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「地域の繋がりづくり」と「匿名性への憧れ」という葛藤から気づいた「私のこだわり」

私は高齢化社会への対応について「家族ではなく、地域という単位」で取り組むと言う方針に総論としては賛成です。

しかし私には、いつも葛藤があるのです。
戦後の核家族の始まりと同時に私は成長し、親世代と考え方の違いでいつも対立し、1日も早く実家を出て独立して「一人暮らし」をしたいと望んで東京で暮らし始めました。それは親や親戚が常にいう呪いの言葉「フツーに大学に行って、フツーに就職してフツーに結婚してフツーに子供を作ってフツーの人生を送ってほしい」に対してはっきりとNOを言いたかったからです。
そしてようやく東京で暮らし始めて、同じようにフツーが嫌で東京で一人暮らしをしている人のコミュニティと出会うことができました。そこで私は「好きなこと」である「映画」を軸に人間関係を作ることができました。

ようやく家族や親戚・そして「近所の目」から逃れることができたのです。そんな人間にとって東京での暮らしの最大の魅力はお互いに干渉しない「匿名性」が担保されていることによる「安心感」でした。東京での暮らしでは近所付き合いがないこと、お互いに干渉しないことこそが都市生活の魅力だとらすら感じていました。人に迷惑をかけなければ何処で何時に何をしていようが誰にも咎められることもなく、どんな時間でも誰かと出会うことができるという都市の自由を私は満喫していたのです。

この感覚は、最初に書いた高齢者社会問題への解決の糸口として「地域として問題に取り組む」という考えと相反します。高齢者問題を「家族」という呪縛から解き放つことに関しては、私の中では必然的な結論なのですが、正直、「地域での顔の見える関係づくり」に関しては、我ながら「私の中のどの口が言うのだ」と言う葛藤があるのです。

その葛藤を乗り越えるために、私の中では「好きなこと」と言う軸が、とても大事にしなければいけない足場だと言うことにあらためて気づきました。「好きなこと」や「やりたいこと」こそが家族や血の繋がりという呪縛から逃れるために私にとって必要なことでした。

「好きなこと」とは、私の場合は「漫画」や「映画」です。
漫画や映画について語るとき、年齢や世代や国籍…さまざまなギャップを乗り越えられる気がするし、私にとっては血の繋がり以上に身内感というか同族意識と言いますか、この気持ちを高齢化社会に活かしたいのです。

僕が20代の時に出会った日本映画が一番、苦しい時代に現場で出会った人たちが、今、老いて介護が必要になっているとしたら、その人を介護したい。その人の生きてきた軌跡を知りたい。人生の最後に感じていることを聞きたい・人生の最後に望んでいることを実現させたいという想いが湧いてくるのです。

僕が通っていた学歴のためにほとんど無目的な人が集まっていたような大学ではなく、サギのようなやり方で成り立っていたとはいえ、自分がやりたいことに挑戦する人と数多く出会えた専門スクールのような「場」を作りたい。

「好きなこと」「やりたいこと」こそが私にとってはあらゆるギャップを解決するための大事な足場なのです。高齢化社会への対策は私の「やりたいこと」ではありません。でもなんとかしないと自分を含め、みんなが「やりたいこと」をやる上で、大きな足枷になることが目に見えている問題です。だからこそ、私は自分の「やりたいこと」探しつつ、この「高齢化社会への対応」問題は自分ごととして主体的に取り組もうと思っているのです。

たまたまですが、私はここに辿り着きました。「それぞれが自分の持ち場で最善を尽くすこと」が私の信念です。

誰かに文句を言う時間とエネルギーがあったら、その時間を自分の目の前の問題につぎ込みます。だから発信を始めました。どうぞよろしく。