なにも分かりま仙道(短歌あり)

大学3年生の時、寮の自習室で川端康成の作品にキレていた。
何を書いてるのかさっぱり分からない。ゼミで「処女の祈り」の研究発表をするのだけど、最初から最後まで見事に分からない。何でたった3ページ半しかない物語がここまで奇妙になるの。トンチキな分析しか出来なくて2時を過ぎた、早く寝かせてほしい。
『掌の小説』(新潮社、1971年)から1編選んで発表すると言う課題に13人いたゼミ生全員が苦戦し、「私、川端とはやっていけないわ」と口を揃えていた。偉大な作家が東京の小さな大学で20歳前後の女の子たちから文句を言われるなんて…。アイツ呼ばわりされてましたよ。
 
分析課題が出る度に何でこんなにも分からない物に関わってるんだろうって思う時がある。いや、思う時しかなかったな。分からないなら諦めればいいのに、なのにダラダラと本を読んじゃうのは何でだろう。
(毎月ホルモンバランスが崩れるのも分かるけど分からない。これは納得がいかない…。今日の朝は瞳孔の大きさが勝手に変わる様子を観察していた。自分ではどうしようもできない物を身に着けてるのソワソワする)

 
宮沢賢治の「オツベルと象」(尾形亀之助編、『月曜』、1926年)、中学生の時に国語の時間で読んだことがある。オツベルに良い様にほだされた不憫な象を仲間たちが救い出してめでたし。と思ったら、最後に挟まれた一文がそれまでの雰囲気をひっくり返す。「おや〔一字不明〕、川へはいっちゃいけないったら。」。最高に気持ち悪かった。〔一字不明〕っていうのが拍車をかけている。物語にひっそりと流れていた不穏さを突き付けられて世界が翻り、何か本当のことが一瞬だけ姿を表わした感じ。ものすごく興奮して鳥肌が立った。授業をしてくれた先生は「この一文の意味はなんだろう」しか言わなくて、え?物語って異様なものが書かれてて良いの?答えは無いの?と混乱と確信が同時にやって来た。

 
高校に入る前の春、その頃は和歌が好きだった。渋いぞ。和歌は「花と言えば桜」ってルールが出来るくらいひたすらに桜の歌を詠む。詠み倒す。圧倒的桜。桜はいくら詠んでも困りませんからねってくらいで、昔の人は執着しすぎではと不思議だった。
春休み、家の前の墓地で犬の散歩をしていた。そこには1本だけ桜の木が植えられていて、犬がその木の匂いを嗅いでいる様子を眺めていた。ふと顔をあげたら一枚の花びらが花から降って来た。桜が散るところなんて初めて見たわけじゃないのに、その瞬間だけ、周りの音も墓地に立ってる事も犬の事も全て消えて、ただ花びらが回転しながら石畳に着地するまでの光景しか目に入らなかった。一瞬の事なのに永遠に続くように感じて、それから、これか!だからあんなにも詠んだのか!と直感した。無数の人が書きたかった何かを見つけた。色々な理由をすっ飛ばして目を開けられた感じ、そういう事かと腑に落ちる感じ。花の歌とそれを書いた人達がありありと浮かんできて、ゾゾゾと鳥肌が立ってとんでもなく気持ちがよかった。「オツベルと象」の時よりも強く本当のことを見つけた気がした。
 

それからも時々、数えられる程度だけど、本を読んでたら偶然が気まぐれでやって来て鳥肌が立つ瞬間があった。散歩してた犬も、桜の木も、中学校も無くなってやたらと興奮した時間だけが残ってしまって、その心地よさが忘れられなくてダラダラと本を読み続けている。でも10年以上前の鳥肌の理由はいまだに説明できない。言葉にしようとすると深みにはまりそうで、それこそ最初の一文がよぎる。「おや〔一字不明〕、川へはいっちゃいけないったら」。
 
……
 
大学では日本現代文学を専攻したけど、現代文ってやつらは答えがない事を前提にして語りかけて来る。いや、そもそも文学に限らずほとんどの物に答えは無かったのかもしれないけど、わたしが学んだ作品たちは「分からないものを分からないものとして載せてますが」という態度。読者は頭にクエスチョンマークを付けて押し黙り、作者も多分首を捻り続け、そして野太く横たわる作品。…関わらない方が良いのでは?
一応分析はするけど核心を突くことはできなくて、周囲をバターになるまでぐるぐる回るだけだった。わたし含め友人も先輩も後輩も、作品を組み伏せてやろうと躍起になっては反撃に遭ってのたうち回り、「どれも分からない」に行き着いてニヤニヤしていた。よく見たら強力で正しさの権化みたいだった先行研究も不完全で、「むずかしかった。次回もがんばる」と笑っている。あの場にいたみんな、ほとんど何も分かってなかったけど楽しかった。

 
分からないってことを分かるために本を読んでいるのかもしれないと思う時がある。分からないことの氾濫に苛々して疲弊したいのかも。そして欲を言えば、たまに一瞬だけ姿を見せる確信めいたものに触れたいのかも。そんな根性は無いし、作品はそこにあるだけだし、誰かに聞いても答えは無いし、どん詰まってるのに読んじゃうし、これはやばいと不安になる。とんでもない4DX四面楚歌である。
 
(「寿命」というテーマで短歌を考えてるんだけど、寿命ってやつも分からない。壮大で難解でピンボケ過ぎる。普段は息を潜めてるくせに突然やって来るところに腹が立つ。私大生のフラッシュモブより下手か?誰のことも納得させられない、ぽんこつなシステム)

すべからく光はあるよ
くり抜いた瞳を舐めて 今、教えるね

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