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エリア51戦線 エピローグ 終わりではなく始まり

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 佐藤の人生で、これほどの修羅場は初めての経験だった。
 侵入者は、現在、リビングのソファに寝かされている。それを熱心に介抱する姉の姿を見て、複雑な心境になった。
 姉が部屋を出たことは驚きだ。自分の危機に際して止めに入ってくれたのはとても嬉しい。しかし、あの太郎への入れ込みようは解せない。まあ、そのまま放っておいて死なれても困るので、姉が世話してくれるのはありがたいのだが。
 佐藤は、絨毯の上に四肢を投げ出し、仰向けになっていた。すべきことは山ほどあるが、今は身体を休めたい。せめて太郎が意識を取り戻すまでは、インターバルを置いてもよいはずだ。
「佐藤さん、おせっかいと思うけど、下着の紐が見えてるよ」
「おのれ、いったいどこを見ている!」
「見てるって言うか目に入るんだけど」
 鈴木は卓を挟んで座っている。まったく、なんて白々しい男だ。座布団をつかみ、投げつけようとした時、「ひっ」と小さな叫びが聞こえた。花子のほうを見る。
 太郎が目を開けていた。どうやら、休憩時間は終了らしい。
「気がついた?」
 やれやれと思いつつ、声をかける。太郎は上半身を持ち上げた。額に乗せられていたタオルが落ちる。
 暴れていた時とは別人のような、澄んだ瞳をしていた。
「ああ……生まれ変わった気分だぜ」
 真摯な顔つきで、鈴木に向き直る。
「弟よ、悪かった。俺はどうかしていたんだ。一時の激情に駆られて、とんでもないことを……」
 とんでもなさすぎるよあんた、と突っ込みを入れたくなったが、改心しているのだからこれ以上刺激してはいけない。
 鈴木もまた真剣に返した。
「兄さんが過ちに気付くことができたのならそれでいいよ」
 それから、怖いくらい爽やかに笑って続ける。
「まあ、兄さんの事件で俺、地元離れることになったし、高卒フリーターで定職にもついていないし、オタクで友達ほとんどいないけどね。全然気にしてないからさ」
 ――絶対、怒ってるよ。こいつ。
 佐藤は、鈴木のやり口を何となく理解した。
 さすがは兄というのか、太郎は鈴木の嫌味を軽く流して、腰を上げた。
「――さあ、俺も、今度は潔く自首しないとな」
 鈴木がすかさず答える。
「警察呼んどいたから」
「ちょっと待ってよ、お前手際が良すぎだよ!」
 家の前に止まるパトカー。周囲の住人が何事かと集まっている。太郎は手錠をはめられ、連行されるところだった。パトカーに乗る前、見送りの花子と言葉を交わす。
 佐藤と鈴木はまったくの蚊帳の外だった。
「俺、次こそはちゃんと更生して、真人間になって出所してやるよ。刑務所の環境のせいじゃない、名前のせいでもない、俺の精神的もろさが、罪を犯していたんだ」
「あなたは、とても強い人だと思います。少なくとも、私なんかよりはずっと……」
「だから、俺がまた天道さんの下に出る時は、もう一度、あんたに会いに来ていいかい?」
 花子の顔がさあっと赤くなった。うつむき、消え入りそうな声を出す。
「でも、私なんて、引き篭もりだし、ブスで眼鏡だし、ニキビだらけだし……」
 慌てたように太郎が否定する。
「そんなことねえよ。ニキビなんてどこにあるんだ。顔だってけっこう可愛いし、その半分ずれた眼鏡とか、栗色の巻き毛とか、潤んだ上目遣いの瞳とか、……夢見がちな乙女色をしたパジャマとか……」
「髪の毛も、こんな癖ッ毛で……」
「何が癖ッ毛だよ、カールだよ、天然カールだよ!」
 姉たちのやり取りを見ていた佐藤が無感動に言う。
「このお兄さんを見ているとあんたがまともに思えてくるのはどうしてかしら」
「バカだな、俺はいつだってまともだったさ」
 引き気味の二人を残して、太郎と花子はいよいよメロドラマの世界へ突入した。盛大なクラシックでも流れてきそうだ。
「私、待ってますから。太郎さんが罪を償いきるその日まで、ずっと、待ってますから! そしたら、私は引き篭もりをやめて、あなたを一番初めに迎えに行きます」
 野次馬の間から拍手が湧いた。
 警官が、太郎を促す。パトカーに乗る太郎。車は出され、どんどん小さくなっていく。その姿を、花子はいつまでも見つめていた。

パトカーが見えなくなった後、佐藤花子は目を閉じた。
高校時代、まだ引きこもる前の自分を思い出す。
午後八時。セーラー服も着替えず、机にかじりついていた。夕飯も断った。
前の試験で80点台をとってしまったのだ。次の試験では必ず90点以上をとらなければならない。必ず。必ず。必ず。
ひっかくようにしながら、問題集にシャーペンを走らせ続ける。
あの頃の自分は、とにかく必死だった。クラスの輪に溶け込めるように。テストの点を維持できるように。優等生であり続けられるように。
シャーペンの芯が折れる。信じられないほどの怒りが湧いた。シャーペンを机に叩きつけようとする。ちょうどその場所に、ひょっこりとケーキが現れた。花子の動きが止まる。
妹だった。
「お姉ちゃん、頑張っているからプレゼントだよー」
それは妹のお気に入りの苺ケーキだった。母親がめったに買ってくれない一品である。
花子の中の怒りの感情は、妹への愛しさに変わった。

――りっちゃんは、いつも私を見ていてくれた。たぶん、誰より……何もわかっていなかったのは、私の方だったんだ。

見物人も引き、残っているのは佐藤、鈴木、そして姉だけだ。ふっと、姉が振り返る。
姉とまともに目を合わせたのは、本当に久しぶりだった。10年前と変わらない、綺麗な目だった。その目が、柔らかく笑む。
「りっちゃん。今までごめんね」
 律子の目から涙が落ちた。姉に飛びつく。姉はしっかりと受け止めてくれた。お互いの体に手を回し、姉妹は抱きしめ合った。
「さて、一件落着のようだし、俺はこれで」
 という声がする。佐藤はハッとした。
「鈴木!」
 呼びかけられた男はけだるげに振り返る。いつもの陰気な無表情だ。
 どう、説明するか。頭の中で言葉を整理する。
「私、私は、お姉ちゃんのためにファッションデザイナーになりたいわけではないの。もちろんそれもあるけれど、この業界が好きなの。だから、誰かのためにじゃなくて、私自身がなりたいから、ファッションデザイナーになりたいの」
 鈴木は止まったまま動かない。佐藤の動悸が早くなる。静けさを取り戻した住宅街には、風の音しかしない。
 鈴木の視線が動いた。何か発する時に、目を逸らすのはこの男の癖だ。
「俺、何か言ったっけ?」
 まるでこの間の喧嘩など記憶にないような物言い。自分があんなに悩んだ命題が、鈴木にとっては三秒で忘れてしまうようなどうでもよいことだったのだ。
 佐藤は開いた口がふさがらなかった。
 でも仕方がない。
 鈴木次郎とは、そういう男なのだ。

 梅雨入り前の六月。彼らの時は、まだ動き始めたばかりだった。

「ところで、本当なの? 犬が真っ白になったって話……」
 鈴木は平然と言った。
「嘘だよ。サブちゃんは実家でぴんぴんしてる」
「エグイわ……」




ラストまでお読みいただきありがとうございました。

第十二章の「出た」は、(花子さんが)出た、にもかかっております。

この小説は漫画版もあります。

興味のある方はこちらから。

http://torarudo.ame-zaiku.com/manga-eriarika1.html



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