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自己肯定感をどうやって手に入れる?|エッセイ

サムネは自分へのご褒美で丁寧に淹れたコーヒーと、貰い物のカステラの写真です。
昨今、自己肯定感という言葉をよく見かけますね。まるで自己肯定感がない人は社会不適合者のように、自己肯定感を押し売りされているなと思います。
私の思う自己肯定感の話をしたいと思いますので、よかったら覗いていってください。



自己肯定感ってなに?

私は自己肯定感のことを「ありのままの自分を認める」、「ここにいてもいい」と自然に思えることだと思っています。

よく「自分はできる」と思う(思い込む)ことを自己肯定感と言ってる人を見かけますが、実際の能力以上のことをできると思い込んでいると、できないときに反動で酷く落ち込みませんか?
なんなら、もっと自分のことを嫌いになったりすると思うんです。

たとえば、おうちの片付けが苦手な人が「私は片付けができる!」と気合を入れて片付けをするとします。出来なかった場合酷く落ち込みますし、できたとしても、ずっとそのテンションは続かないです。疲れちゃいます。

片付けが苦手なことを「自分はそういう部分もあるな」と認める。そして「そういう自分がいてもいいな」と自然に考えることができる。それが自己肯定感だと私は思ってます。
間違えないで欲しいのが、人様に「私は片付けが苦手なの!」と押し付けるのは開き直りです。
無理に片付けできない自分を好きになる必要もないです。
あくまでも自分の中で完結して前向きに昇華できるのが自己肯定感のある状態かなと考えています。

自己肯定感をどうやって手に入れるか

まず精神的な自立が必要だと思っています。が、急にはひとりでは立てませんよね。
赤ちゃんも2本足で立つまでつかまり立ちや伝い歩きでトレーニングして、やっと自立します。
大人の精神的な自立も一緒で、自立するために精神的依存先(居場所)をたくさん作る。
家族仲が悪くて家に居づらいなら、学校。クラスに居場所がないなら部活やバイトや塾。どうしても人相手が難しいならゲームや映画や本からはじめてみる。
できるだけ複数に少しだけ依存する形を目指します。
お金がないなら散歩するとか、いつもより多く寝るとか、湯船にゆっくり浸かるとか、そういうことでもいいです。友人に近況の報告をしたり、夜に月や星を眺めてみたり、普段は入らないお店に入ってひとつ何かを買ってみたり。TwitterやYouTubeなどで色んな人の呟きや動画をみたり…。noteで記事を書いてみたり、読んでみたり。

ひとつひとつを浅く、広く依存先を作る。すぐに自立できるわけではないと思いますが、たくさんの居場所を作ることで
「ここにいてもいい」と思えるんじゃないかなと思います。

あとがき

読んでくださってありがとうございます。
パンを買って食べたり、noteで記事を読んだり、そういう小さなことも社会との繋がりだと思っていて、読む人がいてくれるから私は記事を書く意味があるし(自分が書きたくて書いてるし、自分しか読んでないとしてもそれはそれでいいんですけどね)
そういう小さなひとつひとつが、あなたの居場所なんですよって書くと…ちょっと胡散臭いかな。
ここにいてくれて、読んでくれてありがとう。
あなたの居場所のひとつになれたら、とても嬉しいです。
またね。

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