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どん底から2022再起へ Vol.1

突然ですが、これから4回ぐらいに分けて
今の自分、というよりこの2年間の自分を赤裸々に、
これからの取り組みについても書き綴ろうと思って
久しぶりのnote 書くぞ~

第一弾の今回は、その背景と近況報告的な整理から。

NOW:2020からの、いま。

世間はコロナの感染が沈静化しては、また拡大したり。
その都度バタバタしてしまうのが僕らの事業。
国際交流コンセプトのシェアハウスやってます。その代表やってます。

僕らの事業はというと
海外からの留学生を中心にしたインバウンドと
共同生活というベッタベタなリアル交流がバリュー。

2020年に始まったコロナによって
入国制限とソーシャルディスタンスという
大きな壁によって
2008年事業開始以降、最も苦しい時期が続いた。

そして2022年春、ようやく入国制限が緩和され
多くの留学生たちの来日したことで事業は持ち直し
今やっと夜明けを迎えたような気持ちだ。

会社はというと
ボーダレスの"グループ"経営に心も資金も支えられ
自分たちで切り開いたというよりは
”夜明けを待てた”というのが正しいだろう。

コロナから日常を取り戻しつつある世間の流れから
大きく遅れをとってしまった僕たちですが、
ようやく夜明けをむかえ
新しいプロジェクトにチャレンジしようとしている。

WHY:いま、書き留めておきたい


とはいえ振り返ると、
この2年はほんまに苦しかった~。
なんとか耐えようと、持ち直そうといろいろ試みた。
それでも事業の赤字は膨らむばかり。
仲間もどんどん離れていった。
(もちろん良い卒業もあったけど)

人生で一番と言っていい、どん底をみた かな
会社とか事業というより、自分自身に。

なんやかんやポジティブになれる自分だったが
気力を失い自分を見失う。

意気消沈せずなんとか踏ん張らねば
みんなを鼓舞しなければ
と自分を奮い立たせながら
心の中では逃げ出したい気持ちといつも戦っていた。

実際心身ともに限界がきちゃって
みんなにごめんと、
1週間ぐらい休んで現実逃避して
自然の中で自分と向き合ったこともあった。

黙って我慢、24時間働けますか の昭和野郎としては
初めて仕事に穴をあけた、そんな経験。
(もう李さんこのまま帰ってこないじゃないかってザワついてくれたらしい。笑)

会社では四半期レビューや次の目標設定はやるが
自分の中でこの2年間を振り返ったり
言語化したり、語り合ったりなんてしてこなかった。
したくもなかった。
全然消化する気持ちにもなれなかった。

周りはいつか事業も回復するさと励ましてくれたが
出口の見えない暗闇の中にいる
そんな気持ちやった。
(渦中にいるとそうなるんだな、、、今思うと。。。)

そんな期間が明けての次へのチャレンジだから
次は
使命感とか責任感からじゃなく、
ほんとに自分が
自分たちが楽しんで熱狂するアクションにしたい。

だから
そんな”どん底から再起”の前に
この2年間の一つの区切りとして、
苦しい日々送ってました的な自分への決別として、
今までのある種エンディングとして、
その出来事や想いを書き留めておこう
と思ったわけです。
はい。

昭和生まれのロスジェネとして突っ走ってきた自分は、
無言実行、黙ってやることやる、
弱音はく暇あったら手を動かせ、
誰かのロールモデルになりたいんだ、なんて
そんな価値観で生きてきたわけで。

赤裸々に語るとか
自分の負の部分や弱さをさらすのは
ほんまに苦手。

でもそんな自分も含めてオープンにすること、
事業の代表とか社会起業家とかそういうのじゃなく、
等身大の自分の言葉で語ることが、
今の自分にとってめちゃくちゃ必要なプロセスだと思っている。

なんでかはよくわからんけど、
自分のWHYを開示してこそ、という
今でいう、”プロセスエコノミー”の考え方が
妙に腑に落ちるわけです。
次へのステップとして。

もちろん自分のために書くわけだが、

多文化共生やソーシャルグッドに意識のある人が、
これをみて
僕らの事業や取り組みの裏にある、
そこに取り組む等身大の僕らを知って
少しでも共感してくれたり
応援の気持ちを持ってもらえたら
それはめちゃくちゃありがたいなぁ。

コロナ禍で同じように深い傷を負った人が
わかるわ~ って少しでも共感してくれたり
何かの気づきや勇気になってくれたら
それもまためちゃくちゃ嬉しいなぁ。

そんなことも思うわけです。

ちょっと暗い?エモい?流れが続いたので、、、

WHAT:次のチャレンジ(チラ見せ)

詳しくは次回以降のどこかで書きたいと思うんだが、
こんなものを描いておりまする!

2021年9月から、ご縁あって
元ゲストハウス(2~5F)&カフェバー(1F)だったポテンシャルの塊のような建物を1棟まかされました。
2Fの一部を僕らのオフィスに、
上階をボーダレスハウス(18人のシェアハウス)として活用。
おかげさまでほぼ満室稼働の人気ハウスに。
こんなハウスです ボーダレスハウス浅草橋>>>

とはいえ
コロナ禍においてのこの決断は
任してくれた物件オーナーにとっても
僕らにとってもなかなかのリスクテイクだった。

それでもやりたかった理由が、ここの1階スペース。
何ができるだろうと、妄想を膨らませてくれる
めちゃくちゃ魅力的なスペースだったこと。

↑やばくないっすか?

本業のシェアハウス事業の価値も
もうそれはそれはめちゃくちゃ最高なんだが
”住まないと体験できない”、"家の中”、という
意外とクローズドなドメインという
難しさ?制限?が実はある。

だからいつか
外部にオープンなコミュニティスペースを持ちたかった。
やっぱり”場がある”って強みになるし大事やもん。

なので、このスペースを活かすというより、
そんな場所をずっと探していた。
それが
事業も組織も縮小してるコロナ禍真っ只中に見つかるんやから
なんとも巡り合わせだなと思う。
未来への種だと。

はてさて
そんなこの場所を使って
ラジオ・音声メディアでの社会への発信 と 
BARという形での場作りへの探求
に新たにチャレンジしたい。

これは事業のビジョンやミッションもそうやけど
自分が何をやっている時が楽しいのか活かせているかを
自問自答した中でみえてきたコンテンツだった。

オンラインセッションや学生たちの前で話をさせてもらう時に、
重いテーマをカジュアルに楽しく話したり語ったり
それが確かに届いて、目の前で価値観がアップデートされる。
そんな体験と時間が自分にとってはとても感慨深く、
なにより楽しかった。

もう一つは、
以前コミュニティ食堂(こども食堂)にチャレンジした時に
オープンなお店という形で
いろんな人が集いそこで場が生まれていくのが
めちゃくちゃワクワクしたし
なによりその中で自分が楽しかった。

そんな時は
良い顔してるって言われたりしたし
時間を忘れてつい熱中しちゃう取り組みだった。

そんな自分の好き(仲間の好きでもあると信じたい)
をつめこんで、
しかもそれが、
誰かの役に立ち、社会を良くしていく活動となって、
これをまたみんなで取り組めるなら最高やなと。

もちろんそれは
僕らが掲げる異文化理解とか多文化共生への
社会活動、ソーシャルアクションとして。
(おっと、また狙ってしまった。昭和の癖が。。。)

HOW:クラファン挑戦します。

これもまた後編で書きますが、
このスタートに伴い
初めてクラウドファンディングたるものに
挑戦しようと思っています。

今まで”ビジネス”というスキームでしかやってきてない、
自分のケツは自分でふけタイプの
昭和野郎なわけですが、

会社としてはこの間の負債がとんでもないわけで、
だから新プロジェクトへの出費は負債解消されてから、
か、
ちゃんと儲かるモデルを作って新規投資としてビジネスやるのか。

でもなんか違うな、、、と。

これは経営者失格って思っているし、甘えだとも思う。
でもいまは
ようやく持ち直した本業を大切にまた成長させながら
一方でその延長線では見えない新しい種巻き、探求に
実験的な意味合いとノリでチャレンジしたい。

しかも
そんなこのプロジェクトアイデア、
周りに共有すると共感度がとても高く
素敵なパートナーが一緒にやろうと手を挙げてくれる。

僕らは100%コミットするが、
僕らだけで取り組むものじゃなくて、
これはやっぱりソーシャルアクションだなと。

だったら
クラファンで募るって選択もあるのかなぁと。

何より
そのクラファンというプロセスで
自分を開示して発信して
応援してくれる方を募って頼って支えてもらって
スタートを共にしてもらう。

僕らに、いや、僕自身に
今一番大切な姿勢、必要な第一歩なんじゃないかなと思ったわけです。

そうして、今までとは違うスタートの形として
新しい自分に、新しいボーダレスハウスに
アップデートしたい。

そんな想いの先にある新しいプロジェクトが
いよいよ始まる。
はてさてどうなるやら。
。。。9月ぐらいからやけど。

そんなスタートに向けての
一つの区切りとしてのエンディングnote であり
スタートへの意気込みnote シリーズ です。

次回はコロナ禍での事業の赤裸々話、
その次は、そこで葛藤した自分の心の話、
最後は、次の取り組みにかける想いと願い、
を綴ろうと思ってます。。。。

ではでは。


※後日更新分
その後クラファンプロジェクト始まりました~!
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