ジェンダーで最近思うこと
選挙が始まって、ジェンダー格差を無くしたいと行動する政党、そうでない政党が浮き彫りになってきてる。
ちょっと前から思っていることがあるんだけど、セクシャルマイノリティの中にも格差、あるよね。
私の話で言うと、昔働いていたアパレルショップで仲良くなってよく飲みに行ったりしていたゲイの友達が3人いた。
その次の職場には2人いた。
その友人たちの繋がりもあって、たくさんのセクシャルマイノリティの人たちが集まる場所に連れて行ってもらうこともあった。
そう言う場は、朝まで飲んでいても面倒なちょっかいをかけてくる男性がいないのでとても居心地が良かった。
だけど、どこかで性的マジョリティにいる自分が、彼らの空間を侵食している罪悪感もあった。
本当に稀だったが、睨みつけられたこともある。何度言っても注文を聞いてくれなかったこともある。
最終的には友人たちが助けてくれるのだが、"ここにいちゃいけない"感覚があった。
しかし、その感覚は、彼らが毎日、社会で感じてきているものだ。
だからその当時の私が居心地の良さを感じていたのは、きっと、みんながみんなを人として尊重している空気が好きだったんだと思う。
同じ生きづらさを感じている仲間で集まっている場所に友人として連れて行ってくれたことに、本当に感謝している。
私が結婚して、すぐコロナ禍になり、子供も産み、すっかり疎遠になってしまった。
無意識にひどいことを言っていたのではないかと考えることもたくさんある。今更遅いのだけど。
だから、ここに書いておきます。
上京したてで何もわからない私と話してくれて、遊んでくれて、支えてくれて、本当にありがとう。
そして、思い返している中で、女性はどこにいたんだろう?と思った。
どう言えばいいのか、身体は女性として産まれて、心が身体に合わない人などだ。
私が知る中で、打ち明けてくれたのはただ1人だ。
高校の同級生。なんとなく当時から雰囲気では分かっていたが、卒業して随分と経った後、同じく上京していたので時々お酒を飲みに行く仲になっていた。
3軒くらいハシゴをして、その時は本当に色々な話をした。
その時に、打ち明けてくれた。身体は女性だけど、恋愛対象は女性であること。
正直、なんにも思わなかった。だけど打ち明けてくれたことがとても嬉しかった。信頼してくれたのだと感じた。
今付き合っている女性は、バイセクシャルだから、自分といるよりも、男性を好きになれたほうが彼女にとって生きやすいと考えていること。
その葛藤は、とても深かった。
その時に私は、好きなら好きでいいじゃん!一緒にいたいなら一緒にいなよ!みたいに当たり前のことを言った気がする。
でも、私に彼女たちの苦しみはわからない。
見えていないものが、頭で知っていても見てないことが、私たちには多すぎる。
身体は女性で、心、性が身体に合わないときに、この世界はどれだけ生きにくいだろう。
少なくとも私が見てきた中では、彼女/彼らは、とても巧みに自分を隠しながら生きていると思う。
隠さなければならない社会なのだ。
少しずつ、性的マイノリティを公表しやすい空気にはなってきているのか、テレビでは"オカマ""オネエ"はもう当たり前に存在することになっている。
(追記: だけどそれを嘲笑するような空気も当たり前に存在する。テレビが視聴率を取ろうとなんでもありで人を傷つけていい空気を作ってきた罪は本当に大きいと思う。)
でも、女性から男性になったり、女性のままで女性を好きになる女性は、いまだに見えないことにされてないだろうか。
見えない=居ない
私たちはそう思ってしまいがちだけど、そう思っていること自体が、たくさんの人を抑圧している。苦しめている。
まずは、知ろうとすること。見ようとすること。
そこから、私たちは始めないといけない。
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