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駒場苑さんの掲げる「オムツゼロ」について

X等で発信を積極的にされている坂野さんが施設長をされている特別養護老人ホーム「駒場苑」さんが掲げている理念「7つのゼロ」の中に「おむつゼロ」というのがあります。

 この「おむつゼロ」に関して大きな気づきが、あったので共有したいです。私はこれまで「おむつゼロ」に関して主に人の「尊厳」という部分で理解していました。おむつに排泄するのは人間にとって「気持ちの良いことではないよね」「屈辱と感じる人もいるよね」という理解でした。

私は先日から自分ができることが少なくなった時にそれでも残された時間を楽しんで生きるにはどんな風に生きたらよいのだろうというシミュレーションをしているのですが、その時に「食事」は最後に残された楽しみだから「食べたいもの」を食べたいよねと思いました。しかし先日、よく考えたら「排泄」も最後まで残された「楽しみ」だよなとふと気がつきました。

尿も便もオナラも、出ると気持ちがよいですよね。というか少なくともスッキリしますよね。特に便は、しっかり立派なものが出た時には、気持ちの良さはもちろんですがある種の達成感というか成し遂げた感があります。

惚れ惚れするような立派な便が出ると、ちょっと湯気が出ているのではないかと思うほどまだ温もりのあるうちに人に見せたくなったりしたことありませんか??私はあります(見せてないですけど)。そして以前勤めていたグループホームでも時々、惚れ惚れするような立派な便をされる方がいました。あまりに立派すぎて流れるのだろうかと不安になるくらい(実際1回では当然流れないので、複数回流すのですがそれを飲み込む便器すら喜んでいるのではないかと思うほどの立派な便でした)。

これも人を呼んで見せたくあることが何度もありました(見せてないですけど)。でもご本人には「立派なウンチが出ましたね」と思わず声をかけてしまうのですが、ご本人もとってもいい笑顔を見せてくれるのです。この話はご家族には結局できなかったのですが(うまく伝える自信がなかったので)職員同志ではとても共感し合いました。お互い呼んで見せあったりはしてないですが、私の時以外でも複数回そんな日があったようです。

そんなわけで「排泄」は最後まで残る楽しみの一つだなと腑に落ちたのです。オムツによってその楽しみが奪ってしまうのはとても残酷な行為で、できるだけ自然排泄にこだわるべきだなとあらためて思いました。

食事を美味しく食べることができて、気持ちの良い排泄ができて、スッキリとした目覚めができたなら、生活の中に幸福感が少なくとも3つはあるということですよね。

※ちなみに「7つのゼロ」という理念の詳細はコチラ