ハッタリの本質は、愛
プロ雑用です。
毎日あついっすねー。
エアコン嫌いの私でも流石にエアコン付けてます。
コンクリートが恨めしい…
今回から、下書き消化月間としてnoteを書いていきます。
なんかねー、下書きばっかり溜まってくんですよねー。
この現象にだれか名前をつけてください😂
さて、今日は、タイトルにある通り、ハッタリについて。
ハッタリは、社会に出るととても重要なコミュニケーションスキルの一つだと思うんですが、なぜ重要なのか、自分なりにまとめてみようと思います。
ハッタリを言う人は、嘘つき?
ハッタリの意味、調べてみました。
大辞林より
① わずかなことを大げさに言ったり、ありもしない物事をあるように見せたりして他人を圧倒しようとすること。また、そういう言動。 「 -をきかせる」 「 -を言う」 「 -屋」
② おどして金品を強奪すること。 「喧嘩仕掛けて物取るを-というて/浄瑠璃・双蝶蝶」
他の辞書では、この他に”なぐる”なども含まれてましたが、まぁ、言葉の意味の通り、とてもまっとうな行為には見えません。
意味が示すとおり、はったりを言ってばかりの人ってなにか信用できない…そんな気もします。
はったりばっかいって、もしかしてこの人嘘つき!?
そうかも知れません。
であるにも関わらず、
ハッタリは社会人にとって重要なスキルであると、私は確認しています。
人は自らの言葉に縛られる
日本においては、謙虚は美徳とされます。
ですから、ビッグマウス・大言壮語な発言は慎むように注意されます。
その一方で、人というのは自分の言葉や考えによって、
行動がある程度コントロールされてしまう性質があるんですよね。
よくネガティブな考えは消極的な行動に繋がると言われますが、謙虚さも慎ましさの限度を超えて過剰になると、悪影響を及ぼします。
普段の生活だったらそれでも良いのかもしれませんが、こと仕事においては結果を求められることが多いはず。そういうとき消極的な言葉や行動は、良い結果につながることは、ほんどないと思います。
ハッタリは、僕も社会に出てから、スキルとして身につけたのでわかるのですが、本当の価値は、ハッタリそのものではなく、その後の行動です。
ハッタリは、そのための「宣言」として有効なんですね。心の中で決意するより、口に出してしまうことで、覚悟が決まってしまう、決めざるを得なくなってしまう。
お客さんと接する機会の多い仕事をされてる方はわかると思うのですが、自信のない態度の担当者は信用されないですよね。私だって、目の前にいる営業マンが、自社サービスや商品を自信なさげに曖昧な態度だったら、はっきり言って買いません。というか、買えません。
普段のコミュニケーションでもそうで、「いやぁ、できるかどうかわかりません」という人より「できますよ!」という人のほうが、実際、結果を残せることが多いんです。
ハッタリはギャンブルなのか?
ここまで読むと「ハッタリってギャンブルでしょ?」って思いますよね。
ですが、ギャンブルは、成功と失敗の確率を自分でコントロールできません。ほとんど運に依存していますから、成功するかどうかは確率以上にはわかりません。だから娯楽としては面白いと思います。
しかし、はったりは、ギャンブルとは違います。
先に書いたとおり、自分の行動を促すためのものです。
はったりを使ったら、当たり前ですが全力で取り組む必要があります。
失敗を目指す人はいないと思いますので、当然ですが、成功を目指して、全力で取り組みます。これ大事。
できても、できなくっても、まずやってみる。
やってみてできなかったら、やれるように学ぶんです。
ハッタリはそのきっかけになるんですね。
一歩踏み出す勇気を、自ら背中を押すため、ハッタリは役に立つわけです。
ハッタリを素でできる人っているんですが、そういう人は「なんとかしたい!」「やってやるぜ!」という強い気持ちに突き動かされている人が多いです。
その人々は、最初からやらないという選択肢は無くて、できないという選択肢も自ら潰しに行きます。創業者とかこういうタイプですね。
ハッタリが使えない人は、ある意味で傲慢
かつて僕もそうだったのですが、ハッタリが使えない人って「嘘はつきたくない」「今、できないことをできるって言いたくない」って思ってます。
これって、実はプライドが高いことの裏返しなんですよね。
完璧にできない
→失敗したくない
→他人に笑われたり怒られたりするのが嫌だ
→他人にバカにされたくない、恥をかきたくない
→人に低く見られたくない
→自分は他人より上でありたい
仏教的に言えば、自己愛です。
自己愛が強いと、逆に他人の目が異様に気になります。
他人の目が気になるって、つまり自分の評価を他人に委ねている状態です。
できない自分を認めましょう。
できない自分は、恥ずべきことではない。
できないんだったら、できるようになればいいんです。
もちろん、そう簡単には行かないですよ。
出来ないことを、できるようになるには相応の努力や勉強が必要です。
でもできるようになったら、その先に新しい知見が開けますよね。
それは楽しいことではないですか?
はったりを使うコツは、可能性を考えないこと
僕もそうなのでわかるんですが、特に理学系の人間って断言をさけるんです。でも、相手は断言してほしいんですよ。
それがお客さんへの営業でも、社内の提案でも、愛の告白でも、ほとんどの場合、相手は断言してほしいんです。
断言を避ける理由は、可能性や確率を考えちゃうからなんですね。
でも、可能性や確率は、あくまでこれまでの結果の話であって、それは過去の話なんですよ。今目の前にあることは、未来の話なんです。
だから、失敗する可能性や確率と同様、成功する可能性や確率もあるわけなので、最終的な結果がどっちになるかは、大いに自分次第です。
いや、どっちにしたいか、ですね。
好きなアニメのセリフに「あとは勇気で補え!」というのがあるんですが、まさしくこれはハッタリの話。
確率や可能性はあくまで、数字の話。
もちろんそれなりに信用できるものではありますが、
それを信仰してはダメなんです。数字は、御神体ではない。
とはいうものの、
「そんなこと言っても勇気も出ないし、失敗は怖いよ」
という人も、きっと多いですよね。
相手の立場に立たないと、はったりは出ない
ハッタリって、要するに勇気だし、勇気の源泉は自己肯定です。
そして、同時に他者への理解(愛)ですよね。
相手を騙すための嘘は、相手への理解は不要です。
自分の利益のためだけのものですから。
ですが、ハッタリは違います。
相手が何を求めているか、どうしてほしいかがわからないと、使えません。
つまり、相手の立場に立って理解することが必須になります。
あなたは私にどうしてほしいのか、が自分の視点ですから、これを相手の視点に変えると、私はこの人に何をしてほしいと思ってるのか、となります。
相手の要求を理解すれば、ここで、はったりが使えます。
要求が、今の自分には無理かもしれないことだとしても、相手の役に立とうと思ったならば、行動しなくてはいけないんです。
だからここぞハッタリを使うんです。
相手「こういうことが実現したい」
自分「できます」
というやり取りは、わかりやすいですが、実際はこうはなりませんね。
相手「これもあってあれもあってどれもあって…」
自分「お話をうかがった限りでは、あなたが実現されたいことはこういうことでは?でしたら、●●という方法ならできます」
こうやって具体化してみると、なーんだこんなことかっていう内容ですね。
できますと断言した内容が、今自分にできるかどうかは、置いといていいんです。できますと言えたなら、それはできます。やらなくてはならないことなので、やれます。できるかではなく、やるかどうか。行動こそが価値。
相手が今、それを求めてきているのに、将来勉強してからお役に立ちます、では相手から信頼されることはありません。当然ですが。
相手の信頼を得たいなら、こういうハッタリは積極的に使えます。
当然、相手の要求が度を過ぎていたり、理不尽であれば、断りましょう。
断るときも、はったりは使えます。とにかく断言することです。
また、本当にできないことはできないといいましょう。これも「ちょっとくらいならできるけど…」と思ってても、できないことは「できない」とはっきりいいましょう。
なに、断ったからと言って殺されることは、めったにありません。
少なくともこの国では。
もし、殺されそうになったら全力で逃げましょう笑
ハッタリは目標設定
ここまで読んでいただけた方には、もうおわかりかと思いますが、これって目標設定の話なんですよね。目標は、届くか届かないかギリギリに置くのが良い、とも言われますし、高ければ高いほどよい、とも言われます。
どちらが良いかは時と場合と人によって異なりますが、概ね、実力よりもちょっと高めに設定するのが良い目標設定とされています。
目標設定も”宣言”です。
人は自分の宣言によって行動に影響されます。
しかも、ハッタリは目標設定とちがって自分自身の宣言です。
誰しも、自分自身に嘘は付けません。
実現のために努力するようになります。
ましてはそれが他人に宣言したものとなれば、責任が生まれます。
ある意味ではプレッシャーでもありますね。
とにかく、相手への理解がないと、ハッタリを正しく使うことはできません。正しくハッタリを使えない人は、嘘つきです。
だから、ハッタリは、相手に対する理解(愛)なんです。
愛がない(理解してない)ハッタリは、単なる嘘です。
…とまぁ、また長々と書いてしまった。
もうちょっとコンパクトにしたいんですが…
文章というのも本当に難しいですね。
というわけで、今回は、
「ハッタリの本質は、愛」ということについて書いてみました。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
それじゃ、また。
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