見出し画像

いつかの約束|エッセイ

年の瀬になり、思い残したことに手を付け始めた。
大掃除やおせちの準備等をする人も多いと思うが、私は会社に電話したり書類の整理をしたり、久しぶりに友人に連絡した。
年末年始は疎遠の友達に連絡しやすい時期ではある。
「元気?」
「元気だよ」
「最近どう?」
「別に変わりないよ!そっちは?」
なんて、何回やりとりしたか分からない。
中身がないキャッチボールを続けてても盛り上がるはずもなく、そのうち面倒になって終わってしまう。
連絡したときは確かに相手への興味があったはずなのに、返事を待ってる間に薄れてしまう。

中学時代の友人との再会

再会のきっかけは、なんてことないことだった。
中学時代とても仲の良かった友人とSNSで繋がってはいたが、会わないまま15年以上経ってしまっていた。
近況にお互いコメントして薄っすらとは繋がっていたが、なかなか会って遊ぼう!とはならなかった。そもそも疎遠になった理由が、当時の彼氏が友人に乗り換えたことなのだ。
あの時は悲しかったかもしれないが、なにせ15年以上前のことだ。友人は私と別れたと聞いて付き合ったのだろうし、今更なんとも思っていない。ただ、あんなに仲が良かったのにしょうもない男のせいで疎遠になってしまったな、と残念な気持ちだけがあった。

懐かしいプリクラが出てきたよ!とSNSに近況を載せた友人にわあ!懐かしいね!とコメントし盛り上がったことをきっかけに、15年以上ぶりに会うことになった。
お互い子連れだったので、子連れ用のカフェでご飯を食べ、盛り上がったので公園で子供を遊ばせながらゆっくり話した。
元々仲良かった分、昔の黒歴史の創作の話をしたり、子供の話もしてみたり…15年分、たくさん話すことがあった。話は尽きなくて、もうこんな時間!またね!と急いで解散した。
15年会ってなかったなんて嘘みたいに、すごく楽しい時間を過ごせたことで、もっと早く会えばよかったと後悔した。

その気持ちの中で、高校時代の友人と最近連絡をとっていないな…と考えた。
最後は私の結婚式だっただろうか?
友人のTwitterも最近動いていない。何をしてるんだろう。元気だろうか?
元気だといいな、知らないところで楽しくやってくれてたらいいな、とぼんやり祈った。

高校時代の友人との通話

きっかけは、ファミレスを享受せよというアドベンチャーゲームだった。
すごく気に入った上、友人が好きそうだったので
元気?この前あなたが好きそうなゲーム見つけた!よかったらやってみて!
と、メッセージを送った。
なかなか連絡する機会もなく、そっとしといた方が良いのかも…なんて勝手に思っていた。
しかし連絡してみると「会うのはなかなか難しいけど、久しぶりに3人で近況とかオススメのアニメとかゲームとか適当に話そうよ!じゃあ、◯◯日に!」とすんなり通話の約束ができた。
なんだ。簡単なことだったんだ。
気を使ったつもりになっていたが、嫌われたりお互い変わってたりするのが怖かっただけだった。

約束の日、話してみるとあっという間に時間が過ぎていき
「実はね…今日緊張してたんだよね」と友人の1人が打ち明けてくれた。同じだ。私が勝手に怯えていたように、友人も緊張していた。
「電話もいいけどさ、やっぱり会いたいよね」
5年もまともに関わっていないのが嘘みたいに、心の底から同意した。

いつもは仕事や育児で忙殺されている彼女たちが、当時のように好きなものや今楽しんでやっていることを話してくれたのがすごく嬉しかった。
忙しすぎると自分の形がどろどろに溶けて削れていくような感覚に襲われるので、自分ってこんな形だったんだ!と思い出せる時間はすごく大切だ。
ぼんやりと楽しく生きてくれてたらいいなと祈っていたが、実際に楽しんでいるのを知れてよかった。

大人になって、自分は臆病になったんだと思う。
がっかりしたくなくて、なかなか人に会えなかったり、嫌われたかもしれないと距離を置いたり…
実際はなんてことなかった。勝手に怯えてただけだ。

いつか

私にはささやかな夢がある。
人生が一段落したぐらいで友人たちと旅行したい。キャーキャー言いながら交代で運転して、美味しいご飯を食べて、たくさんお喋りして、喋り足りない!なんて言って寝る。そんな旅をしたい。
あの時は大変だったねと思い出話をしたり、あんなことしたいなと未来の話もしたい。
あの頃時間を共有した彼女たちと、もう高校生の時のように四六時中べったりとは生きていけないけれど、どこかでまた人生が交差してほしいなと思う。

「ねえ。おばちゃんになってもさ、こんな風にしてたいね。みんなでさ、旅行しよう」


なんの保証もないお守りみたいなちっぽけな約束だけど、この約束があれば大抵のことは乗り越えられるような気がしてる。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?