力があって、余裕があれば誰でも王になれるのか。
Amazon primeで進撃の巨人を見ました。ああいう世界観の作品大好きなんです。
軽くネタバレになりますが、作品の中で、切り裂きケリーというキャラがでてきます。彼は名前の通り切り裂き魔で、強くなければ生き抜けない環境で生きてきました。負け知らずで恐れられていたケリー。
そんな彼がある時王の命を狙ったのですが、圧倒的な力の前に敗れます。しかし、王でありながら頭をたれる姿に心動かされ、王のために働くことを決意します。心を動かしたのは何だったのかを確かめたかったのです。
「愛だ平和だ言ってられるのは、お前たちが余裕があるからだ。」
「もし、力があって、余裕があれば誰にでもなれるのか、オレでも…。」
メインストーリーではないのですが、このやり取りが個人的に印象に残りました。自分のことだけでなく、世界のことも考えながら生きる。これは生まれた立場で決まってしまうものなのか、仮に王の立場に自分がなったとして、果たしてほんとにそうなれるのか。
全く違う視点で見てしまいましたが、僕は世界がいい方に向かってほしいと思っています。でも、愛や世界平和を叫んだとしても、自分が満たされた状態でないと、どこかで自分を犠牲にしてしまって本心から願うのは難しいとも思います。
もし世界を変えたいと思ったら、まずは「自分を満たすこと」から始める。これしかないと思っています。
世界を変えたいと思わなくても、自分を満たすことは大事ですよね。大きなヴィジョンを持っていればエラいわけではありませんから。
ビジネスを教えてくれた先生も同じことを言っていました。自分を満たすためには数千万あれば足りる。自分を満たし尽くすと飽きがくるので、そこからは人を引き上げるほうにマインドが変わっていくのだそうです。
僕は形而上学を学んでいます。形而上学とは哲学とも似ているのですが、「自分は何者か」を探求する学問です。普通に生活していくだけだったら考える必要もないことです。
僕は生きることに追われてキツかった時期があるのですが、そんな時ほど、なぜ生まれてきたのか?ほんとうは何をしたいのか?を考えていました。成長したいと思っていても、どうしていいかわからないという感じでした。
形而上学を学んでから、少しずつ疑問が解けていって、生きるということ、これからやりたいこと、心の芯がぶれずに生きられるようになりました。
今のセラピストとしての活動も、1人でも楽に生きられる人が増えればと思いやっています。そんな人が増えていけば世界は変わっていくと信じています。
話がそれましたが、目指すところ、「平民出身だとしても、王のように生きることができるのか?」ということですね。王といっても名君主もいれば暴君もいます。また国を持つ、国のリーダーになるというニュアンスも違います。何を持って王なのか、何を持って自分の国とするのか、まずは自分を満たすことをしないと、それすらもわかりません。
僕はいま不満というものがほとんどありません。一つ一つ不満の原因を無くしていっての今があるからです。でも全ての不満がなくなったかと言うとそうではありません。まだ満たしたいところはあります。なので、王になりたいけどまだキングJr.中間点なのだと思います。
なので、まず自分を満たす。とにかく満たす。自由に心の余裕を持って生きる。追い求めていく価値があることだと思います。
いつも記事をお読みいただき、ありがとうございます。少しでもお役に立てれば幸いです。