない。それには、揺り動かされることが必要だというわけですね。危機に揺り動かされて初めて、無関心から救われ得るというわけです。
 無関心というのは、他の人への配慮が足りないだけではなく、自分自身がいわば世界を喪失している状態です。実に多様な喜びにも苦しみにも満ちたこの世界の豊かなあり方に対して心が閉ざされてしまっていること。それは、無関心なあり方をしている人自身にとっての危機でもあるわけで、それを克服するための、揺り動かされるという決定的な画期に私たちは直面しているのだと、教皇はコロナに直面して繰り返し説いているんですね。

『危機の神学』本文228〜229ページ


全体を通して、若松さんと山本さんの知識の膨大さと深さとに圧倒されます。こんなにたくさんの文献を読む時間はどこにあるんだろうかと思いつつ、こんな風に過去の賢者達の思想こそ美味しいところを、読者である僕たちがつまみ食いできるのは感謝すべきだなとも感じます。多分僕は死ぬまでに、例えばトマス・アクィナスの『神学大全』(日本語訳で45巻もある大著)を実際に読むことはないと思いますし…

この本は全部で4章から成っていますが、第3章は学問方向に寄り過ぎていてやや難解です。それ以外の箇所はコロナ問題と絡む視点が多く、自分ごととしてテーマを捉えやすく、興味深く読めました。特に1章と4章で引かれる善きサマリア人の解釈は、これまで聞いたことのない切り口があり新鮮でした。
あと、若松さんも山本さんもカトリックなので、教皇フランシスコの話がかなり出てきます。プロテスタントの僕としては教皇の回勅は馴染みがないので、なかなか勉強になりました。
僕は若松さんの著作のファンなのですが、この本ではむしろ山本さんの語る言葉に、より魅力と説得力を感じました。若松さんは確かに「引用の達人」で、この本でもさまざまな文献から魅力的な引用をしてくれてはいますが、今回はちょっとそれが多過ぎて、むしろ若松さん自身の声をもっと聞きたいと思いました。
次回のお二人の共作に期待します。

2021年も間もなく終わりますね。コロナ禍はまだまだ続きそうですが、どうか皆様お身体大切に、良いお年をお迎えください。


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