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父の7回忌が過ぎて感じること

父が亡くなって丸6年がたち、先日7回忌がありました。

今年の父の命日は、父が亡くなったときと同じ火曜日。あの6年前の月曜日、会社で仕事をしていたら、当時父が入院していたホスピスへ急いで来るようにと連絡が来たことを、思い出したりしていました・・・。

あれから6年の月日が流れ、先日は実家の一軒家売却も完了し、いろいろと思うところを記します。

哀しみのどん底だったときに救われた言葉

わたしは、離婚の際に父にいろいろな心配をかけたこともあって、父への申し訳ないという想いや、あふれ出る感謝の気持ちがありました。その気持ちは父が闘病の時期に一層高まって、(結局は限られたことしかできませんでしたが)自分なりにいろいろ手を尽くしました。そして、父の死後には、どうしようもない哀しみと精神不安定の日々が訪れました。

突然に家族との別れがやってくる最期と比べれば、父の病が癌だったこともあって、「お別れの日々」を過ごすことができたのは、ある意味で恵まれていたのかもしれません。それでも、あの当時は、昼間に仕事へ行っていたのが救いでした。夜にひとりになると、本当に落ち込み、「立ち直れるときはくるのだろうか?」と感じていました。

その頃に、本当に助けられたホームページがあるので、ご紹介します。

久しぶりに愛する人を亡くした人のための100の言葉へ行きました。中原憬さんという方の個人ページで、開設は1997年です。
このサイトにある言葉によって救われました。改めて感謝したいです。

当時のわたしが、何かの記事をきっかけにこのサイトへたどり着いたように、今哀しみの底にいる方が何かを探しているならば、このページへたどり着けますように・・・

中原さんのホームページで、先人、作家、詩人の言葉~死別の哀しみを癒す名言にも助けられました。


人生はどう生きたかの集大成

想い出の瞬間を忘れない

この1年は、80歳を前にして入院⇒老人ホーム⇒マンションへ引越しをした母の再出発において触れたように、母の大きな転機、そして実家の片付け&売却がありました。いろいろな物を整理処分するなかで、「物に執着するとつらい」ことをしみじみと感じました。

物に執着してしまうのは、それらにいろいろな想いが一緒にあるからです。でも、死を迎えるときには、持ち物は何の意味も持ちません。物と一緒にあったひとつひとつの想い出をきちんと自分の胸に刻み、大切な瞬間を自分はずっと覚えていることが大切なんだな~と感じながら、大量の片付けをしていました。


日々を丁寧に生きる

実家の一軒家との別れが迫ってきました~本当は「売りたくない」のはわたしですの記事で書いたように、家族で過ごす時間は意外に短いものです。過ぎ去ってしまうと、一緒にいた何気ない日常こそが、何よりもかけがえのないものだったと気付きます。

父の死後、わたしは縁あって再婚をして数年になります。お互いアラフィフでの再婚なので、一緒に入れる日々はそう長いわけではありません。そのことを忘れずに、日々を丁寧に大切にしていこうと思います。


明るく手放して次へ進む

実家にあった大量のものを捨てたとき、「すべての物は、こうして最後は捨ててしまうことになるんだな~」と思いました。そのときは、あまりの物の多さに、「もったいない」という気持ちと「寂しい」という想いがない交ぜになって、とても落ち込んでしまいました。

今は考え方を変えて、必要があって買ったりもらったりして共に過ごした物に感謝をして、そして役目が終わったら感謝をして明るく手放すというスタイルを心がけています。そして、人生には何回か、そういう手放す転機があって、手放すことで人生の次のステージへ進めるのだと感じています。


後半生をどう生きるか?

50代前半が人生の底でもピクニック型人生で日々を大切に生きたいで書いたように、「50代は人生の底」のようではありますが、まだ人生は道半ば。これからの人生の後半生をどう生きるか次第で、「人生をどう生きたかの集大成」につながると思います。

父が遺言で、「好きなように生きていきなさい」と遺してくれた言葉を忘れずに、いろいろな事情や状況をうまくこなしつつ自分の信じる道を生きるのが後半生に課せられたミッションだと思います。もちろん、日々を楽しみながら・・・。

まとめ

父が亡くなってから月日が流れて、特にこの1年は母のことや実家の売却など、ひとつの節目を迎えたように思います。これから、母の新生活をサポートしながら、自分自身の後半生をしっかり一歩一歩歩んでいきたいな~という想いを新たにしています。

(当記事は元ブログからの移管です。オリジナル公開日:2018年5月6日)


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