英国作家の異色作 ミステリ読みによる完全誤読レポート。演劇集団円「ピローマン The Pillow Man」@俳優座劇場
『ピローマン』(The Pillowman)はアイルランド系英国人の劇作家マーティン・マクドナーによる2003年の戯曲。新国立劇場芸術監督でもある小川絵梨子の翻訳を寺十吾が演出した。マーティン・マクドナーの作品を見たのはこれが初めてで、その作風はよく分からなかった。
主人公カトゥリアンは小説家というか売れない童話作家である。舞台となっているのは共産主義時代の東欧圏を思わせるような暴力的な拷問や恫喝など非民主的な警察捜査がまかり通っているような世界。カトゥリアンが書いている小説(童話)は子供に対する暴力的で残虐な行為を赤裸々に描き出す残酷さが持ち味なのだが、市中でその小説の描写と類似した幼児に対する連続殺人が起こっていることから、彼は官憲により逮捕され事件とのの関係を尋問され追及されているのだ。カトゥリアンには知的障害がある兄、ミハイルがいる。兄も彼と同様に投獄されている。この作品の魅力のひとつは劇中に「リンゴの小人たち」「三つのさらし台のある十字路」「川のある町の物語」(「ハーメルンの笛吹き男」の前日譚)、カトゥリアンの自伝的な物語である「作家とその兄弟」「ピローマン」「小さな緑のブタ」「小さなキリスト」などカトゥリアンが書いたとされる童話(小説)がたびたび引用されることだ。現実に起こっている出来事と虚構が作品の中では混交する複雑な構成となっている。
実際に起こっている猟奇殺人の捜査の一部始終が描かれることで作品はミステリ仕立ての一種の謎解きになっている。そのために観客は「ここで描かれている出来事の真相はいったいどうなのか」との興味を舞台を見ているうちに自然と抱くように作られている。
上演時間は短い途中休憩をふくみ3時間と日本の舞台作品と比べるとかなり長丁場な作品。そのため前半部の終了時にはミステリでいう問題編がここまでで終わり、ここから先が解決編のような空気感があった。ミステリファンとしてはつい無意識にここから先でどんでん返しを求めてしまうが、この作品はそういう風になっていなかった。
虐待を受けた幼児体験が作品でも劇中作品でもメインのモチーフとなり繰り返し出てくる。それだけに日本のアニメ作品や最近のミステリ作品ではありがちだが、独白に近い振る舞いをたびたび行い視点人物に見えるカトゥリアンの心的外傷(トラウマ)が引き起こした幻想が現実を侵食するようなエヴァンゲリオン的な仕掛けになっているのではないかというミステリ的な仕掛けを予測した。
見ていて浮かび上がってきたのは兄ミハイルをはじめ、登場する刑事たちトゥポルスキやアリエルは果たして実際に存在するのかという疑問だった。
特に物語の進行に伴い最初は別室にいたミハエルが同室に移されて、兄弟が会話するという筋立てが不自然きわまりない。兄ミハイルが両親から虐待を受けていたのを知ったカトゥリアンが両親を殺害してしまったことなどが明らかになるという理屈はミステリ的に見るとおかしい。カトゥリアンが強く訴えたとしてもそれで捜査側が兄弟を同室にして勝手に話をさせるというのは口裏合わせの可能性もあり、ありえそうにないことだからだ。
実はここで私の「ミステリ脳」は兄ミハイルなどというのは実際にはいなくて、カトゥリアンの多重人格の人格のひとつではないかという結末を確信した。さらに物語の途中で小説を模した連続殺人が起こっているという捜査側の主張をすべてでっち上げなのではないかとカトゥリアンが疑う場面があるが、もっと根本的に兄を存在自体を疑ってしまえば「自分が殺した」という兄の発言どころではなく、この犯罪捜査ものそのものがカトゥリアンの妄想ではないのかという可能性さえ、見ている私には浮かび上がってくる。
もっとも結局のところそうした可能性が観客である私の妄想に過ぎなかったわけだ。マーティン・マクドナーはそういうツイストの効いたミステリ的技巧を弄するような劇作家ではなかった。作者の関心は自分の書いた作品が残ることにこだわるためには殺人や自身が罪を被ることも躊躇しないという作家の業に向かっていた。ただ潜在的な可能性としては前述したような複雑な仕掛けも可能なプロットであるだけにミステリファンとしてはこんな風にストレートに物語が終わってしまうのはどうもしっくりとはこないのであった。
表題となっている「ピローマン」はこの舞台に出てくる童話の中でもなかんずく忘れがたい印象を残す。ピローマンのピローとは枕のことである。ピローマンは柔らかな枕でできていて、虐待を受けている子供のもとに現れて、その子供を虐待の苦しみから救うために子供が寝ている間に枕のような体で抱きしめて窒息させて安楽死させてくれる。
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この舞台の最後で「ピローマン」という物語の幕切れに飽き足らないカトゥリアンは物語を書き替えようとするが、それを終えることなくトゥポルスキに銃殺されてあっけなく死んでしまう。まことに後味のよくない残酷な結末だが、一方ですべての小説を燃やして処分してしまえと命令されたアリエルはそれをしないで小説の束を資料をいれた机にそのまま放り込んで取っておくことにする。カトゥリアンは騙されて殺されるが、小説を抹殺しないでというもうひとつの願いは結果として聞き入れられる。アリエルがなぜそうしたのは論理的にはよく分からない。いろんな意味で物語は混乱したまま突然終わるが、だからこそなぜかやるせない気持ちになる。
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