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外国人と共に生きていくために

前回、ニチイ学館が運営する フィリピン人スタッフによる家事代行サービスの広告、及び表現について、率直に感じたことを書きました。

自分が発したリプライのツイートも含め、未だにTwitterや掲示板では、この話題が多くの人の目に留まり、拡散されています。
※参照『外国人労働者は ニンゲンじゃない?』

昨日、別の方のツイートで気付き、再度サイトを確認しましたが、該当の個所が削除されて、文面も変更されておりました。
(はじめからプラス面を引き立たせるような文面にしておけばよかったのに…)

また、直接 問い合わせ、指摘していたメールへの回答も本日いただきましたが、その内容は予想していた通り、とても形式的な謝罪文でした。

尚、ニチイグループのウェブサイトに今回の件に関するお詫びが掲載されているとのことです。内容が気になる方は下記URLからご確認ください。
https://www.nichiigakkan.co.jp/topics/topics/2019/0108-916.html

謝罪内容が期待していたものではなかったものの、一先ず企業についてあれこれ言うのは終わりにしたいと思います。

これ以降は、この数日間、多くの通知を受け、意見されるなかで私個人が感じたことを簡単にまとめてみました。

■ 共感されるが 攻撃もされる

今回の件に限ったことではありませんが、ネット上で多くの共感が得られた場合、必ずと言っていいほど アンチの意見がそれらに紛れ込んできます。

もちろんTwitterの場合、140文字という限られた文字数で 相手の意図を正確に読み解き、要点だけを意見するのは難しいことです。
だからといって、関係のない話題を持ち出してきては、質問攻めにし、最終的にその人の人格までも否定するのは、いただけませんよね。

個人的には、評論家のマネごとなどしないで、意見が気に食わないのなら、受け流せばいいのにと呆れてしまいます。流れに逆らうことが美しいとでも思っているのでしょうか?

■ 価値観の違いによる摩擦

日本人は優しいね、いっしょに非難できて
ただ表記の問題でしょ?言葉一つに執着しすぎ
これユーモアじゃないの? 差別、差別うるさい

こういった言葉をネット上で見かけ、何とも言えない気持ちになりました。

言葉の暴力ほど 心に突き刺さるものはありません。

もし仮に悪意がなかったとしても、他者を傷付けることに変わりないはずです。

私が20歳くらいのとき、彼女自身では普通だと思っていたのでしょう…さも当たり前のように言い放たれた言葉に傷付いた経験がありますが、それはまた別の機会にお話しすることにしますね。

■ 違和感を感じることの大切さ

意見を共有し、共感することはもちろん大切なことですが、周りがみんな同じだとは限らない…そう考えることも大切だと思います。

そして、当たり前、普通だと決めつけないこと。
何かがおかしい?といった違和感に気付くこと。

例えば、一枚の洋服を着るにしても、チクチク、ムズがゆく感じることってありますよね?
決して我慢できないものではないけれど、できることなら気分よく着ていたいと思うはずです。

では、気分よく着るには、どうしたらいいでしょうか?

ここが日本だから、私たちが日本人だから、日本語を使っているから…ということをいったん忘れ、お互い気分よく、外国人と共に生活していくためには何ができるか、もう一度よく考える必要がありますね。


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イチ日本語教師として、日本人と外国人とが笑顔で共生できる社会になるように noteやYouTubeを通して活動しています!