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神頼み|エッセイ

やれることをやったら、あとはもう自分を信じることと神頼みぐらいしかやることがない時がある。
神になんて祈らないという人も多いだろうが、受験から合否発表までに1回も合格を祈らなかった人はなかなか居ないのではないだろうか。無宗教と言われる日本でも、色々なものに祈る習慣がある。

受験もだが、私は妊娠出産育児で祈ることが増えた。妊娠中の戌の日参りでは安産を祈願して、産まれて1ヶ月経ったら晴れ着でお宮参りにいった。
お宮参りで貰ったありがたいお水とお米を普段のお米に混ぜて炊き、借りた歯固め石をお食い初めで食卓に並べてお祝いをする。
お食い初めが終わったら歯固め石を返すついでにお礼参りをして、その後も節目に神社に赴いては家内安全を祈っている。

去年の夏生まれた娘は胎児発育不全と診断され、小さく産まれた。診断された当時は安産祈願したのに!と怒りに似た気持ちがあったが、無事に産まれてしまえば祈ってて良かったと都合よく考えてしまう。
妊娠中の私には安静以外にできることがなく、天井をぼんやりと見つめては、自分のせいだと自らを責めた。
このままこの子が死んでしまったらどうしよう。だめだ。そんなことを考えてはいけない。頑張れ。頑張れ。無事に大きくなれ。

祈りが通じたのか、安静が効いたのか。
発育が止まってこのままでは死産になるかもしれないと言われた娘は、産婦人科医が驚くほど急成長して、小さいながらも無事に産まれた。
きっと祈る先がなかったら、自分のせいだと責めるだけだった、怒りをぶつける先や祈る先があるだけで随分救われたと思う。

今年も家族で初詣にでかけた。初詣も子が生まれてから増えた習慣だ。
子供がいない時は神社なんて観光で行くぐらいでなんとも思ってなかったのに、今では本気で祈っている。お参りのときに、夫があまりにも本気で手を合わせていて笑ってしまった。きっと彼も同じ気持ちだ。

自分にできることは本当に少ない。祈っても意味がないかもしれない。でも、やれることをすべてやってしまったらもう祈るぐらいしかできないのだ。家族が、好きな人たちが、日本が、世界が平和であってほしいが、できることは少ない。

おみくじは末吉で、中傷や邪魔が入るがグッと耐えて続けるべしと書いてあるのを何回も読み直し、紐に結んだ。これも神頼みだ。
悪いことが起きたらおみくじのせいにできる。何も起きなかったら頑張ったおかげだと自分の成果にするつもりだ。
神を心の底から信じているわけではないかもしれないが、心の支えにはなっている。あまりに自然に祈りが生活に溶け込んでいて、信じてるかと聞かれると首を傾げるし、信じてないかと聞かれるとそれも違う。
都合よく神様を使っているので、もしかしたら信心深い人には怒られるのかもしれないが、
神様は許してくれるはずだ。

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