毒父の毒①
私が少学生~中学生の頃の話。
私が少しでも父の意見に反する事をしたり、言ったり、態度に出したりすれば全てはお終いだった。
時には何もしていないのに
”なんだその目は!!”
と急に怒鳴られ始める事も多かった。
(これは私にだけではなく、母に対しても同じだったが、母は上手く父の怒りを収めるのが上手かった為、父の母に対する罵声はせいぜい2日続けば長い方だった。)
しかし、私は自分が何をしたか分からなかったので、ごめんなさいとただ謝って、結果的に、その言葉だけの謝罪はいつも父の怒りの火に油を注ぐ結果になった。
父の怒りが収まるまで地獄の数日を過ごすのがその頃の私の日常だった
。
私は父の怒鳴り声を聞くと脳が凍り付く感覚がいつもあったし、
自分自身を斜め後方の上部から見下ろしているような感覚があった。
私はたまに、ただ10時間以上飲まず食わず(もちろん排泄もせず)で
暗い部屋の冷たいフローリングの上に正座した。
父がたまにトイレに起きては私の髪を掴んで耳元で怒鳴ったり、私の肩を蹴ったりするのを他人事みたいに思いながらぼーっとしていた。
(ただし私の父は私に痣になるような身体的暴力は絶対にしなかった。)
その説教という名の罵倒は最低4時間、長くて4日から1週間ほど続いた。
一度父の怒りのスイッチが入れば、再びオフになるまで時間がかかった。
”親に向かってそんな反抗的な態度をとるとは何事だ!”
”付き合っている友達が悪いんだろう!だからお前の性格がそんな風に歪んだんだ!そんな友達付き合いは今後一切許さない。”
”もう十分多めに見て甘く接してやっているのに何が不満なんだ!”
”だいたいお前は何をやるにも中途半端で無駄な事ばかりして、勉強はしない、できない、親のいう事は聞かない、親がやれと言う事をしない、お前は本当に人間の屑だ。クズ!!ゴミ!!”
”お前は過去にxxxをやった。お前は俺の言う事を聞かなかった。”
etc..
そして
私が読んでいる本や見ている動画、趣味について事細かく監視され、指摘される事は当たり前で、
それは母に対しても同じだったが、私の母はそれを窮屈に思って愚痴を吐きつつも受容していた。
(そしていまでもそれは変わらない。母の愚痴の量は増えたが。今後も変わらないだろうと思う。)
とにかく、私(もしくは母)が父に逆らう態度をとれば、父からの精神的な攻撃が待っている。
”あんたは馬鹿ね。お父さんには”はい”、と返事してやり過ごしたらいいのよ。”
これが母のやり方だ。
例えば私達は父が誰かや何かをこき下ろし、笑っていても
”私はそうは思わない”なんて反対意見を言ってはいけないのだった。
地獄のような日常を、痛みを、少しでも軽減させるために。
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