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ヒジキナリ。

1年前の5月のある日。母からLINEが入った。

『藤の花が邪魔で、ベランダに洗濯物が干せない。』

はて、と返信に悩む。

実家のマンションのベランダは、藤の花なんて大層なものが育てられるほどは広くない。何のことやらと思っていたら、続けざまに写真が送られてきた。

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わぁお。絢爛さのかけらもない。

私『これは…ひじき?』

母『そう。父が海に行って採ってきた。』

私の実家は横須賀にあり、海にほど近い。海辺で頼りなく揺られている藤の花…もといひじきなど、日常の風景だ。

父は普段より週末は釣りに出ることを趣味としていたので、その延長でおもしろがって採ってきたらしい。

しかし、こんなにたんまり採ってきて干してるということは、食べる気であるということだ。

ひじきよりは、いつもみたいにアジの開きとか作ってほしかったなぁ…というのが正直なところだった。釣りたてのアジで父が作る開きは、干物になってもなお脂を失わず、締まった身の旨みが段違いだ。

まぁ、特に手伝いもせずに恩恵に預かっているだけの娘なので、口出しする権利などない。

「へ~、いっぱい採れたね。すごいねぇ。」と無難に返すしかないのである。

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それから数日後、お披露目の日はやってきた。祖母の家に親族で集まった時、父が意気揚々と件のひじきを携えてきた。

いつも祖母の家に集まった時は、父が釣ってきてくれた新鮮な魚を刺身にしてもらい、ビールと一緒にたらふく頂くというのがのお決まりだ。

その宴の主役が、今回はひじき。

ひじき。

海藻。

褐藻類ホンダワラ科ホンダワラ属の海藻の1種。(Wikipediaより抜粋)

繰りまわしてみても、全くはしゃぐ要素がない。ついでに持ってきた、といった体で冷蔵庫で控えているアジの刺身なんて、さぞ不本意だと思う。何せアジ様はおろしたてのぴかぴかで、色もつやつやと鮮やか。みんな大好き、ぷりっぷりのお刺身なのだ。

「このひじきはすごくおいしいから、かき揚げにして食べるよ!」と母が宣言した。

揚げ物という魅力的な装備が加えられた!

しかし、やはりひじきには、お刺身に迫れるほどの勢いは、正直、ない。

ごめん、ひじき。嫌いじゃないし、いいひとだなって思うけど、本命には考えられないの。っていうか本音を言うと、今まで好き嫌いすら意識したことすらなかったの。だってあなた大抵何かと煮てあるか、たまにごはんに混ざってたりするくらいじゃない?

私の胸のうちなど知ることもなく、ひじきは大量のかき揚げとなって卓上にこんもりと盛られていく。ひじきのみの丸々としたかき揚げ。んん。黒い。

しかし何にせよ、出来立てのあったかいうちを頂くのがいちばんおいしい。かつ、礼儀。

ひじきのかき揚げの他にも、えびやピーマン、てっぷりとした椎茸なんかの天ぷらも盛りに盛られている。おばあちゃんお手製のブロッコリーの芯のぬか漬けや、うす紅に染まったカブの酢漬けなんかもズラリと並んでいる。冷凍庫に入れておいてくれたグラスは、指先がくっつくくらいにキンキンに冷えている。そこに瓶ビールをなみなみとついで乾杯する。

私の家族達は、おいしいごはんを食べる事にはとても貪欲だった。両親が食卓に出したものが、おいしくないはずがない!

初登場のひじきのかき揚げに、みんな次々と箸を伸ばす。私もひとつお皿にとり、ホカホカとあたたかいやつを、サクリとかみ砕いた。

「んー!」

みんな目を見開く。

おいしい。しかも、半端じゃない。

ものすごくおいしい!

魚介類とはまた違った、混じりけのない磯の香りが口いっぱいに広がる。植物性故の爽やかさなのか。咀嚼すると何度でもその香りが波のように繰り返し押し返す。衣のサクサクとした軽い歯ごたえとは別に、ぷちぷち、ぎゅっ、と海藻をかみしめているという弾力もある。

普段かんでるんだか飲み込んでるんだか区別のつかないひじきとは、ものが違いすぎる。えびもアジも差し置いて、ひじきでビールが止まらない。「ひじきでビールが止まらない」という文章が私の中で成立したことが驚きだ。

・おいしい肉→いわずもがな

・おいしい魚→もちろん分かる

・おいしいひじき→new!!

海産物には恵まれて育ってきた方だと思うけれど、『ヒジキガオイシイ』なんて、もはや新しい概念だ。

その後、乾燥させたひじきを分けてもらって自分で調理したのだが、水に戻した時点で格が違った。水分を吸ってぐんぐんと膨らんだ様子は、そのままぷちっとはじけるんじゃないかというくらいの肉厚だった。ちょっと鳥肌が立つくらいのむちむち感。

試しにニラと一緒にチヂミにしてみたら、小麦粉の中で戦い抜いた末、何とニラの香りが負けた。ニラにも悪いことをしたし、せっかくのひじきを二度とあんな使い方はすまい、と固く誓った。

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緊急事態宣言が発令され、世間全体がひっそりとしていた今年の4月。

その中で私の父の青春は光り輝いていた。今年もひじきの季節がやってきたのだ。

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母『職人は、今年は茎を分けて干したり、技を身につけ始めた。』

確かにこれはもう職人だな…と思ってしまうから、母のLINEに何も突っ込めない。

昨年ひじきを採ってきた時から、父は猛然とひじきについて学んだらしい。
ひじきは毒素を抜くために、何度も水にさらし乾かし…と、それだけで面倒な作業を繰り返さなければいけないのだけれど、「水に戻すときは茹でたほうがいい、いや蒸したほうがおいしいらしい…」など、試行錯誤を重ねていたという。

ひじきは茎と芽の部分がある。茎はしっかりとしていて、かき揚げにするにはこちらがいい。一度保存用のビニールバックに詰めようとしたら、針金のごとく突き破ってきたほどに固い。芽は所謂「芽ひじき」で、煮物やひじきごはんにはこちらがいい。

もらったものを何も考えずに用途に合わせて使っていたが、実は父は乾燥し終えたひじきを広いところに全て広げ、混ざっていた小さな不純物や他の海藻を手作業で取り除いていたらしい。あの大量のひじきを、すべて。

考えただけで気が遠くなる。市販のものと変わらず使えていたのは、父のこまやかさのおかげだったのだ。齢60を過ぎた父のひじきに対するその情熱は、娘に対する愛情よりずっと大きく感じる。どういうことだ父。別にいいけど。

「テレワークに切り替わったのに、リビングが使えない…。家中磯臭い…。」と母は嘆いていた。これもひじきの為の尊い犠牲だ。敬礼。

大量のひじきも乾燥してしまうと、有り余るほど、と言うほどではなくなる。しかし、このおいしさを家族だけで楽しむにはもったいなく、香りが飛ばないうちに親戚や知人に分けたりなどしていた。

母「去年ひじきを分けてあげた職場のひとの旦那さんがね。お父さんのひじきを食べてみたらひじき嫌いが直って、『今年は流石にもらえないのかな…』って心配までしてたっていうのよ~」

何だそのエピソードは。何かの宣伝にしか思えない。

そうは思いつつ、娘としては誇らしかった。(その職場の人が多少話を盛ってくれていたとしても。)だって本当に笑っちゃうくらいおいしいもの。

私の友人達にもとても好評で「マスターや…ひじきマスターがおんしゃあ…」という感想を引き出した。

しかし近所の海とはいえ、今年に関してはコロナ禍の下、毎週末ひじきを海に取りに出かける父が心配になるのも事実だった。が、おいしいと他人に言ってもらった時の父の満足そうな顔を思い浮かべると、「父が楽しいなら娘も楽しい」と、何も言う気は起らなくなった。健康って、そういうことなんだ。多分。

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手作りの食事は確かにおいしい。でも、レンジでチンしたってレトルト使ったって、おいしい食卓を囲めるならどんな楽したっていい。楽ちんおいしいって最高じゃん、と私は思っている。

ただ、『手間をかけずにおいしい』が成立するのは、誰かの手間と愛情をどこかで一旦かけてもらっているおかげなのだな ということを、ひじきごはんをかみしめながら私は思うのでした。

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母『先週末から「ひじきはもういい」って父が言い出した』

私『流石にあれだけやったら疲れちゃったか』

母『いや、「ひじきが柔らかくなくなってきた」って言ってた』

父は、いっちょ前に旬を見極め始めたらしい。

来年も、みんなでおいしいひじきを食べたいと思っている。


※私が今までひじきに対する感受性に乏しかっただけであり、この文章はひじきを愛する方々・ひじきに尽力する方々を否定するものではありません。





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