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辛いこともガマンしたら報われるの?

私の親しい人が迷惑行為(嫌だと伝えた行為を続ける)を受けてトラブルになった。悪口もネットにたくさん書かれて、当時の書き込みは私もリアルタイムで目の当たりにしていた。見ていた人は他にもいたと思う。

(「本人が嫌がっているので……」と伝えられているところは直接みた)


その件は警察が間に入って、いったん話は終わったのだけど、対応にはいろいろ不満があったようで、相手は悪口や嫌味を言い続けていた。


迷惑行為を受けた方と近い位置にいたからか、関係ない私にもたびたび、恨み節のお手紙が届いたり、私の作品に反応してくれたと思ったら悪口を言うために利用されただけだったり、そんなことが続いたけれどガマンしていた。
でも私の悪口は言わないし、ずっとよくしてくれていたからそれはそれと割り切っていた。別にその人を中傷したことだってなかった。会えば懐かしく思ったし、メッセージにも普通に好意的に返していた(恨み節はスルーしつつ)。それを続けた。そんな日々が何年も続いた。

ある時にさすがにガマンできなくなったので、「私が当事者じゃないことは私にぶつけないで」とやんわり伝えた。その人は「警告」を欲しがる人だったので。
そうしたらどうなったか?


最終的には私の活動の悪口も言い出した。


「あ、私、この人にここまで言われちゃうのか」と、けっこうショックだった。

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※ご本人より、「私へのことではなく、私を応援していた別の人のことだ」とお言葉をいただきました。

文脈的には私のことと考えないと矛盾が生じるのですが、本人がそうおっしゃっていたことは付記します。

(「お金かけてまで、頑張っているなんて言われると結局金かー! ってなりますね」←お金をかけていたのは私です。

 「趣味レベルの人が市場で戦っている人のような言葉吐くのは滑稽です」←そのとき戦っていたのは私です。(こちらは「応援の口ぶりが戦っている人のようで滑稽」という捉え方も可能ですが、当時の状況や流れで言えば、私のことだと考えたほうが自然です。仮に違っても私のことを応援してくれている行動を「滑稽」というのは、許せません。)

これを”別の人”の発言からの流れだから私のことではない、と本気で思っているなら、それはそれで問題です。また、発言はこれら以外にもありました。参加したイベントへの悪口もあり、こちらはこのイベントであることを認めていました。悪口じゃない、というかもしれませんが、参加していたわけでも、応援していたわけでもないイベントを後からわざわざ調べてダメ出しするのは悪口だと思います)

まあ、言葉の綾ということもありますからね。

また、「私の参加したイベント」「私の真剣な取り組みを応援してくれている人」を貶めることは、私の活動を貶めるのと同義だと思います。実際、私が一番、腹が立ったのは、私が参加しただけでイベントの嫌味を言われてしまったことですから。
この記事もそう思ったから「私の活動の悪口」という書き方を最初からさせていただきました。

いろいろ肯定的なお言葉もいただいたのでもう流そうと思いましたが、本質的に私が問題にしていることが伝わっていないかもしれないこと、また、お相手の言い分も載せないとフェアではないと思ったので、追記いたしました。

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そのとき、私が彼に何か言ったわけではない。悪いことをしたわけでもない。ただ、普通に活動していただけだ。

また、悪口の内容への反論もあるが、問題はそこじゃない。反応欲しさに相手かまわず嫌味・悪口の対象にするのが信じられない。

「当人同士はともかく、その周りまで巻き込むのはさすがにまずい」。その最低限のラインすら定かでない人たちも世の中にはいる。

その人は「反省しているのに」と言っていたけど、反省していてこれでは、根本的に反省するポイントをわかっていないんじゃないかな? と思った。

その人はもうフォローも外しているし、何を言ったとしてもそのことに反応するつもりはありません。
けれど今まで、この身に受けた理不尽は社会問題のサンプルとしてコンテンツ化していこうと思います。
(人間やめたくないので、最低限の配慮はしつつね)

この文章もその一環です。


私が黙りつづけていたことについて、わかってくれていたのは、嬉しかったんですけどね。


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記事内容のことが起こって思い出したのが『闇金ウシジマくん』(真鍋昌平)の「ゲイくん編」。

「そのかわりこの狭い世界で関係を崩さないように、必要以上に気を遣い、ガマンばかりしている」

このあたりの心情、たぶん、誰でもわかる瞬間があるのではないかな。職場の派閥、友達、サークル、いろいろな人間関係の場で。

でも、無理だと思ったら手放す勇気は大切だ。今までガマンしてきたことは後悔ばかりだし、報われたこともない。


自分の状況を一つ一つ整えて、「不本意に耐えてまでしがみつかないといけない場所」に、遭遇しても、今後は避けて生活できるようになるんだ。
今年はそのための状況が進んでいる。だから今、私の周りは平和だ。
変わろう、と思ったときに、人間は変わることができる。

今後も地元でも活動を続けるつもりだし、よくしてくれる人たちとも仲良くしていく。地元も好きだし人も好き。

でも、私に嫌な思いをさせる存在とはちゃんと離れる。思い出だけは大事にとっておいて。


記事とは関係ないけど、ゲイくん編で好きな個所。

僕は噂だけでくまくんが犯人だと思い込んでいた。

僕はカメラを盗んだのがジャニオタであって欲しかった。

「カメラ盗んだのキミだろ?」
さまんさとは終わりだ。

さまんさはとてもイジ悪だけど、とても可愛い。


このあたりの流れはすごく好き。

「ジャニオタ(キャラクター名)の誓いは全部かなわないと思う。
誰にでも出来る簡単なことが本当に出来ない人間もいる。
ジャニオタはそーゆー人間だ。
僕もそーゆー人間だからよくわかる。」


この後花火見て「可愛いもの一杯集めようね」っていうのが、救いになっててイイ。

……実はゲイくん編について語りたかっただけだったりしてね?


(文中の「お手紙」とは電子メッセのことです)




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極力反応しませんが(つもりはないと書いたのに、まったくスルーできず、申し訳ありません)、TL荒らすのは嫌なので、何か思うことがあったらこちらのスペースに書き足していこうと思います。


「恨み節」も、「嫌味・悪口」も、作品を悪口に利用されたのも、全部記録は残っているし、少なくとも私に関することはスクショでも何でも出せと言われれば出せれます。見せろと言われれば直接見せるし、残っているものはURLを貼ったっていい(まあ人とのやりとり見せるのもどうかと思うんで、恨み節についてはよほど何かないならしませんけどね)。


「逆恨み」というのは、やりとりの中で本人も言っていたけど、それでも気持ちに整理ができないのだろう。それは仕方がないけど、超えたらいけない一線くらいは考えてほしかったですね。


あとね、恨み節については、私は最初からそんな言葉で思ったわけではないですよ。同情だってしましたよ。そこはわかっていてもらえれば……。


ちなみに、明確に「それは嫌です、やめてください」と伝え、一度警告まで送ったことまで彼はしています。ダメだとわかっていてやるのですから、「悪気はなかった」は通用しません。
「相手が悪いからと言って何をやってもいいわけではない」という言葉を見ましたが、まさしくその通りだと私も思います(そもそも、こちらが悪いの?)。

※「それは嫌です、やめてください」という文言ではありませんが、私がそれを嫌がっていること、一度されて、その時はお願いしてやめていただき、謝罪もいただいたこと。から、二度目については「悪意」だととらえています。本人は自分の心に聴けばわかるはずです。

※さらに、この後、もう一度やられてしまいました。その時にお話しましたが、対応もいただけず、何が悪いのかわかっていただくことができませんでした。

あと、彼の常套手段なのですが、何か苦言を呈されたら、それへの反論ならまだいいですが、関係のない相手の活動やら何やらへ嫌味・当てこすりを言い出します。
私は「全部、言っちゃうね(某イベント編)」の記事で書いた加害者について、問題行動と関係ない彼らの創作について貶めたことはありません。めちゃくちゃみっともないと思うからです。
こんなことをしている時点で、いくら正当性を説かれても説得力がないです。


警告せずに行動すれば「警告がほしかった」。警告をすればわざと行う。一体、どうすればいいのでしょうか?


記事内容に不満があるなら、具体的に説明してほしいものです。説明してくれればここに補足を書き足していくので。※正直、もうこれ以上は平行線にしかならないと感じるので、補足を書くために確認をするのはやめようかと思います。


スクショや悪口へのURLを貼らないのは私の最後の優しさです。

この記事は彼を晒し上げることが目的ではないので、載せないようにしているのもあります。載せたら、すぐに誰かわかってしまいますからね。

そこまで踏みにじられないようお祈りします。


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「趣味レベルの人が市場で戦っている人のような言葉吐くのは滑稽です」

についても。この発言、いろんな意味で許せないので述べておきます。

まず、「私のこと」「応援してくれていた人」どちらにしても、この発言は的外れです。遠方に住む彼がどれくらい正しく認識しているか知りませんが、大きなお仕事もいただいています。

また、私は商業でやっていることが、非商業でやっていることより必ずしも優れているとは思いません。もちろんすごいことですが、チャームポイントの「一つ」だと思います。

「大衆受けはしないだろうけどめちゃくちゃ面白いな、すごいな、好きだな」と思う作品はたくさんあります。

私は子供の頃アニメっ子で、漫画は大人になってからアマチュアのweb漫画で読んだもののほうが圧倒的に多いです。神様みたいに好きな作品ばかりです。

また、これは私の考えですが「芸術家」はエンタメやビジネスとは別だと思っています。自分の描きたい世界を突き詰めていき、たまたまそれがマジョリティーの気持ちにも響いた人が結果的に芸術でご飯を食べられるようになるのだと思います。

(もちろん、マジョリティーの気持ちをつかむことや売れることに重きを置く作り手もいるでしょうし、それはそれで正しいです)

食べていけなくても、たった一人の相手でも、気持ちを動かせたならそれは立派なことで、その一人にとってはどんなマジョリティーを動かす芸術家よりも価値があります。そしてその「一人」とは、作家自身のことでもいいのです。

そもそも作品や活動に優劣などないのです。個人の好き嫌いだけの問題です。

他人の評価で自分の好きなものを低く見積もったりしたくはないです。

自分の目で見て自分の感性で判断するのが文化・芸能だと思います。


えーと、何が言いたいかっていうと。

マジョリティーの感性だけを持ち出して、人の作ったものをバカにしたりあざ笑ったりするようなモラハラ人間に、文化語ってほしくはないってことです。


人が命がけでやっていることを、馬鹿にしていい道理なんてありません。

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