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日本の教育に感じる経済的違和感

日本は国が教育にかける金が極端に少ない国だと言われる。

GDP比で見ても、先進国と言われる国の中で非常に教育予算の%が低いが、それだけではない問題が多々絡んでいると感じている。

ただでさえ少ない国の教育予算が、果たしてどれほど正しく教育に使われているか、甚だ疑問なのだ。

一人一台タブレットなど、元々の文科省の計画では、2020年には達成できていたはずなのである。そういうタイムスケジュールが文科省の出す文書の中にあった。予算もちゃんと着いていたそうだ。

これが計画通り実現していれば、コロナ禍初期でもほぼ自宅学習に困らなかったであろうに、何故実現していないかといえば、予算が地方に交付された後、他のことにことごとく流用されてしまったからだそうだ。

…2018年あたりに、その文科省の事業の旗振り役の一人だった国立大学の教授から直に聞いた話である。その時ですら、後2年で全員タブレットなど絶対無理な話だった。予算はすでになく、時間的に見てもWi-Fi等のインフラ整備が間に合わない。システムを運用できる人材の確保も育成も絶望的…。もしコロナ禍に入った直後、かの教授と話をしたなら、それ見たことかと、大憤慨したことであろう。

地方の行政担当だか政治家だかが優先度が低いと思うと、国から降ってくる義務教育予算など、あっさり別の所に振り分けられてしまう。ましてやICT関係など、重要性が理解できない面々の手に委ねられた日には、綺麗さっぱり無くなってしまう。

というわけで、あのコロナ初期の休校対応での大混乱が起きたわけだが、何故どのマスコミもこの部分に突っ込まないのか、甚だ不思議だった。知らなかったのか、別の忖度が働いていたのかは推測の域を出ないので、考えないことにする。

また、スーパー○イエンス事業にしろ、予算が降ってきても、それを使って現場が本当に欲しい物品を購入できる訳ではないらしい。どうも購入する物や委託先がある程度指定されているようで、問い合わせても認めてくれないそうだ。SSH事業の予算関係を管理する団体なるものが存在しているらしく、一般小市民の愚考では、すわ天○り団体か、とつい邪推してしまうのだが、どうやらお金の流れる先は、あらかじめかなり上流の段階で決められており、下流からはもう流れの大枠は変えることが難しいのではないかと、話を聞いていて感じてしまった。

そんな調子なのだから、この国はGDP比にして3%弱しか予算をつけていないどころか、その3%のうちでまともに教育に使われている金額はもっと少ないと見るべきだと思っている。下手をすると1%にも満たないかも知れない。OECD最下位クラスどころか、世界最下位クラスかも知れない。

物凄い勢いで学校図書の予算が削られ続けたり、公立の教員の給与が一律に別の事業や復興のためと称して数%引かれたりするようになったのはいつぐらいからだったか。多分バブル崩壊後からだと思うから、かれこれ30年。教育は聖域どころか、とうの昔から都合よく食いものにされてしまっていたのであろう。

昨今、空を飛ぶ物の事業が国主導だろうが民間だろうがことごとく失敗続きだが、もっと酷くなるんじゃないかと思っている。知的財産に対する先見の明も、そのための研究予算の注ぎ込み方も、致命的なこの国である。教育だの研究だの、金を惜しんだらどんなことになるか火を見るより明らかだと思うのだが、コンピュータやプログラムが、お金をかけなくても叱咤激励すれば根性で動くと思いたがる向きや、バブル崩壊以降、後先考えないコストカットばかり実施し、成果を出したと本人も周りも勘違いしているおかげで成り上がってきた御仁達が差配する側に居座っている限り、民間も国もどうにもならないんじゃないかと思っている。
(成果というのはプラスの実績が現状より増えることであって、トカゲの尻尾切りや、タコが自分の足を食べているみたいなことを評価し続けるのは絶対間違っていると思う。新しく利益を産み出せることよりコストカットを評価するなど正気の沙汰ではない。評価していいのは、経営や運営において、何も減らさず知恵と僅かな工夫で大幅な経費節約が実現した時だけである。研究や教育、殊にコンピュータ絡みの場所はパワーゲームの世界で、いかにぶっ込み続けるかが勝敗を分けるというのに、ここでコストカットを進めるなど、国や企業という建物の基礎をごっそり抜いていくようなものである。後で来る負けは取り返しがつかないほどのデカさになるはずだが…。はて、何で最近、そんなことも分かっていなかったような不祥事ばかり見聞きするのだろう?)

もっといろんな所で人口流動が起こって、ダメなものは終わっていき、先見の明のある選択ができるものに切り替わっていって欲しいものである。




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