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《忘れられない味》台所で生まれた”味見”という名の“つまみ食い“。

台所は、おいしくて楽しい場所。

台所は、母とすごす特別な場所。

忘れられない味は、そこで生まれました。


* * *


小学生の頃、台所で母のお手伝いをすることが好きでした。

なぜなら母が喜んでくれるから。

そして、おいしい”味見”ができるから。


例えば、たこ焼きを作る日曜日のお昼前。

台所でお手伝いをしていると、
父にバレないように、母がジェスチャーで
(コレ、食べていいよ!)と、茹でたてのたこを
指差します。

にんまり笑って、たこをこっそりと頬張ります。

祖父が釣ったたこは、旨みがあって、
生命力を感じる弾力があり、噛めば噛むほど
くちいっぱいに海の香りが広がります。


おいしいことは分かっているので、
これはもう”味見”という名の”つまみ食い”。

料理をする人と、お手伝いをする人だけに
与えられる特権です。


普段は立って食べると「行儀が悪い。」と
叱られますが、この“味見”のときだけは許されます。

でも、ちょっと悪いことをしている気もして
ヤンチャな気分に心が躍ります。


もうひとつの、”味見”という名の”〇〇”は、
調理の後にやってきます。


例えば、ポテトサラダを作るとしましょう。

ボウルにたっぷりのポテトサラダが完成し、
人数分の小皿に取り分けます。

本来なら、あとはボウルを洗うだけですが、
大切なのはここからです。


取り分けた後、母のところにボウルをもって
いくと、お箸で取れずに残ったポテトサラダを、
母が丁寧に人差し指でさらえて食べさせてくれるのです。

子どもの頃の私にとって、それはそれは特別で
とっておきのひとくちでした。

お皿に盛られたポテトサラダの何倍も、何十倍も
おいしく感じたものです。



台所で生まれる“味見”。

そのひとつひとつが、湯気のたつ台所の風景と
ともに温かい思い出となっています。


夏の夕暮れ、少し暑さが落ち着いて、
台所の窓からは涼しい風が入ってきます。

窓の向こうには、青々と茂った木々、
遠くにはなだらかな山々が見えます。

「カナカナカナカナ…」

ヒグラシの音色が響きます。

台所には、食材を切る音や、炒める音、
食器を並べる音が折り重なります。

緑のガス炊飯器からごはんの香りが漂います。

コンロでは、お味噌汁や煮物、揚げ物が
魔法のように次々とできていきます。




そんな実家の台所の風景とともに、
私の味見は「忘れられない味」として記憶されています。

帰省できたら、また母と“味見”という名の
“つまみ食い”をしながら、楽しい時間をすごしたいと思います。



* * *



こちらのお話は、あんこぼーろさんの企画「あの日の景色。あの日の味。」に参加させていただきました。

あんこぼーろさん、いつもほっこり和む企画を
ありがとうございます!