ガン患者が聞いた…「死」を覚悟した人が「最期」に残す「言葉」
本noteの第二弾を書きました。(2018/12/31)
ガン患者が聞いた…「死」を覚悟した人が「最期」に残す「言葉」 vol.2
https://note.mu/sim258258/n/n5b7c41e1256e
無料ですので、よかったらご覧ください。
それでは本題へどうぞ!
…
どうも「しむ」です。
普段からtwitterを介して、「死」や「大病」について自分ごととして捉えてる人が物凄く少なく感じました。
僕の闘病経験が少しでもあなたの人生にとって
何らかの役に立てたら幸せだなと思って筆を取りました。
【こんな人に読んで欲しい】
■実際人生の終わりってどんな気持ちになるのか知りたい
■人生何のために生きているのか分からない
■毎日同じことの繰り返しで人生退屈
当時の闘病日記を見返しながらこの記事を書いています。
気分が悪くなったりしたら読むのを中止してくださいね。
最後の「死を覚悟した人が最期に残した言葉」
という部分だけは見てほしいな。
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それではまず目次からいきます。どうぞ。
【目次】
1. 「しむ」という人間について
2. 異変
3. 始まった入院生活
4. 将棋をきっかけに大人たちと交流
5. 死を覚悟した人が最期に残した言葉←時間ない人はここだけでも読んでください!
-----「しむ」という人間について-----
当時の僕は、どこにでもいそうな普通の青年。
趣味はスポーツ全般と将棋。走ることが大好き。
どんなスポーツでもチーム1の運動量だけが取り柄の脚力バカ。
バスケでは相手のエースをスッポンディフェンス&全力で誰より走り、つらいときでも「笑顔」だけは忘れない。
そんなどこにでもいそうな、平凡な少年のおはなし。
-----異変-----
異変が起こったのは高校2年のとき。
夏休み前の学園祭ではひとつ上の3年生イケイケグループと仲良くさせてもらった。最初はなぜこの人たちが僕の近寄ってくるのか、よく分からなかった。よくよく聞くと、どうやら僕に気のある可愛い子がいるとのことを教えてくれた。先輩に茶化されながらもその子と仲良くなり、体育館裏に呼び出し告白!
(手法が古い!とか言わない!!)
見事OKをもらい、その場で軽くキス。
(学祭マジックというやつかな?)
そのまま手を繋ぎ、彼女を家まで送る。当然茶化してた先輩たちが後ろから興味深そうについてきているのは知っていた。誰に見られてもいい。だって好きなんだもん。幸福な時間は邪魔されたくない。見事年上の可愛い彼女をゲットし、ウキウキな僕。
それだけではない。勉強こそあまり力が入らなかったが、部活は絶好調。
学校の決まりで特進クラスに所属していた僕は運動部に入ることが出来なかった。スポーツばかりしてきたのでだいぶ寂しいが、まあそれは仕方ない。自分で選んだ道だ。
当時所属していたのは囲碁将棋部。昔から続けていた将棋を活かす場面だ。まずは個人の部で県優勝、全国大会への切符を掴む。
知られていないが将棋には団体戦がある三人一組で戦う団体戦だ。高校入学の際には将棋部に入ると決めていたので、県内の強豪数名に声をかけ、一緒に入学した。県内トップ5のうち3人が僕の通っていた高校に集まった。当然負けるわけがない。僕は大将として出場し県優勝、全国大会へ!
なにもかもがうまくいくフィーバータイム!!
人生、こんなに楽しんでいいのか?というほど楽しんでいた。
友人関係も良好で、野球やサッカーの特徴的な選手のモノマネをして楽しんでいた。野球でいうところの駒田、種田、タフィ・ローズ、ゴジラ松井、イチロー、その他にもピッチャーのモノマネなんかも!サッカーでは「ジョン・カビラです!」なんて言いながらゲーム解説のモノマネで遊んだりもした。
毎日学校へ行けば彼女がいて、友人とも楽しく遊べて…それはもう毎日が超絶楽しかった。ストレスが溜まったときはランニングで汗を流すことでストレスの解消をしていた。。。
…
そんな夏のある日、骨盤に痛みを覚えた。
しかし毎日のように運動をしていた僕はこの時の痛みも
「いつも通りの筋肉痛だろう」
「少し走る距離を減らしてみるか」
くらいにしか考えていなかった…
それにしても筋肉痛が長引く。
こんなに長くなることなんて経験したことがない…
骨盤は日を追うごとに痛くなり、ついに病院でレントゲンを撮ることに。
「なんともないみたいですね」とお医者さん。
痛みは引かないのでいくつも回ったがどこも同じ。
筋肉痛らしき痛みは1ヶ月以上続いた。
「なにかおかしい」
1ヶ月も痛みが引かないどころか
日に日に痛みは増して
ついには仰向けで寝むれないほどに。
処方された痛み止めなんて全く効かない。
多少は効いているのだろうが、それを越える痛み。
「辛い。熱い。こんなのがずっと続くなら命を絶ちたい」
そんなように思うことも増えてきた。
もう誰でもいい。
助けてくれ!!
思い切って少し遠いが大きな病院に行ってみることにした。
「精密検査をしてみましょう」と先生。
どうせ見つからないんだろうな…
命ってこんなに簡単に奪われるのか…
…
結果はすぐに出た。
「かすかに影が見える。うちでは対処出来ないので
明日には『がんセンター』へ行ってください」
何を言われたのか、すぐには理解出来なかった。
次の日には両親に連れられ、がんセンターとやらにいた。
こちらではCT検査に加えてMRI検査、他にもたくさんの検査を受けた。
この頃には、じっとしているだけでも激痛を感じる。
「即入院です。今すぐに!※骨肉腫です」
※全悪性腫瘍の0.2%、人口100万人あたり年間4~5人程度のまれな腫瘍
なにがなんだか分からない。
がん?
入院?
え?
よくよく話を聞くと、当時の技術で5年生存率は50%
今すぐに治療をしないとがん細胞が肥大化し、
取り返しの付かないことになると宣告された。
本来なら落ち込むべき局面。
僕は何故かほっとした。
入院=この痛みから開放されるかも…
二分の一を引き当てればこの痛みともおさらば?
本来ショッキングな宣告なはずだが
僕にとっては朗報だった。
一筋の光がみえた瞬間だった。
-----始まった入院生活-----
こうして抗がん剤、手術を含めた1年間の入院生活が決まった。
まずは、誰が見ても分かる腫れ上がった腫瘍。
こいつを抗がん剤で押さえつけ、小さくする。
オペの出来る大きさにまで縮まったらやっと手術の始まりだ。
検査だけのつもりで来た僕だったが、即入院ということで
家に帰ることは許されなかった。
転んだらもろくなった骨は折れ全身に転移
その後は「死亡コース一直線!」ということで強制的に車椅子。
「まあ命と引き換えならこれくらい受け入れよう。」
心にそう誓い、長い入院生活がはじまった。
入院手続きを済ませ、即自分のベッドへと案内される。
もうこのあたりは時間の経過が早すぎてほとんど覚えていない。
親には「心配しなくて大丈夫。そんな弱くないから」
とか強がってはみたものの、内心恐怖に怯えていた。
当然だが、初日は一睡も出来ず。
当時交流していたSNSの友人たちが心の支えだった。
翌朝
食堂へ行くと僕と同じくらい、もしくはそれより小さい子が
4~5人くらい、笑顔で喋りながら朝食を摂っていた。
「なぜ笑っていられる!」
「皆ここがどこだか分かっているのか?!」
「普通の病院とは違うぞ」
朝食を摂れない僕に車椅子の子が近付いてきて
「食べないの?いらないならパンだけちょうだい」と一言。
食事なんていう気分でもない。食欲もない。
「食べれないからあげるね」
彼にあげることにした。
これが入院患者と交わした最初の会話。今でもよく記憶している。
この子のことも語りたいが、それは次のnoteに譲ろう。
今回伝えたいのは別だ。先を急ぐ。
-----将棋をきっかけに大人たちと交流 -----
なんだかんだあったが、とりあえず普通の入院生活を送るようになった。
闘病生活は辛い。
一ヶ月のうち、計10日間は薬を流しっぱなし。
その他は薬の副作用で大体グロッキー。
本当に元気なのは月に1~2日。
まあ治療なので仕方ない。
これをしないと治らないのだから。
こんな感じで治療を行っていたが、安静にしているだけでは
どうも気が滅入ってしまう。
なにか良い方法はないだろうか。
そこで僕が出したのが将棋だった。
入院患者の大半がおじさん~おじいさん。
これは気を紛らわすのに最適だ!
ということで毎日談話室で将棋盤を開く日々がはじまった。
最初は一人ぼっち。
駒を並べて一人将棋をしていると、大人たちは興味ありげに近づいてくる。
ぼっち将棋は5分で終了。
集まってきてくれた大人たち全員と対局することになった。
僕としてはありがたい。
極上のゲームが目の前にあり、それをたくさんの人と出来るのだ。
みんなどのような将棋を指すのだろうか。
戦法は?攻め将棋?受け将棋?
棋力はどのくらい?
分からないことだらけ。
一つはっきりしているのは、ここに集まる人は皆
将棋のルールを知っていて、将棋に関心があるということ。
とりあえず対局だ。
初日は5勝1敗
まさか負けるとは思わなかった。
羽生善治さんの出た将棋道場に通い、中学高校では県ナンバー1だった。
入院直前だって全国大会で戦っていた現役プレイヤーだ。
聞くとおじさん、相当将棋が好きでアマチュアトップレベルの実力だということがわかった。
彼の名前は田中さん(仮名)
入院生活で一番お世話になることとなる人との出会いだ。
※ 彼との話は別のnoteで書くことにします。
僕も田中さんも抗がん剤治療をしているときはベッドから出られない。
お互い過酷な治療の息抜きとして将棋を楽しんだ。
田中さんがいない間にも
「将棋出来る人募集!誰でもカモン!」と食堂に貼り紙をさせてもらい、
毎日のように将棋盤を広げた。
正確には数えていないが50人以上は相手をしてくれただろう。
彼らの大半は「生」と「死」のハザマにいる人たち。
次の検査で転移が確認されれば緩和病棟行きとなる。
そんな人たちも
僕と同じように話し相手を求めていたらしい。
-----死を覚悟した人が最期に残した言葉-----
前述の通り、僕は50人ほどの人々と将棋盤をはさみながら会話をしていた。
そのうちの9割以上が救われない命だった。
ここからは彼らが最期に残してくれた言葉を
当時の日記から引っ張り出して、僕なりにまとめてみた。
大きく分けて4つ。どうやら人間は最期にこのあたりを悔いるようだ。
※ 僕が勝手に分類しただけ
「自分の気持ちに関する後悔」
「人間関係の後悔」
「お金や仕事の後悔」
「健康に関する後悔」
一つずつどのような言葉があったのか羅列してみる。
「自分の気持ちに関する後悔」
☑思い切って自分の気持ちをしっかりと伝えておけばよかった
☑もっと自分の好きなように生きればよかった(やりたいことを実現出来なかった)
☑夢や自分の信じる幸せを途中で諦めなければよかった
☑海外旅行など、行きたい場所に行けなかった。もっといろいろな文化や人種を知りたかった
☑勇気を出して会いたい人に会いに行けばよかった
☑他人の目を気にしすぎたなあ。もっと自由に生きればよかった
☑海や山など、もっと自然と触れ合いたかった
☑第二の人生に期待したらダメだね。やりたいと思ったときに行動すればよかった
「人間関係の後悔」
☑友人が一人もいないと最期、こんなに寂しくなるんだね
☑いまさらだけど、他人に親切に出来る人間でいたかった
☑故郷に帰らず親との交流がなかった。親を残して先に逝くなんて…
☑親孝行というものをした記憶がないなあ
☑嫌いな人間とわざわざ付き合い、人間関係で我慢することは時間の無駄だった
☑病室で食べるご飯は孤独でマズイなあ
☑人を騙したor裏切ったことって最期までつきまとうんだね
☑たくさんの人に会って、様々な価値観をみたかったなあ
「お金や仕事の後悔」
☑働きすぎた!金だけはあるけどそれが原因で息子たちは相続で言い争って
る…父親がこんな状態でも
☑仕事ばかりで自分のための時間を割くことが出来なかった!つまらない人生だった
☑会社の歯車にしかなれなかった!俺の人生ってなんだったんだろうね
☑金の亡者になってしまった!楽しい人生も親しい友人もそこにはなかった
☑金より大切なことがたくさんあると知るのがあまりにも遅すぎた
☑汚い稼ぎ方はあの世にいっても記憶に残るんだろうなあ
「健康に関する後悔」
☑検査さえしっかり受けていれば手遅れになることはなかったのに
☑タバコ、酒、ほどほどにしなよ!俺みたいになってしまうぞ
☑自分がこんな病になるとは思いもしなかった!準備出来てない、後悔だらけだ
-----
最後に少し
「自分がもうすぐ死ぬという事実は、大きな決断をする手助けをしてくれる、人生で最高のツールだ。外部からの期待、プライド、恥をかいたり失敗したりすることへの怖れなど、ほとんど全てのものは死と向き合うと消え去る。そして本当に大切なものだけを残してくれるんだ。」
「私があの世に持っていける物は、愛情にあふれた(ポジティブな)思い出だけだ。これこそが本当の豊かさであり、あなたとずっと一緒にいてくれるもの、あなたに力をあたえてくれるもの、あなたの道を照らしてくれるものだ。」
どちらもスティーブ・ジョブズから借りてきた言葉。
死を常に意識するなんて、常人には出来ない。
僕もそれを強要することはしない。
ただね、たまには自分の人生振り返ってみて!
あの世に持っていける思い出、どれだけある?
なければこれからいっぱい作ろうよ!
メメント・モリ
「自分がいつか必ず死ぬことを忘れるな」
「死を記憶せよ」
ここまで読んでくださり、本当にありがとう!
いかがだったでしょうか?
書きたいことはたくさんありますが、この辺にしておきましょう。
評判が良ければ続編を書こうかなと思っております。
もっと熱く語ります。
追記
本noteの第二弾を書きました。(2018/12/31)
ガン患者が聞いた…「死」を覚悟した人が「最期」に残す「言葉」 vol.2
https://note.mu/sim258258/n/n5b7c41e1256e
よかったなあと思ったら「拡散」、そしてお気持ちの投げ銭、お待ちしております!
500円あったら美味しいランチが食べられます。
もう少し集まったら本が買えます。
学んだことは皆さんにどんどん共有していきたいなと思っております。
twitterでもどんどん絡んでくださいね。
たくさんの人とお話をしたいです。
本noteについての改善点、もっと詳細まで聞きたいなど、ご意見・ご感想をいただければどんどんアップデートしていきたいと思っています!
@sim258258
今後も よろしくね(。・_・。)
☆Special Thanks☆
■そもんずさん @somonsism
■まさみさん @MASAMI_ism
■Nobelさん @y_individualism
note執筆のきっかけはあなた方です。
一人では書くことはなかったと思います。
背中を押してくれてありがとう。
感情がこもりすぎて発表が遅くなってしまいました。
偶然にも3人共ismがついていますね。共通点発見!
■PVマフィアさん @pv_mafia
どうやったら皆に興味を持ってもらえる文章になるか、アドバイスをいただきました。いつも応援ありがとうございます。
■ファーさん @farfar0615
このnoteを読んで挿絵を描いてくれました。
僕には出来ないこと。心から尊敬します。
追伸:
最後まで読んでくれてありがとう。
正直このnoteを書くのは相当苦労しました。
当時の日記を引っ張り出してきて、思い出すだけで吐き気が止まりません。
人間の反射行動なんですかね。闘病中は吐き気との闘いだったので、それが今も身体に染み付いているのかもしれません。
今も様々な病気と闘っている人たちがいます。
過去の僕のように、小児がんで苦しんでいる子もいます。
少しでも広まって、誰かの助けになれたら嬉しいな。
書き終えたらそんな気持ちになりました。
僕は「自殺」を許せません。
命を絶ったその人自身だけでなく、
そうせざるを得ない状況を作った人間たちが許せない。
もし、誰かのことを追い込んでしまっているかも、と心当たりのある方
明日はもう少し暖かく接してあげてくださいね!
せめてあなたの周りだけでも暖かい空間を作ってください。
僕からのメッセージは以上です。
これからも情報発信をしていきます。
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それでは、また次のnoteでお会いしましょう。
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本noteの第二弾を書きました。(2018/12/31)
ガン患者が聞いた…「死」を覚悟した人が「最期」に残す「言葉」 vol.2
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