90年代には平田オリザらによる現代口語演劇(関係性の演劇)と並ぶもうひとつの大きな流れがあった。それが「身体性の演劇」で、その代表的な作家と私が考えていたのが当時ク・ナウカを率いていた演出家、宮城聰だった。宮城の演劇は口語演劇ではなく、詩的あるいは古典的なテキストを用い、2人のパフォーマーがムーバー(動く俳優)、スピーカー(語る俳優)に分かれて、浄瑠璃のように演技を行うという特異なスタイルであった。平田オリザは「平田オリザの仕事〈2〉都市に祝祭はいらない」*1という著書で表題通りに「都市には村落共同体の時に必要だった祝祭はいらない」と彼の演劇論を語ったが、宮城はそれに対しあえて「祝祭の演劇」を標榜するなど平田の演劇の特徴を鋭い分析でとらえながら、それを批判できる論理を持った数少ない論客のひとり*2 でもあった。
宮城聰はク・ナウカを活動休止し、鈴木忠志の跡を継ぎ、SPACの芸術総監督に就任した。ク・ナウカ時代の代表作が「天守物語」(1996年初演)だ。「天守物語」は野外劇として上演されることが多かったこともあり、海外も含めいろんな場所で「場の持つ力」を取り入れ、観劇歴においても北九州・小倉城前、お台場の公園、雨の利賀野外劇場、こちらも激しい雨の中での湯島聖堂……と忘れがたい記憶を残した舞台を目撃してきたという意味ではワン・アンド・オンリーの作品と言っていい。
特に印象深かったのは湯島聖堂の公演。「天守物語」では次のように雨に関するセリフが劇中に出てくる。
ク・ナウカの大きな魅力は野外空間など劇場以外の場所を公演会場として、その場所、その場所での場の力を取り込んだ舞台づくりを行うことであった。日本でそうした公演を行おうとすると会場の関係者や周辺住民への根回しなど数年をかけての周到な準備が必要。アングラ演劇時代のゲリラ的な野外劇などとは異なり、公共性を視野に入れた振る舞いが必至であり、ことさら国の史跡である湯島聖堂の中庭での公演は文化庁など関係各所との何度にもわたる交渉の末に可能となったものだった。
そうまでして実現した湯島聖堂の荘厳な空気感は格別なものがあったのだが、天の神がそれに触発されたのか、芝居の内容と呼応するかのように中盤にさしかかる辺りから、大粒の雨が降り出し、その雨による靄の中での上演となり、私も含め観客の大勢は途中で雨を避け、屋根のある本堂のひさし部分などに逃げ込み、そこから舞台を眺めるような格好になった。観劇環境としてはお世辞にもいいと言えるようなものではなかったが、「雨も野外劇の興趣」と感じ、場所の持つ魔力が醸し出す一度限りの魅力に引き込まれたのである。
SPACでも再演
SPACのレパートリーとしても2011年に再演され阿部一徳、大高浩一、榊原有美、寺内亜矢子、吉植荘一郎らク・ナウカ時代のオリジナルキャストに三島景太、仲谷智邦、舘野百代らSPAC創生期からの俳優陣が加わる合同公演のようなキャスティングで上演された。
以下、SPACでの再演当時の劇評を一部改稿して再録する。
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*1:
平田オリザの仕事〈2〉都市に祝祭はいらない
*2:宮城聰(ク・ナウカ主宰=当時=)インタビュー 1998年下北沢通信収録 http://t.co/5hza5bu
りん (id:simokitazawa) 2年前