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コロナののちのオン・ザ・ロード

 米作家ケルアックの「オン・ザ・ロード」をAmazonで買って原文で読んでいる。若者が群遊してアメリカを車泊で旅する。「路上」と訳されている日本語のものは学生の頃に読んだ。今やりたいこと、それは旅。
 
 ドライブに行ってきた。近くの湖まで行って、ダムを観て、ジャラードを喰って帰ってきた。私は車には興味がなく、ペーパードライバーだったのだが、親父に運転を教わった。一人で遠出したのはこれが初めてだ。

 思えば、私は旅を我慢してきた。学生の頃、カヌーで四万十川を降った。広島で広島平和記念資料館や美術館に行った。そして、松山で奥の細道で有名な道後温泉に入って、旅と酒の俳人、種田山頭火の石碑などを観て、それから四万十にたどり着いた。まだ、大学1年の頃である。厳しい陸上部に入っていたが、5日間休みを取るのだから、立派なものだ。だが、松山で金がなくなって、ホテルに泊まらず、マクドナルドで一夜を明かした。途中で、掃除の人が来て、外に出されて、カップ酒を飲んだ。ネオンがキラキラしていた。四万十に辿り着くと、ユースホステルの女店主が、野菜シェークを作って私に飲ませた、命の恩人である。飯は食パンを食っていて、トースターを借りたいと言ったら、野菜ジュースをくれた。いい人が世の中にいる。

 沖縄で住み込みバイトをしたことがある。掃除と客に出すご飯を作れば、ただで泊めてもらえて、日銭がもらえる。一夏の想い出。京都にはそれから、3回くらい行ったし、広島も2回ほど行った。
 コロナの前は、クラシックコンサートだって、美術館だって、ハーフマラソンだって行っていた。ボランティアの人間関係は、私の孤独に射す木漏れ日のようだった。私はドライブを終え、自分は自分で思った以上に我慢していたのだ、と気づいた。今まで、コロナ禍でも自分はたいした苦しみを感じていないと思っていた。世間が云うほど、コロナで苦しんでいなかった。むしろ、ローカルな流れのなかで、人生が上向いたとさえ思っていた。だが、私は不満を無意識に押し込んでいたのだ。

 私は誰もいないダムのなかで、深い流れに落ち込む大量の水を観ていた。「この景色から、私の人生は始まるのだ」、そう思った。この景色から。私は三十の男だ。田舎の実家で、ライターや講師やNPOのパートをしながら、翻訳の勉強をしているだけの。私の人生の変わり目と、世界の変わり目が重なり、私はここから人生が始まるのだ、と思った。

 これからの行き先は決まっている。順番さえも。バリ、チェンマイ、ネパール・チベット・ブータン、ポートランド(アメリカ)、そして韓国からベトナムを回ってインドへ。とりあえず、長野の満蒙平和開拓記念館、伊豆、白川郷、金沢に車で、そして、お遍路と北海道を自転車で回る。九州で青春18切符で乗り回すのもいい。東京に行って友人に会って、編集社に挨拶するのも楽しいだろう。

 私たちの旅には必然がある。コロナ禍で奪われた「旅」を、その後の世界は必死に取り戻そうとするだろう。まるで、第二次世界大戦で禁じられた歌に、世界が熱狂したように。私たちのThe Beatlesは旅である。コロナののちの、私たちの、オン・ザ・ロード!

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