夏の邂逅
【登場人物】
〈男〉 いつも考えを巡らしているせいか、やや思い込みすぎる。
〈女〉 推理小説を読むのが好き。
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男 :複雑な話をわかりやすく伝えるのは難しい。
最初は小さな渦も、やがて最盛期をむかえれば台風という別の名が
与えられてしまうように
複雑さはいつしか単純さに取って代わり、
のうのうと鎮座(ちんざ)し始める。
だからこの話も、単純明快な結末はなく、
追い詰められた犯人の自白によって締めくくられたりはしない。
伝え聞くところによれば、ある淑女が俺に恋心を抱いているようだ。
言っておくが自慢じゃないぞ?
これでも俺は一本筋の通った男なのだ。
見た目だけで判断されるような浮ついた恋など不要。
ひと夏の逢瀬(おうせ)も身の丈にあわぬ。
畢竟(ひっきょう)、断ろうと思っている。
……とはいえ、無碍(むげ)に断るのもひどい話ではないか。
せめて相手がどんな淑女か、お会いして返事すべきであろう。
いや、だからといって俺の心は変わったりしないよ?
たとえ潤んだ瞳で誘われたとしても断る、断固として断る。
無碍には断らない。会って話す。そして己の信条を切々と述べる。
淑女はほろりと涙を流すかもかもしれないなぁ。
それでも俺はこう言うのだ「俺のことは忘れてくれ」。
くるりと背を向けて去る。さらば、夏の恋よ。
俺は一本筋の通った男なのだ。
女 :私のことを一方的に好いている男がいるらしい。
誰だろう、気持ち悪い。
身の回りにストーカーの気配は感じないけれど、
もしも中途半端に好意をみせたら面倒なことになるかもしれない。
よし、ここはシンプルにいこう。
私には付き合ってる彼氏がいることにする。
一途にその人を愛しているから他の人なんて考えられない。
……これくらいハッキリ言ってやればきっと諦めるでしょ。
とにかく、面倒くさいの嫌い。
私って、すごく緊張しやすいからなるべく落ち着くように注意して、
それっぽい人に会ったら「好きな人がいますから」って、
ちゃんと言わなくちゃ。
男 :閑静な通りにたたずむカフェ「モンドリー」。
ここに彼女が待っていると矢文(やぶみ)で知らされた。
ぼんやり、窓越しに人影が見える。
あっ!あれが彼女か?!
客は一人しかいないようだが、念のため、矢文の指示通りに動こう。
西へ10歩、それから北へ向かって5歩……。
女 :あやしげな男!! あれが噂のストーカーに違いないわ!
どうしよう、だんだん近づいてくる……!
男 :はじめまして。今朝、お返事の狼煙(のろし)をさしあげた者です。
こちらに座ってもよろしいですか?
女 :あ、あの……。狼煙(のろし)ってなんのことです?
男 :狼煙をご存知ないんですか? 矢文で指示された通りにしたのですが。
……単刀直入に申しましょう。
こうみえて俺は浮ついた人間ではありません。
今日は思い切って、言うべきことを言いに来ました。
女 :待って!! えーっと、私、好きな人がいるんです!
男 :……やはり思った通り。
しかしはっきり申し上げて、その恋は成就しないでしょう。
女 :失礼なことをいわないでください!
私がどんなに愛しているか知りもしないで!
男 :!? そこまで思いつめていらっしゃったとは!
なんというか、貴女のような美しい女性にそこまでいわれると、
固い決意も揺らぐというもの……。
女 :? 決意ってなんです?
男 :え、いや、貴女のご好意に応えられないのが辛くなってきまして。
女 :ちょっと待ってください。私はあなたと初対面だし、好意も何も、
まったく存じ上げていないんですよ?
男 :んんー!? ……ということは、あの矢文は?
女 :私、弓なんてできません。
今日ここに来たのは、手旗信号で呼び出されて。
男 :手旗信号? 一体いつの時代ですか。
女 :あなたみたいに朝から狼煙を上げる人に言われたくありませんね。
男 :ふーむ、どうやら我々は、何者かにたばかられたようです。
女 :……っていうことは、あなたはストーカーじゃないんですか?
男 :なにをバカな! 俺はこうみえても一本筋の通った男ですよ?
しかし妙だな、誰がこんなことを仕組んだのだろう。
女 :本当に。
でも、ストーカーにつきまとわれてるんじゃないとわかって
ホッとしました。
男 :そうですか? 心が狭いと言われるかも知れないが、
俺はすこし腹が立ってきましたよ。
手の込んだいたずらで我々の時間を無駄にして、
いったいなんのつもりなんだ!
女 :あの……、笑わないで聞いてくださいね。
私、探偵小説を読むのが好きで、七夕の短冊に願いごとをしたのです。
この夏の思い出に、
ちょっと変わった出来事を経験できたらいいなって。
もしかしたら……、でも、まさか。
男 :夏の思い出か。
……だとしたら、なんとか間に合いましたね。
女 :遠くを見つめる男の視線をたどると
窓の外でヒグラシが夏の終わりを告げていた。
――――あれから1ヶ月。
自称「一本筋の通った男」とは街で時々すれ違う。
お互い会釈はしても、それ以上、関係は深まらず、薄まらず。
名前も電話番号も知らない。
ただ一つだけ、私達には合い言葉がある。
『もしも再び、手旗信号や矢文を見かけたら、
カフェ「モンドリー」に集まろう』
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