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久しぶりに「猛毒」を引いた話


前置き


 インターネットの海を彷徨っていると、たまに「猛毒」と言って差し支えない情報にぶち当たることがある。
 それは何気ないツイートだったり、多くの人に読まれていそうな記事だったり、短い動画や音声だったりする。多くの人に親しまれているものである場合もある。何かが致命的に噛み合わないせいで、ヒュドラの毒で不死を返上するところまで苦しめられたケイローンのように私を苦しめることになる。
 ……流石に話を盛りすぎたかもしれない。とにかく運悪く私の目を射抜いた「猛毒」によって、私は暫くの間暗い感情に支配されることになるのだ。「それはおかしくない?」「そんな訳無くない?」「適当言わないでくれる?」等々の文言が頭の中を埋め尽くす。
 暫く大人しくしていれば消えてくれることが大半だが、中々「解毒」できない情報もある。そういうときは誰かに共有することで大人しくなるのを期待する。それでも駄目なときは、更に多くの人に共有する。
 以前、呪われた人間が呪いを拡散して自身への呪いを弱めるために、自身の恐怖体験を不特定多数に読ませるといった創作話を読んだことがある。私の喰らった「猛毒」も、この話における呪いのように薄めて分散させてほしい。
 今日の話題はそういうことである。故に負の感情が苦手な人は、これから先読まないで欲しい。

事の発端


 そもそも致命的な「猛毒」に触れないように、私はあまりSNSを見ないようにしている。特にTwitter(意地でもXとは呼びたくない)には何度も「猛毒」を浴びせられてきていたので、限られた人間しかフォローしていないアカウントしか使用しないことが多い。
 そうして「猛毒」に触れる機会が減ってきていたので油断していた。敵は別のプラットフォームにも居たのだ。
 私はよくYouTubeで動画を見る。それも基本的にお気に入りのチャンネルのものしか見ないのだが、時間があるときはオススメとして表示された動画を見ることもある。そしてたまに不快な気持ちになりつつも学びとして捉えるということを繰り返していた。
 今日も、「あまり共感は出来ないがたまにためになることを言う人」として認識しているチャンネルの動画を開いてしまった。特に害の無さそうなタイトルだったから油断した。
 その動画は「他人から好かれる言葉3選」みたいな内容の、コミュニケーション力のパラメータが非常に低い私の興味をくすぐるものだった。ランキング形式で紹介されていた言葉達を聞いて、私は目と耳を疑った。

「いや、ぜんっぜん嬉しくないしこんなこと言ってくる奴ちっとも信用出来ないんだが!?」

 もう三位を紹介した時点で動画を閉じておけば良かったのに、あまりの衝撃で一位まで視聴してしまった。そして出た感想が上記だ。本当に後悔している。
 すぐさま知人に動画を共有し、自分の感想を伝えたのだが、全くもって感情が収まらない。故に、いっそのことNoteで共有してしまおうと思ったのだ。
 実際どんな言葉だったのか、同じようにランキング形式で紹介する。その後私の意見を言わせてもらうとしよう。

三位:「ひょっとして」


「ひょっとして〇〇さんって××(何かポジティブなワード)ですか?」のように遣うことが推奨されていた。当たれば「この人は私のことをよく見てくれている」と思わせることが出来るし、当たらずとも「自分はそう思った」と付け加えることで「他人から見たらそう見えるのかも」と錯覚させ、同等の効果を得られることが出来る。
 確かにそうかもしれない。しかし私はこんなことを言ってくる奴は信用ならないと思う。詐欺師か何かにしか見えない。大体人に自分のことを言い当てられるのは親しくなければ気持ちが悪いし、「お前に私の何が分かる?」と思ってしまう。
 単純に私の性格が悪い。
 少なくとも距離感を詰めるのに適した言葉ではないと、私には思えてならない。

二位:「あなただから言うけど」


 秘密をあえて言うことで相手から信頼を得る。秘密の前に特別感を持たせる言葉を付け加えることで、信頼していることを示す。
 まあ人間、「ここだけの話」がチョコレートのように甘美なもののように見えることもあるだろう。
 ただちょっと待って欲しい。
 こんな風に言う奴、他の奴にも同じこと言ってるって。
 信頼している人にだから言う秘密や愚痴は、こんな枕詞無くたって会話の雰囲気で分かるものだ。「こんなこと他の人には言えない」というのは心の底から出てきて初めて効力のある言葉だと私は思う。
 小手先の技術としてこんなこと言ってしまえばどうしたって相手に透ける。100%誰にでも分かるとは言わない。であるなら騙される人は存在しない。「あなたにだけ」という言葉に力があることは私も認めよう。しかし魔法の言葉のように取り上げるのはどうかと思う。
 投稿者も「使用する頻度は考えよう」と発言していた。しかし気を付けるべきは、本当に頻度だけなのだろうか。

一位:「他の人と違って」


「他の人と違って××(何か褒め言葉)ですよね」という風に遣うらしい。相手の承認欲求を満たせる言葉だが、貶すときに遣っては信頼が壊れるから遣ってはいけないという発言をしていた。
 断言しよう。こんな枕詞で褒めてくる人間を、私は信用できない。
 ともすれば、一番嫌いなタイプに該当するかもしれない。
 何故褒める際に他人を貶す必要がある? お前は一体どの立場で物を言ってるんだ。
 比較して何かを褒めるという行為は便利だ。私もついついそういう方法に逃げてしまうこともある。しかしそれは、比較して不適だと見なされた方のみならず、持ち上げられた方に対しても失礼な手法だ。
 確かに優れているものは他と突出している部分が必ずある。これは揺るぎようのない事実だ。だからといって突出していないものを下げるような言い方をしなければ突出した部分を褒めることが出来ない訳じゃない。
 頭が良いなら頭が良いと言えばいいだけだし、威厳があるなら威厳があると言えばいい。ありのままを伝えるだけでいいのに、どうしてそんな言葉を広めようとする?
 確かにそれで気分が良くなる人も居るだろう。しかし、私には理解できない。
総評:胡散臭い

 本当は動画を共有して実際に視聴して頂き、どう思ったかを聞いて回りたいくらいだが、中傷と捉えかねないので止めておく。「猛毒」として紹介しようとしておきながらなんだが、私は別にこれらの言葉を遣うことを否定するつもりも、参考にしてくれと動画にした投稿者の気持ちを踏みにじるつもりもない。
 ただ、「これさえ言っておけばいい気分にさせられる」という他人を舐め腐った態度だけは気に入らない。自分の胸に秘めておく分にはいいが、それを広めようとするのもあまり快く思わない。特に一位に関しては。
 しかし動画を開いたこと視聴を続けてしまったこと、悪感情を消せない点は間違いなく私の落ち度だ。要請があれば謝罪も削除もするので、遠慮なく言って頂きたい。

蛇足

 ちなみにコミュニケーションの苦手な私が考えた人に好かれる言葉は「ありがとう」一択だと思っている。
 心の伴っていない感謝は他者の神経を逆撫でする可能性もあるが、ほんの少しでも有難いなと思ったことを最大限に引き出して「ありがとう」と伝えれば、絶対に人間関係が円滑になる。言われる側も言う側も何度も経験したから言える。心を乗せた感謝を折に触れて伝える人は、間違いなく人に愛される。
 そういう言葉を期待して動画を視聴したのだが……まあ、悔いても嘆いてもしょうがない。次は同じ事態を引き起こさないように気をつければいいだけだ。そもそもそんな、言えばいいだけの魔法の言葉なんて存在しない。
 何事にも近道は無いことを教えてくれたと思えば、有意義な時間だったのかもしれない。

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