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中学までの体験しか語れない生徒たち

大学の推薦入試、総合型選抜を受けるほとんどのケースで、高校生は自己推薦書や志望理由書を書くことになるのだが、本人たちは大真面目なのだろうが、全くピント外れの内容になってしまうことが多くある。

…このテーマはとんでもなく幅広くかつ奥が深くて、とても今回の記事だけでは収まらない。そこで、今回はその中でもよく見かける、「中学までの体験やそれによる学びしか書けない」ことについて考察してみたい。

本人は一生懸命、自分にとってその義務教育卒業までの体験がどれほど重要かを伝えようと、言葉を尽くして語るのだが、残念ながらそのほとんどが大学側にとって食指の動かないものになっている。大学側が知りたいのはそこじゃないのである。

まず、大人と同じ土俵でも勝負できる体験でないと、全く相手にされない。大人も一緒に競っている全国大会や国際大会は別だが、いくら全中で優勝しようとも、いくら書道の特待生になっていようとも、所詮中学生や小学生の中でのリザルトなら、ほぼ大学側にはスルーされる。大学が知りたいのは、「高校で何をしてきたか、それによってどう成長したか」である。それが高校生だけでなく大人の中でも通用することならなお良い。最も、そうであっても、その学部学科にとって全然興味が湧かない内容なら、評価ゼロになることも珍しくない。

…そもそも、大学側にとって、受験限りの縁で不合格になる者の過去など、何の価値もない情報なのだ。志望理由書は自分の事情を語る場所ではない。向こうにしてみれば、「うちに来て何するつもりなのか」、もっといえば、「君を採ることでうちに何のメリットがあるの?」が知りたいのだから、それに応えないと、何やらふわふわとピント外れのことを書いてるなあ、と思われて、下手をすれば面接にすら辿り着けず、一次落ちすることになる。

大学の推薦入試で全中優勝の体験しかアピールできず、見事に散った者を知っている。口を酸っぱくして止めたのだが、中学での無理が祟って腰を痛めて高校ではほぼ勉強しかしていない本人にとっては、全中優勝の経験が絶対的だったのだろう。「だって全中ですよ?優勝ですよ?」…いやいや、高校でその競技続けてないんだから全く意味ないよ、と言っても全然聞く耳を持たず、当然ながら惨敗した。皆勤で評定平均(今は「学習成績の状況」と呼ぶらしいが)はほぼ5なのだが、難関国公立大学を推薦で受けに来る者はだいたいそんなものだから、全然アドバンテージにならない。…そもそも、そのクラスの国公立大学の人文系の推薦入試が全中優勝がアピールポイントのメインで受かると思っていることの方がおかしすぎるのだが、周りの大人も、全中優勝は素晴らしいに決まっている、大学も絶対分かってくれるはずだと、教員ですら焚きつけるものがいるのだから頭が痛い。

本人にとってとても大切な経験であることは百も承知である。だが、殊に大学の推薦入試や総合型選抜の場となると、大学側の望む人材像から離れたこと、大学にとって望む人材かどうかが判断できないことに字数を割いたり面接の時間を費やしても、絶対合格には辿り着かない。

うちにに来るために高校で何をしてきたかを知りたい大学に、いくら中学のことをアピールしても、評価対象になっていないのだから、当然0点である。(何が評価対象か分からないなどという者は、大学のパンフレットや募集要項すら熟読していないと自ら暴露しているだけなので論外である。)

高校の体験や実績であっても、その学部学科にとって的外れなら同じように評価はゼロになる。某国公立大学の文化系学科の総合型選抜で自己アピールの時間がある所があって、インターハイ上位入賞者の受験生が、持ち時間の間ずっとラケットの素振りを続けたことがあったそうだ。文化を研究する学科の教授陣に一体何をアピールするつもりだったのか…。その場の空気を想像するだにいたたまれない。どうして受験に行く前に誰も止めなかったのかと不憫でならない。当然不合格だったようだが、これも、部活動やインターハイを特別視し過ぎる周りの空気の犠牲になったとしか言いようがないと思う。

ただこれは、日本の高校のあり方にも問題があるのではないかと思う。都道府県にもよるのだろうが、相当優秀であっても勉強や部活動しかアピールできるものが何もない高校生を量産してしまっているのではないだろうか。高校での体験が薄っぺらなら、当然中学までのことしか語れないだろうし、部活動にほぼ全てのエネルギーを費やしたのなら、それしかアピールできなくなるだろう。高校で生徒たちの人生をより豊かにする教育を、進路についての知識を十分に提供できていないのではないか。教育として目指す理念を欠いたただの受験指導、ただの部活漬けにしてしまっていないか。だから彼らは高校より前の体験しか語れず、部活動しかしていないから的外れと分かっていてもそればかりアピールする。…受験勉強がほとんどの社会人の仕事においてほとんど役に立たないのと同じように、部活も、その種目が直接仕事として活かされることなどほとんどない。私立大学などは、本当に欲しい競技者は、監督を通す場合にしろ直接にしろ、入試が行われるだいぶ前に声をかけてスカウトしているのだから、それがない時点で、一般受験者より多少有利な評価になるかという程度である。高校で最も頑張ったことを聞かれて、「塾での勉強を頑張って、模試の偏差値が上がりました」と、面接練習で目をキラキラさせて語ってくる高校生にも目眩がするが、同じくらい、何を聞いても部活動のことしか語れない、全国大会に届くかどうかのレベルの高校生にも同じぐらい不安を感じる。…部活動を通した人間的成長について語ることができる者はだいぶマシだが、それも向こうの求めている人材像に合っていなければ、不合格一直線である。

受験にしろ部活動にしろ、大人の事情に巻き込まれて、貴重な高校3年間を実質薄いものにしてしまっている高校生の何と多いことか。不要なもの、的外れなものに時間も労働力もかけすぎて著しく効率を落としている日本の産業構造と同じことが、教育現場、特に大学入試に関わる所でも頻繁に起きているのではないか。それはどちらもとてつもなくこの国にとって損失となって、将来大きく跳ね返ってきてしまう気がしてならない。

勿論、そこから脱却して新たなイノベーションを起こそうとしている企業や、高校、中高一貫校も存在する。願わくば、それらの輪がより広がって一般的なものとなることを祈っている。

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