希望があるということ
私は障害者です
なんて書き出してみると、あらためてそうなんだなと不思議な気持ちになりますが、世間一般の皆々様が見たらそうだよねって。足が不自由なんですけど、筋力の衰えが嫌で、ずっと杖で歩いていたんですよ。
しかし動かないだけではなく、もう激痛が伴うようになったんで、とうとう車椅子に変えたんですよね
もともと車椅子もあったんですけど、自走式のやつで、なにぶん私身体でかいのと家の周りが坂だらけなので使えないんです笑
自走式って自分の腕で車輪についてるパイプみたいなのを回すんですが、回せないです。あんなの無理。
そこでもう電動車椅子しかないってことで、ソレを購入しました。
毎日必ず近所のスーパーに出動するんですよ
その電動車椅子で。
それを使い始めて一気に皆さんの視線や態度が深くなったんです
杖の時はせいぜい道路渡るとき車が待ってくれるくらい
しかし車椅子になると皆さん優しいですねぇ
車は止まって譲ってくれる スーパーやコンビニで物が取れないと代わりに取ってくれる 並ぶような場面だと順番譲ってくれる 他にもたくさん人の優しさを感じます
そりゃ冷たい言葉を浴びる時もあります
多いのは、邪魔だよ どけ 等々
まあデカいですし道ではスピード出ないから自転車乗って急いでる人たちからしたら邪魔ですよね
という感じで、自分がこういう身体にならないと知らない経験を日々しています
でも、さすがに遠慮する事があります。
それは市バスに乗ることです。
名古屋の市バスはノンステップバスだと車椅子も乗れるんです
もし市内の中心部や繁華街に行きたかったら、とりあえず市バスに乗って地下鉄の駅まで行って地下鉄に乗り込む
だけど杖で移動しているときに、車椅子の方がいかに市バスに乗ることが大変なことだというのをさんざん目撃しました
まず市バスがバス停に止まります そこで運転手さんが、手伝ってバスに乗せるんですね
そのあと、車椅子を固定しなきゃいけないんですよ
その席をまず空けてセッティングして固定、いろんな作業するんですが、ソレにはだいたい五分以上かかるんです早くても。
その間他の乗客は待ってるしかないんです。
たとえば朝の通勤時間の五分、みんな急いでますよね
あちこちから舌打ちが聞こえてきます
そして車椅子の方に向けられる冷たい視線。
1人ならまだしも介助者がいると、その人は周囲に謝り倒してます。
あれを見てきたから、私は無理だなと。
どちらの気持ちも分かりますからそこまでしてバスには乗れないです。
たまにタクシー使えよ!って言葉も飛んできますしね
それだけ大変なんですよね
数ヶ月前に、映画館での障害者の扱いについて、Yahooニュースで大きく話題になってました。
なんでもその車椅子の方は、いつも突然来場して、映画館のスタッフさんに車椅子専用席まで運ばせるということを繰り返してて、とうとう来ないでくださいと言われたそうです。
それをその方がSNSにあげて炎上し、喧々諤々の騒ぎになっていました。
あとは電車利用者で、その方も連絡無く駅に行って、駅員さん何人もに手伝わせて、ある時とうとう駅員さんが足らなくて乗りたい電車に乗れず、またよせばいいのにSNSにあげて燃えるという。
障害者になると、健常者以上に人に助けてもらわないといけない場面が増えます
そして中にはそれを当たり前と勘違いしている障害者がいます
人は人と関わらないと生きていけません
助けて助け合って世の中は回っていると思います。
病気や怪我で障害者になってしまったことはたしかに本人はつらいです
でも障害者だから助けてもらって当たり前という考えは、絶対に間違っています。
障害者が健常者を思いやることも必要なんです。
そんなことも経験しながら、働いてる人は毎日大変だなと思って過ごしています。
私、たぶんけっこう深刻な状態です。客観的には。
でも、自身は呑気なもんです まあ生来の性格もあるんでしょうが、まあなっちまったもんは仕方ねえけど、この先人生どうすっかな? なんて考えるのが好きなんですね
それでいったいこの前向きな気持ちはどこから湧いてくるんだろう?って思うんです
それは希望なんです。この状況でも明るくなれるには人間希望がないとダメなんだなと痛感しています。
私、身体おかしくなってきたときに、会社でもいろいろあって退職したんですよね
それでまたそういうときにはいろいろ重なるもので、退職にも少し関係してるんですが離婚するわもう一気に家庭と仕事を失って、えらいこっちゃでした
退職したので社宅も出なきゃいけない、いや引越しもかよ。
当然仕事は探しました。でも辞めた会社が会社で、というのはそれなりに有名な会社だったので逆に仕事決まらないんです。
何故辞めたんですか? うちはそんなに給料払えないですよ 同じようなことを面接するたびに聞かれました。
もぅ仕方ない、しばらく失業保険でゆっくりして態勢整えてまた作戦考えようと。
でもまだ1人大学受験控えてたんですよ。
そうそうのんびりしてられない。
しかし結局5年無職でした。失業保険は幸か不幸か障害者特例で1年支給されましたけど、よく生活できたなという感じです。
退職金、預貯金は子供たちの学費です。
3人私立大学です(笑)
まあなんとかやりくりして生きて食べてました。
その後前職の取引先にたまたま連絡したときに、障害者枠で就職しましたけど、通えないんです職場に。
この間体調はどんどん悪くなり、障害者手帳なんか更新の度に等級が上がるんです。もう仕方ねえなと。
今は障害者年金で生活してますが、なんとかなるもんなんですね。
それでよくよく考えてみましたが、結局その度毎に、常に希望持って生きてました。
明るい材料なんて殆ど無いんです
それでも例えば小さな夢、実現できそうな夢を持ってみるんです。
挙げるにはたくさんありすぎて、割愛しますけど、ようは人間はもう駄目だ!って思うとダメになるなと。
正直命よくあるなと思う時もあります。
でもなにより私は死にたくなかったんです。
まだ何か楽しいことあるかもしれないだろって。
それが支え、希望、夢なんです。
今も新たな夢があります
それは叶うか叶わないかは分かりません
でも、自分にとってとても熱い想いなんです。
簡単に思い通りになる夢よりも、お前それに挑戦するのか?って自分で思うくらい今回の夢は燃えるんです
実際は全く結末も見えていません。
もしかしたら夢破れて、かなり落ち込むかもしれません。
でも、1%でも可能性があるなら、私はそれにかけることでエネルギーになるんです。
身体もこのまま放っておく気はありません。
医学の進歩や新たな治療法があるなら実験台になっても受けたい気分です。
今57歳になりました。しかしくたびれたおじさんとは思ってません。
学生時代からずっと鍛えて挑戦して競争して来たことも、私の人格形成に良い方に働いてくれてるかもしれないです。
希望と絶望 対極的な言葉です
そして人間はこの2つを繰り返し経験して来ているはずです。
挫折とも言いますかね
思い通りにはならないことのが多い人生
まして自分のことだけならいいですけど、相手がいる希望は相手の気持ちに入っていかないといけません
人の気持ちはこちらの思いと同じになってもらうことはとても難しいですが、言葉に出したりノートに書いたりして念ずると、不思議なことに通じてくれる場合もあるんです。
もう残りの人生のが間違い無く短いでしょうが、私はこの能天気とポジティブシンキングという特技が備わっていて本当に幸せだと感じています。
もし若い方で、何か壁にぶつかっていたり、絶望的な気持ちになっている方に伝えたいです。
人生、意外となんとかなるよって。
なんとかなると思っているとなんとかなっていくんです。
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