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【ショートショート】カメ

 四十度を超えた真夏日のことだった。大学のキャンパスを出て右手にある場所には、一メートル六十、七十ばかりの生き物が四、五匹、虚無を顔に貼り付けて突っ立っていた。志も持たない若者が数人、巣まで運んでくれる何かを待っているだけの光景である。私もその一人だった。平日の昼下がりは車も通らず1枚の絵のように風景が止まっていて、クマゼミの五月蠅い鳴き声だけが時の経過を感じさせるものだった。その中を自転車で通り過ぎた中年の男の、デキモノのできた首筋には、汗がつらつらと陽光を反射しながら流れていた。肩にかけたトートバッグの取っ手から伝わるノートパソコンの重みとどうしようもない暑さが、私の体力と気力を奪っていった。

 ゴオオン、という重低音が喉の奥に響き、並木の向こうの横断歩道から巨体が曲がってくるのが見えたのは、いよいよ暑さに耐えかねて水筒を取り出そうとした時だった。こちらに向かってくる巨大な長方形のそれの中には、平日の昼ということもあり、中年の女が一人、寝ているだけだった。
 鉄板に水滴を落としたような音と共に巨体は私達の前に停まり、この場所の名前を二度告げてからその口を開けた。五人のうち三人目に並んだ私が前の二人に続いてその口の中に吸い込まれようとした時。

「ポチョン。」

後ろから確かにそう聞こえた。その瞬間の胸のざわめきやいつかの記憶の巡りは、今思い返してもなんとも形容のしがたいものだ。ただ脳がその音の情報を受け取るより先に、カメだと分かった。その場所のすぐ後ろには用水路がある。
 
 真夏の中に突然現れ、そして消えたその音は、私が長い間待ち望んだ何かである気がしてならなかった。今振り返れば、私がこの数年で失った何かを取り戻せる。そうでなければ、その先同じ機会は二度と訪れないだろう、とも思った。

 瞬きの間に移っていく外の町並みを眺めながら、私は久しぶりに幼い頃を思い出した。生き物が大好きで、いつまでも、どこまでも一匹のために走っていたのはこんな真夏じゃなかったか。私の肩には、トートバッグ以外の重さがこの数年間で幾重にも積み重なってしまったようだった。私の足はその重みに抗うことができず、ただ茫然と口の中に吸い込まれてしまった。
巨体の腹の中で私は、大人になってしまった。








あとがき

こんにちはこんばんは。misaです。
今回はショートショートです。これまでなんとなく食わず嫌いしていたのですが、書いてみると案外楽しかったです。
このお話は、高校の現代文の授業を全く聞かずにその時思った事をなんとなく書き留めた物から作ったものです。これができたのはその日のつまらない授業があったからなので、あのおじいちゃん先生には感謝しています。ありがとう。
 
この物語が少しでもあなたの心にある何かを照らすことができたら嬉しいです。そうでなくても、ここまで読んでいただいて、本当にありがとうございます。僕はそれが1番嬉しいです。

…..少しだけ正直に言うなら、スキやフォローで応援していただけると泣いて喜びます。

それでは、また。




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