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80歳を前にして入院⇒老人ホーム⇒マンションへ引越しをした母の再出発

この半年、母が倒れて、入院・老人ホーム入居を経て小さな賃貸マンションへ移るまでの間、いろいろなことがありました。母が動けなくなって救急搬送され、急きょ駆けつけた夜の後悔やら混乱やらの気持ちは今でも忘れられません。

半年たってようやく落ち着きをみせ、今思うことをまとめてみました。

高齢の母が倒れてからマンション暮らしを始めるまでの半年の経緯

この半年は、母のことで動き回っていました。

母が倒れてからの半年のできごと

4月:母が救急搬送⇒緊急入院⇒介護保険申請⇒老人ホーム探し⇒
5月:母が退院⇒自宅&妹宅滞在⇒老人ホーム入居⇒母の新生活サポート⇒
6月:母の新生活サポート継続⇒母が住むマンション探し開始⇒
7月:マンション探し継続⇒マンション契約⇒実家の片付け開始⇒
8月:母の新生活&引越準備⇒母の引越⇒母の新生活開始(マンション)⇒
9月:実家の片付け継続⇒
10月:実家の不要品廃棄処分 ←この記事を執筆時の状況

母の再出発に際して思う3つのこと

おかしいと感じたときの直感を大切にする

そのときは、父が亡くなってからちょうど5年。
母は、私たち姉妹も育った東京から約1時間ほどの実家の一軒家で、ひとり暮らしていました。

今振り返れば、少しずついろいろな綻びがあったような気がします。

  • ここ数年、毎年冬に体調を崩していた。とくに足が痛くなったり、うまく歩けなくなって、整形外科へ通っていた。

  • 近所の電気屋さんからテレビや照明を買ったり、ケーブルテレビの契約内容を変えたり、勧められるがままになっていた。

  • 証券会社の言いなりになって、(そんなに多いわけではない投資信託や株式の)投資先を変更していた。

時々実家へ行ったり、母と東京で会ったりしていましたが、ここ数年の自分自身の体調の悪さや忙しさに、見て見ぬふりをしてしまっていた感があります。

父が生きていた頃には、かなり頻繁に実家へ帰っていたのに、父が逝去した翌年にわたしが再婚して、実家へ行く回数も減っていました。

冬は実家が寒いので、遊びに行く回数も激減・・・。

4月になって、久しぶりに母と一緒に東京の美術展へ行ったとき、「母の顔色が悪いな~」と思いました。

ランチ後に、同じ美術館内でやっている別の展覧会も見たかったのに、母が疲れたからもう帰ろうというので、ランチを食べたあとに、最寄りの駅で母と別れました。
その際に、後ろ姿を見送ったのですが、「なんだか母の歩きかたが変だな~」と思いました。

そして、その翌週に、母は自転車を引きながら、道端で歩けなくなり、脳外科へ救急搬送されました。

連絡を受けてから、母が搬送された病院へ行く道すがら、「あのときおかしいと思ったのに・・・」と、胸が張り裂けるばかりに悔やみました。

思い起こせば、父が癌と分かったときにも、その半年以上も前に、「お正月の美味しい料理なのにもういらない」と父が言うので、「おかしいな~」と感じることがありました。
その後、父はいつも通っていた胃腸科へ行くも、運悪く先生に大丈夫と言われて、その後一時的に体調も良くなっていったこともあって、癌の発見が致命的に遅れました。

やっぱり「おかしいな~」と感じたら、それは本当に何かが「おかしい」のです。

親自身も「大丈夫だよ」と言うかもしれませんが、親がある程度の高齢に達していたら、「おかしい」と感じたときの直感を大切にして、必ずちゃんとした病院で診察を受けてもらうようにしてください。

わたしは、今回のことで、それを痛感しました。

幸いなことに、母は半年たって体調もほぼ回復し、以前より顔色もよいくらいになりました。

だからこそ、次回に何か「おかしい」と感じたら、今度こそは見過ごさないようにするぞ~と強く強く思っています。

人生はいくつになっても選択の連続である

母は79歳。

充分に高齢ですが、このあと何年を生きるか誰もわかりません。祖母は100歳を超えるまで生きたので、同じくらい長命であれば、まだ25年くらいの余命があることになります。

25年といえば、本当に人生の4分の1にあたる長い年月です。

私たちも母本人も、母の今後の生活のことを散々悩み抜きました。詳しくは別の記事に書く予定ですが、たくさん涙を流して話し合い(というより口論に近い)を繰り返し、最終的に母は小さなマンションへ移る決心をしました。

生きている限り人生は続いて、いろいろなことを選択していかなければならないのだと思いました。

わたしが母にできることは限られていますが、どのくらい続くかはわからない母の人生の最終章を、できるだけサポートしていきたいと思います。

母のような状況になったときにどのように生きていけるのか、今から真剣に考えていく必要があることも痛感しました。

想い出と未練を間違えない

実家には、長年の生活からのあらゆるものが残っていましたが、マンションは小さいので、持っていけるものはかなり限られます。

「いろいろな物を捨てるのがつらい」「父か遺してくれた家を離れたくない」ということで、母は何度も精神が不安定になりました。
そういう母に対応するわたし自身も、気持ちが不安定になり、なかなか眠れない日々が続きました。

いろいろな気持ちの流れを経て、諸々の不要品については、それらにまつわる想い出に対する「未練」なのだと感じました。「未練は手放そう、物はなくなっても想い出はなくならない」と思うようにすると、物に対しての想いが、減っていきます。

母に対しては、母がどうしても手元に残したいものは「想い出箱」と呼ぶ箱を準備してそこに入れておく、という対策を取りました。


80歳を前にして母が初めて自分で決めた引越しとシンプルライフ

母のこれまでの人生では、父が亡くなるまでは一人暮らしをしたこともなく、自分で決めた引越はありませんでした。

今回、はからずも母の体調に異変があったことで、母は79年の人生で初めて自分の決断で決めた引越しをすることになりました。

わたしは大学入学で実家を出てから今まで13回も引越しをしています。「住めば都」というタイプで、たった数年しか住んでいなかった場所に対しても、離れがたいという想いがいつも残りました。

わたしが13回も引越した期間にも、母はずっと実家に住み続けていました。46年間も住んだ家を離れるということは、わたしには想像もできない想いがあったに違いありません。

引越しを終えて1か月あまり。母は今、1LDKの小さいマンションで、シンプルライフを実践しはじめたところです。

まとめ

今回の一連のことに関する母の姿を見て、「生きている限り人生は続いていく」のだということを今一度心に刻んで、後半生においても新しい一歩を踏み出すことが大切だと思いました。

それをサポートしていく家族の体験として、同じような境遇の方の参考になれば幸いです。

(当記事は元ブログからの移管です。オリジナル公開日:2017年10月10日)


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