"書く"との出会い|エッセイ

noteと出会い、文章を作るのが好きなことを思い出した。書いても書いても湧いてくるようなこの感覚を最近は忘れていた。
Twitterに籠もるようになって10年以上経ち、書く欲求は満たされているような気がしていたが、実際は誤魔化してただけだったのかもしれない。

いつから文章を書くのが好きか思い出してみる。
小学校の夏休みの読書感想文は、読書も作文も好きだったので楽だった覚えがある。国語の授業の作文も、原稿用紙2枚3枚すぐ埋まってあとは文章を整える方に時間を使ったり、書いてしまったらもうそのまま出してしまったり。
文章のクオリティは伴わなかったが、作文の速さには自信があった。

中学生になる頃には創作に手を出し始めた。引きこもりだったので時間は無限のようにあり、思いついた時に勢いに任せてワーーーーと書いていた。書いてる間に夜が明けた!なんてことも数え切れないぐらいあった。書いていたものは原稿用紙8〜20枚程度のものだったと思う。作品自体はすべてちゃんと完結させて、人に読んでもらったこともある。
不登校児更生施設のようなところで働いていたおじさんは、私の作品をちゃんと最後まで読んで感想をくれた。
「これ、キャラが見目麗しい必要はあるの?」と聞かれたのをよく覚えている。
中学2年生が書いたものなので読むのもしんどかったはずなのに、最後まで読んで感想や疑問を投げかけてくれた経験は今でも大切なものだ。

高校3年生になる頃には県内のタウン誌の出版社に内定が決まり、そのまま少しバイトで入らせてもらった。
町の唐揚げ屋さんにインタビューをして、味のレビューなどを書いた。占いの文章を考えたり、読者からのはがきを紹介しコメントを書いたり…。
すごく楽しかったのを覚えている。面接の際に作文をその場で書いたのも新鮮だった。
正直あの頃は社会人としての実力が伴ってなかったので、今ならもっとバリバリ働けるのに…と若干の悔しさがある。
その出版社はあまり経営が上手くいっておらず、そのまま正式に入社するのは泥舟に乗るようなことに感じた。仕事内容や社員がとても素晴らしく魅力があったが、人生を天秤にかけて内定を蹴った。
県外にでて契約社員になった頃にその出版社が倒産したので、選択は間違ってなかったはずだが、あのまま書く仕事を続けてたらどうなっていたんだろう。
社会人になってからは仕事にプライベートに忙しく、Twitter以外で書くことはほぼしていないので、今となっては想像もできない。入社時にもらったマニュアルとっておけばよかったな、記事を書くときのルールを今なら何回でも読み返すのに。


比較的早く好きなことを見つけたのに、ずいぶん遠回りをしてきたと思う。
ゲームの友人がゲーム実況や歌配信に手を出すのを横目に見ながら、何か違うんだよなと思っていた。見るのは好きだけど、自分でしようとは思わない。
ゲーム大好きだし、歌うのも好きだし、絵を描くのも好き、生活に関係ない料理も嫌いではないし…好きなことを極めて自己実現しようとする人は周りにたくさんいたが、どうも自分は何にもハマらない。
かといって育児に傾倒するほど熱心にもなれなかった。この子はこの子、私は私だと思ってしまう。

noteをはじめて10日過ぎ、自分が文章を書きたかったことにやっと気付いた。
ここ最近はnoteで記事を書くのが楽しくて楽しくて仕方ない毎日を送っている。たくさん読んでもらえる記事もあれば、全く読んでもらえない記事もあるが、好きな文章を好きなように書いてるので、そんなことは二の次だ。読んでもらえたら嬉しいけど、それだけのためではない。書いていればいつか実力も伴ってくるはず。

さあ、明日は何を書こうか
遠回りした分、書くことはたくさんある。

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