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山下達郎の件

ここ数日、ずっと心に引っかかっていたことを書く。
それは山下達郎の件である。

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今回の問題についてよく知らないという人もいるかもしれないので、改めて事実関係を述べると、まず、音楽プロデューサーの松尾潔が、業務委託していたスマイルカンパニーとの契約を中途解除されたというツイートが発端である。

スマイルカンパニーは、山下達郎やその妻の竹内まりやなどが所属する音楽事務所(当初は山下達郎夫妻のために作られた個人事務所だった)。松尾潔は現社長の小杉周水から契約解除の話を伝えられ、山下達郎も契約解除に賛成していたと聞かされたそうだ。

契約解除の理由として、小杉周水はその数日前に松尾潔がラジオ番組でジャニー喜多川の性加害問題について発言したことを挙げたそうだが、それまでの松尾潔の一連のツイートも当然問題視されたのだろう(これらのツイートは現在でも見られるので、関心のある方は見てみてほしい)。

その後、7月6日になって、松尾潔は日刊ゲンダイに事の顛末と自らの思うところを寄稿。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/geino/325603

一方、山下達郎は自身の番組「楽天カード 山下達郎サンデー・ソングブック」(FM TOKYO)のHP上で、9日の放送でこの問題について発言すると予告していた。ただ、この番組は事前収録であり、現在彼はツアー中なので、タイミング的にこの日刊ゲンダイの記事は読んでいなかったと思われる。

以上が経緯である。  

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さて、自分のこの問題へのスタンスだが、その前に山下達郎というアーティストをどう捉えているかを説明しておくべきだろう。

自分が最初に山下達郎の存在を知ったのは、1980年の「ライド・オン・タイム」である。当時、カセットテープの人気メーカー・マクセルのCMに使われ、しかも本人がそのCMに出ていたので、多くの人がこれで山下達郎の存在を知ったはずだ。
https://youtu.be/D3JuhTytFgI

ただ、それですぐ自分が山下達郎のファンになったわけではない。
この「ライド・オン・タイム」のシングルも、同名アルバムも買ってはいない。

決定的だったのは、1982年の『FOR YOU』である。
今やシティ・ポップの名盤と讃えられているこのアルバムは、カセットテープにダビングして何度も何度も聴いた覚えがある。

ただ、以降のアルバムも続けて買ったかというと、そうではなかった。
1ヶ月の小遣いが5,000円の高校生には、1枚2,800円もするLPレコードはそうそう買えるものではない。
そしてそれ以上に、当時の自分はYMOにハマりきっていた。
この82年には細野晴臣の4年ぶりのソロアルバム『フィルハーモニー』が出て、その細野が主宰するYENレーベルからデビューした新人ユニット・ゲルニカの『改造への躍動』も発売された。自分は両方買っている。

というわけで、山下達郎にまで手が回らなかったというのが実情であるが、よくしたものでその後、弟が山下達郎ファンになったので、CDをコピーさせてもらうなどして、そのおかげで、少なくとも80年代までの楽曲はだいたい知っている。

それだけならファンと言えるかどうかも怪しいのだが、山下達郎には大滝詠一という人物の存在があった。
そして、自分はYMOと並行して大滝詠一のファンでもあったので、山下達郎がプロとしてデビューすることになったバンド、シュガー・ベイブの『SONGS』も、その後の『ナイアガラ・トライアングルvol.1』もずっと愛聴していたわけだ。

大滝詠一は、ポップス、いや音楽の世界における山下達郎の師であった。
それは、シュガー・ベイブを自身のナイアガラ・レーベルからデビューさせたから、という表面的な関係ではない。
30年以上にわたって「新春放談」を続けた、という事実が物語っているように、二人の関係は目に見えない、強いものだったと思う。

1960年代なかばに生まれた自分は、はっぴいえんども70年代ナイアガラもリアルタイムでは知らない。
ご多分に漏れず、大滝詠一を知ったのは『ロング・バケイション』である。
だが、そこから「ナイアガラー」(大滝ファン)になって、はや40年が過ぎた。
ナイアガラーにとって山下達郎は、本人がどう思っていようと、やはりナイアガラ・ファミリーなのである。

なので、今回の件をスルーするわけにはいかないのだ。


リアルタイムでは昼寝してて聴けなかったので、今日、radikoのタイムフリーでようやく「山下達郎サンデー・ソングブック」を聴いた。サンソンは過去に何度も聴いていたが、こんな重い気分でこの番組を聴く日が来るとは思わなかった。

しかし、まあ、結論を言えば、聴いてよかった。

ここで語られている山下達郎の発言は、既にネット上に上がっていたので内容は知っていたが、文字と実際の話ぶりはやはり違う。言い回しや雰囲気、つまりニュアンスが文字からは欠落してしまうのだ。

とはいえ、この日の冒頭の「山下達郎です」という挨拶はいつもにも増して早口で、怒りを含んでいるようにも聞こえた。

最初はリマスターで再発されたアナログ盤のRCA時代の曲を数曲かけ、予告通り中頃で本人曰く「スピーチ」が始まった。

この日の山下達郎の全発言は、こちらに掲載されている。
https://newsdig.tbs.co.jp/articles/-/591646?display=1

要約すると、次のようなことを話している。

①スマイルカンパニーは松尾氏から顧問料をもらう関係であり、雇用関係ではなかったので「解雇」ではない。
②松尾氏とは長い間会っておらず年にメールが数回という関係。
③松尾氏が、ジャニー喜多川氏の性加害問題に対して憶測に基づく一方的な批判をしたことが契約終了の一因であることは認めるが理由はそれだけではなくいろいろある(他の理由は語らず)。
④マスコミは自分がジャニーズ事務所への忖度で契約を解除したと憶測しているが真実ではない。
⑤ジャニー喜多川氏の性加害については噂でしか知らず1999年の裁判(ジャニー喜多川の性加害が認められた)も知らなかった。また楽曲の提供者に過ぎない自分がジャニーズ事務所の内部事情について知りようもない。
⑥ジャニー喜多川氏との縁で所属タレントに曲を書いてきた。ジャニー喜多川氏が育てた数多くのタレントが戦後の日本人たちに多くの夢を与え幸せにしてきた。自分にとっていちばん大事なのは「縁」と「恩」である。自分はそのタレントたちとの「縁」をもらい、多くの作品を作ってこられた。そうした機会をくれたジャニー喜多川氏に心から恩義を感じており、その恩義に報いられるよう、タレントの才能を引き出し良い楽曲を共に作ることが自分の本分である。
⑦その恩義やジャニー喜多川氏のプロデューサーとしての才能を認めることと性加害を容認することは別問題。作品やタレントに罪はない。
⑧こうした自分の姿勢を「忖度」「長いものに巻かれている」と思う人には自分の音楽は不要だろう。

こうして整理してみると、山下達郎が何を言いたかったのか、わかってきたように思う。


断っておくが、自分は山下達郎、松尾潔、どちらの立場にも立たない。
松尾潔が100%真実を語っているかどうかの保証もない。
なので、この山下達郎の発言を聞いた松尾潔が、①〜③について事実とは異なると反論しているが、それについてはここでは触れない。

自分が意外だったのは、ジャニー喜多川との関係およびジャニーズへの曲提供を、ビジネスとしてではなく「縁」と「恩」のためにやっている、と山下達郎が言明していることだ。

山下達郎は1986年頃の『ロッキング・オン・ジャパン』のインタビューで、「病気になってまで音楽を聞こうとは思わないでしょ、音楽はその程度のものなんですよ」と渋谷陽一に語っている。他のインタビューでも繰り返し「音楽にはたいした力はない」「音楽は音楽でしかない」と話している。

逆に言えば、「音楽は音楽でしかない」という諦念を抱いているからこそ、自分は音楽をやっているのだという宣言のようなもので、そういうところが実に山下達郎らしいなと思っていた。

ところがこの日、山下達郎は「ジャニーさんの育てた、数多くのタレントさんたちが、戦後の日本で、どれだけの人の心を温め、幸せにし、夢を与えてきたか」とまで言っている。かつて「音楽にはたいした力はない」と言っていた人間が、年を経て宗旨変えをしたのだろうか。

それに、山下達郎が初めてジャニーズ事務所に曲(「ハイティーン・ブギ」)を提供した頃、本当に今のように「多くの優れた才能」だとジャニーズのタレントについて思っていたのだろうか。少なくとも当時の近藤真彦の歌唱力からして、また過去の山下達郎のアイドルに対する否定的な発言からも、そうは思えない。それも「後付け」ではないのだろうか。

まあ、山下達郎がジャニー喜多川およびジャニーズ事務所との仕事を、ビジネスではなく、心から喜んでやっていた(いる)というのなら、それは個人の自由というか勝手なので、何も言うことはない。しかし、山下達郎もジャニーズ事務所も、現在ではまごうことなき「権威」であり「体制」、つまりエスタブリッシュメントの側である。この現実について、山下達郎はあまりに鈍感すぎる。

そして、残る大きな問題は、ジャニー喜多川の性加害である。

山下達郎自身も番組の中で少し触れていたが、スマイルカンパニー現社長の父親、小杉理宇造はかつてRVCレコードのディレクター(近藤真彦も担当)で、その後、スマイルカンパニーの社長となり、一時期はジャニーズ事務所の子会社ジャニーズ・エンタテイメントの社長も兼務していた。

しかし山下達郎は「音楽業界の片隅にいる私にジャニーズ事務所の内部事情など、まったくあずかり知らぬことですし、まして『性加害』の事実について、私が知る術は全くありません」と言っている。「知る術」がないどころか、内部にジャニーズ関係者がいたのである。しかも山下達郎自身、ジャニー喜多川と何度も会っているのだから、尋ねようと思えばいくらでも尋ねられただろう。つまりは単に「聞く気がなかった」のである。

つまり山下達郎は、「自分が私淑する(人として好きな)ジャニーさんが性加害をしたことを信じたくないんですよ」と言っているのだ。

ならば、それを素直に吐露すればよかったと思うのだが、さすがに70歳にもなったいい大人の発言がそんな子供みたいなものでは世間が納得しないと思ったのだろう。その結果が「性加害は許せないがジャニー喜多川氏は尊敬します」という、支離滅裂な発言になってしまったのだと思う。

すでに紹介したように、山下達郎は現時点では1999年の裁判判決のことも知っているのだから、ジャニー喜多川が性加害をした事実は十分わかっているのである。Twitterなどネットの反応は、それがわかっているのにまだ「尊敬」などという言葉を使う山下達郎はありえないという、当然のものだ。あの発言は、ジャニーズ関連だけでなく、つまり男女を問わず過去に性被害を受けた人たちへの「二次被害」になるという指摘ももっともだと思う。

さらにいえば、山下達郎が曲を提供したkinki-kidsをはじめとするジャニーズのタレントたちは、全員ではないとしてもジャニー喜多川から性加害を受けてきた。いくらジャニー喜多川のプロデューサーとしての才能を評価し、恩を感じているとしても、彼らに対して、あまりに配慮がなさすぎる発言ではなかったか。

ただ、ジャニー喜多川の性加害をスルーしてきたのは、もちろん山下達郎だけではない。

松尾潔自身、ジャニーズのタレントに曲提供しており(だからこそ今回、その過去を反省して発言したのだろうが)、その他にも多くのアーティストが詞や曲、アレンジで「加担」している。いやそもそも、半世紀以上にわたりジャニーズのタレントを使い続けてきたテレビ局、ラジオ局、新聞社、出版社、映画会社、広告代理店などなど、マスコミ関係各社のうち1社としてジャニー喜多川の性加害を告発したところがあっただろうか。すべては被害者本人の命を賭した訴えからだろう。今回の問題の発端となったカウアン・オカモト氏の記者会見すら、新聞やテレビは当初、黙殺しようとしたではないか。いやもっと言えば、長年、そういう事実を知っていながら、ジャニーズ事務所にも、ジャニーズのタレントを使い続けるマスコミにもなんの抗議もしなかった、自分たち日本人も同罪である。


かなり長い文章になってしまった。
そろそろ終わりにしたい。

山下達郎は、このまま「時代に取り残された社会常識(良識)のない偏屈な老人」とみなされて終わるのだろうか。

今回のことで一部ファンが離れても、ツアーには多くの人が行きたがるだろうし、アルバムも買うだろうから、彼や竹内まりやの生活が変わることはない。つまり反省する必要もないわけで、そのまま安泰に生涯を終えられるだろう。

ただ一つ、大滝詠一がもし存命だったら、状況は変わっていたかもしれないなと思う。

大滝詠一は晩年、音楽業界をほぼリタイアしたような形で、東日本大震災の年まで毎年、「新春放談」に出続けた。山下達郎にとっても、年に一度だけ会う、なかば世捨て人のような「師匠」との会話は、ある意味でオアシスのような時間だったのではないだろうか。

その貴重な時間がなくなってから、山下達郎は変わっていったのかもしれない。

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