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運を掴む方法

今日は競馬にあまり関係ない、わりとまともな話を書きます。

人生において、運を掴むことはとても大切です。

例えば私は競馬に関しては上級者の部類で、そうなったのは他人よりも努力をしてきたからだと言えますが、努力の正しい方向を知ることができた理由は「運がよかったから」である気もします。

たまたま正しいものに興味を持ち傾倒できたから、努力が報われたということですね。
信じる物は一応自力で選択してはおりますが、若いころから真贋を見極める力があったかというと正直疑わしいので、「運」という要素は決して小さくなかったでしょう。


心の病と運

特に心を病んだ人にとって「運」は非常に重要です。

私は、後天的に心を病んだ人間の大部分は治せるという立場を採ります。
後天的に病んだということは、周囲の環境による長年の悪影響などにより心が曲がったということです。ということは理屈的には、曲がったのだから真っ直ぐに直せばよいだけです。

にもかかわらず、治らずに苦しんでいる人もたくさんいます。では、治らない人は努力が足りないのでしょうか?そんなわけはありませんね。

心の病が良くなるかどうかも、正しいものに出会えるかどうかにかかっていると思います。心の病み方や症状は人それぞれ異なるため、万人に通用する方法はありませんが、その人に合った「こうすれば心を真っ直ぐにできるよ」という方法に出会えるかどうか、そしてそれを信じられるかどうかです。そこは「運」による部分が大きいと思います。

「心」について知りましょう

このように書くと、運がなきゃご愁傷様と読めてしまいますが、運を掴む可能性を高める方法はあります。その方法とは、
「物事の仕組みや心の動き方を理解しようとすること」
です。または「本質を追求する姿勢」と言い換えてもよいでしょう。

人は知らず知らずのうちに「本物」と接しています。
例えば勉強嫌いで育った人にも、勉強の面白さを教えてくれる先生との出会いは必ずあったでしょう。
例えば心を病んだ人の周囲の人間は悪い場合が多いですが、病んだ人がこれまで接していた人たちの中にも、自分を助ける材料を持っていた優しい人がいたことでしょう。
しかし、そういう「本物」の存在を認知できなければ仕方ないですよね。認知できるかどうかは究極的には「運」ですが、解かろうという姿勢がある人ほど認知がしやすいでしょう。
つまり、解かろう・知ろうという気持ちが「運」を掴ませるのです。

今回は特に「心」の本質について、思うことを述べます。

「意識」と「無意識」

人の心を簡単に分類すると、「意識」の領域と「無意識」の領域があります。「意識」は自分が考えていることです。それに対して「無意識」は、心の奥に仕舞っている感情です。

人は、その環境において都合の悪い感情などを「無意識」に仕舞いこみます。
例えば、隠し事は許さないというキチガイ両親に育てられた子は、隠し事をしたくなる気持ちがあっても「無意識」に仕舞いこみ、なかったものとして振舞ったりするでしょう。
例えば、「遊びは悪」などと言って勉強をさせまくるキチガイ両親に育てられた子は、遊びたい気持ちがあっても「無意識」に仕舞いこみます。
いずれの場合も、そうしないと糾弾されるからです。

このように、「自分らしい自然な感情」を意識の力で禁止するという行為を長年続けると、意識と無意識の乖離が起こります。自分らしい感情を心の奥に押し込んだ結果、自分の意見がない空っぽな人間になったり、自分のやりたいことがわからなくなったりします。

「無意識」をゴミ箱にする人は、ゴミ屋敷の住人

都合の悪い感情を「無意識」に押し込んでも、その感情は消えるわけではありません。

「無意識」のイメージは、でかいブルーのゴミ箱です。
いろんな感情を押し込んでふたをすれば一見綺麗になります。しかし、ゴミはいっぱいになってくるとふたの隙間からゴミの臭いが漂ってきます。常にゴミの臭いの中にいたらとても不快ですよね。

「無意識」の感情は、探ろうとすれば意識に乗せることができます。健全な人は、「意識」も「無意識」も感じていることに大差がないため、無意識の感情を意識に乗せることがたやすいです。

意識に乗せる行為は、「ゴミ出し」です。健全な人は定期的なゴミ出しによってゴミ箱にゴミが貯まらず清潔です。意味も分からず不快になるなんてことは起こりません。元気に過ごせます。

しかし、「無意識」をゴミ箱のように使う人は、「無意識」の感情を意識に乗せることが非常に困難です。「自分が持っていると認めたくない感情」を押し込んでいるのだから当然ですね。その結果、ゴミが貯まる一方で毎日不快に過ごす羽目になります。

うつ病を一括りには論じられませんが、うつ病の人の多くはゴミ屋敷の住人になっていると考えられます。

薬でうつは治る?

精神の不調で精神科にかかると薬がもらえます。薬を飲むことでうつは治るのでしょうか?私の答えはNOです。薬は対症療法でしかないため、治らない場合が多いだろうなと思っています。

先のゴミ箱の例を用いると、薬のイメージは
「鼻を馬鹿にして、ゴミ箱から出る臭いを感じさせなくする」
といった感じです。不快な臭いがなくなる日々が続けば調子は上がるとは思いますけど、ゴミ箱の中のゴミは貯まったままです。

臭いがなくなって元気になった時に上手くゴミ捨てができる可能性はあるので、その意味では薬も役立つ面はあります。だから本当に苦しいときは飲んで楽になるのもよいんですけど、なるべく飲まない方がよいでしょうね。

薬を飲んでいればそのうち心が真っ直ぐになるというものではありません。曲がった心を治すには、長年かけて作ってしまった「感じ方のクセ」を矯正する努力が必ず求められます。

うつ病の人に贈る言葉色々


行き詰まったら逆が正しい

毎日苦しく生きている人は、世の中の見方を根本的に勘違いしている場合があります。

「無意識」の領域に本心を押し込みすぎた結果、「周囲の人間にとって都合のよいもの」を評価する自分が出来上がります。そんな自分の評価は全くあてになりません。

「何不自由もなく育ててもらって、私は幸せだ」
と意識では思っているうつ病患者がいます。しかし、幸せならうつ病になるはずがありませんね。こんな場合、
幸せなはずなのに苦しい→私はおかしい、ダメな人間だ、親に申し訳ない
という思考回路になったりします。しかし、読めばわかるようにこの場合は前提の段階ですでに間違っています。
不自由だらけで育ったから不幸せなのです。おかしい人間・ダメな人間は自分ではなく、周囲(大抵は親)なのです。

心の病になった人は、これまでの思考のクセによって行き詰まっています。ならば、これまで常識だと疑わなかったことから見直した方がよいです。さもないと、天国だと思いこんだ地獄に住み続けることになります。

「行き詰まったら逆が正しい」という言葉を覚えておくとよいです。いつもの選択をし続けて病んだのだから、いつもが間違いで逆が正しいのです。

付き合う人間を変えよう

逆が正しいという言葉と同様に、今の人間関係に身を置いて病んだのだから、ガラッと人間関係を変えるのもよいでしょう。これまですごいと思っていた人から離れ、バカにしていたような人を見直してみるとよいですね。

心を病んだ時は、優しい人を周りに置くことが大切です。しかし、病んでいると誰が本当に優しい人なのかを正しく判断できない可能性が高まります。そこで、「一緒にいてラクな人」を判断基準とするのがオススメです。

この人に好かれたい(からよく見せよう)と思う人はそばに置かず、この人の前なら失敗してもよい(きっと見捨てられない)と思う人と一緒にいるとよいです。そういう人はしばしば、今までバカにしていたような人の中にいるものです。

人は未知の不安よりも慣れた不幸を選ぶ

人は、環境が変わるストレスを感じるくらいなら、今が不幸でもその不幸にしがみつく傾向があります。DV彼氏と別れられないとかは1つの例ですね。すでに今が八方塞がりだったとしても、未知の環境に飛び込む不安よりマシだと心理的に感じやすいそうです。
別に無理に飛び込めと言うわけではないですが、そういうものだと知っているだけでも随分違ってくるんじゃないでしょうかね。

甘やかされるままではダメだと思えたなら加藤諦三

加藤諦三さんという、テレフォン人生相談をしている心理学者がいます。本気でうつ病を何とかしたいと考える人は、著書を読んでみるとよいです。
「あなたは頑張りすぎたのよ」
的な優しい言葉を期待するうつ病患者には猛毒の部類ですが、自分の人生を自分で立て直すんだという覚悟がある人ならきっと刺さります。
ドラゴンボールで言う超神水のようなものですね。甘ったれた人間は飲んだら死にます。

まとめ

何事においても、本物を見極め見倣って正しい努力をすることが大切です。
しかし、本物を手本にできるかは「運」によるところが大きいです。

麻雀で20年間無敗の桜井章一さんという人がいます。
章ちゃんの著書は話半分で読んだ方がよいと個人的には思いますが、ためになることも色々書いてあります。
章ちゃんによると、運には「天運」「地運」の2種類あるそうです。そのうち「地運」は、自分の行動で高められる運のことです。

物事の仕組みに興味を持ち、正しく知ろうという姿勢は「地運」を高める姿勢です。そういう人が「運」を掴みやすい人なのでしょうね。

人生はマジ楽しい

心の不調に苦しんでいる人の記事をnoteで読んだり、リアル日常で心を病んだ人に関わってあれこれ思うことがあったりしたため、今日は主にうつ病などについての話を書きました。

私自身も、高校卒業後の数年は心の不調に苦しんだ経験があります。
競馬と同様、たくさん努力して乗り越えられましたが、正しい方向に努力できた理由はやっぱり「運」でした。元気になる運命だったとはとても考えられません。心の不調に沈んで終わる世界線もあったと思います。

以前の人生の記事で、私はこの世界線の自分には失望していると書きましたが、逃した世界線が強力すぎただけで、今の失望している世界線ですら人生はマジで楽しいと感じます。

今不調で苦しんでいる人の未来が明るいかどうかも、「運」に大きく左右されます。ただ、私と同程度に自分らしく生きられるようになれば、人生はめっちゃ楽しいことを保証します。
だから、ぜひとも「運」を掴みにいける人になってほしいです。

不調で苦しんでいる人について、それがnoteの知り合いならこの記事で何か刺さるものがあればよいなって思います。
それがリアル知り合いなら「こっちにおいでよ」って声が届くとよいなって思います。

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