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どんなでも、 そのままで居させてくれてありがとう

今、夫とラインをしていたら
涙がとまらなくなった。

子供が遅くまで起きていて、
それを見たら悲しくなった。

学校をいやがることも
遅くまで起きてることも
全部が私の自己嫌悪につながっている。

私が悪いと。
罪悪感。
全てが罪悪感の材料へ。

夫は
こども達の個性だから、
そのひとつひとつを子供達が楽しんでいるから、
と話してくれた。

私の自分責めに使うと、
そこで終わり。

その先には繋がらない。

「私が悪い」
で終わってしまう。

そこには、否定しかなかったね。

こどもも、悪い状態と決めつけていた。
わたしも、ダメだと決めつけていた。

本当にそうなのかは、わからない。
ただ、そうなだけの状態。


寂しそうに見える人がいると、
何もしてあげられない私に罪悪感を覚えていた

よけいなお世話だ。
その人がどう生きようと、それで完璧なんだ。

私自身、ウツでも辛くても、
誰かに助けてほしいとは思わない。
その状態を受け入れてもらえたらありがたい。
変われるのは、変わるときが
自然に来たときだけだと感じる。

そうだね、
受け入れてもらえるのが何よりありがたいね。

どんな状態でも、
そのままでいさせてくれる。
どうにかしようとしないで、そのままの私と
普通に付き合ってくれる。

それが夫なんだ。

どうにかしようとしてくれるのは、
そのままではダメと、
変わらなければダメと、
変わったほうが良いと、
そんなふうに感じたんだ。

ウツでも、太っても、痩せても、
引きこもっても、つまらなそうでも、
辛そうでも、

「もっとこうしたほうがいい」
という目線で見られると、それは悲しい。

判断を一切しないでもらえると、
本当にありがたい。



だから、自然の中にいると
いつでも気持ちがラクなのかな

完璧な、ありのままの状態でいられるから。
どんなでも、相手は一切変わらない。

いつも同じように接してくれるから。
気にしないでいてくれる。
否定しないでいてくれる。
心配しないでいてくれる。

ただ、そこにいてくれる。
反応しないでいてくれる。

それが、こんなにもありがたいんだね。




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