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高校生の独り言。#1 夢

 いつか、自分の書く文章が誰かの役に立って、その対価として得たお金でご飯が食べられたらどれだけ幸せか。僕が生み出した物語が、名前も知らない何処かの誰かに届いたらどれだけ嬉しいか。
この思いを将来の夢と言うのだろうか。
 
 学生の頃から小説家として頭角を表してきた人たちをとても羨ましいと思う。その若さで世間に認められる才能ももちろん羨ましいが、それ以上に高校生の頃に好きなことに没頭できていたということが羨ましい。 
 僕の通う高校は、ほぼ全ての生徒が大学に進学する学校で、先生達は生徒たちをどうやって良い大学へ行かせるかということを主に考え、カリキュラムに反映させている。だから僕の高校は県下一、ニを争うほど授業数や課外がたくさんある。そうなれば必然的に勉強に充てなければいけない時間は多くなってしまう。
 じゃあそういう高校に通わなければよかったじゃないかと言われるだろうし、実際そうだ。高校生活を小説に捧げるなら、別の高校に行く方が賢明だ。でも、優柔不断な僕にそれは出来なかった。
 小説以外にも教育学が好きな僕は、教育学部が充実しているとある国公立大学で研究をしたいとも思っている。そのためにはそれなりに勉強をしなきゃいけない。
 自分で選んだ道だから、自分がこの選択を正解にしていかなくちゃいけないんだけど、もう少し心身共に余裕があれば小説にも時間を割けるのに、という思いはどうしてもつきまとう。それはどこか焦りのようでもあって、大学進学後はまた今より忙しくなるかもしれないし、なにより小説家のキャリアとして大学がスタートじゃ早いとは言えない。


 高校の文化祭のステージ発表でバンドを観た。
そのボーカルの3年の女子が上手いのなんの。そこらへんの下手な歌手より上手いその歌声に感動したのは記憶に新しい。
 文化祭の後担任と雑談している時、その女子は卒業後上京し、音楽の道に歩むのだということを聞いた。それを聞いたとき、僕はなんだろうか、安堵、安心、のような何かを感じた。求めていたロールモデルが見つかったって感じだろうか。「大学進学」という言葉が溢れかえったその学校の中に、光るものを見つけたような気持ちだった。
 僕は今、その女子ほど人を感動させる物が今作れるかというと出来ないだろうし、努力も足りないだろう。でも、もし努力を積み重ね、自分の中で手応えを掴めたら。
その先輩女子の歩む道は僕の2年後を照らしてくれたりするのかもしれない。


 このようなことを日々考えているが、周りに話すのはかなり憚れる。周りの友達はみんな難関大学進学、そして就職を考えるリアリスト達。もちろん彼らの選択は素晴らしいし、小説家とかいう不安定極まりない仕事とは違い安定した生活を送れるだろう。
 でも、高校生の時くらい、馬鹿な夢を語ったりしてもいいんじゃないか。そう思ってしまう自分もいる。僕の夢だって、客観的に見れば笑われるようなものだろう。小説家になれる保証はどこにもないし、なったとして売れるかは分からない。周りは現実主義者ばかり。
否定されるのが怖い。笑われるのが怖い。
それが僕の正直なところ。でも、心の中にある僕の気持ちだけは間違いない。
 優柔不断で、勇気が無くて、でも夢を諦めきれない。そんな高校生の、感情の一部を切り取ってつなぎ合わせたような独り言。
これから不定期で書いていこうと思う。


 

定期テストのやり直し提出をサボってこの文を書いているこの時間が大切で、大好きだ。と思う。
 


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