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人類史の螺旋

2020年に「生存的特異点(Survival Singularity)」なる言葉を思い付き、人類が存続可能な限界点や臨界点をいずれは迎え人類は絶滅するだろうと思った。1万年前くらいから6度目の大量絶滅期になっていると言われており、その主な原因は人類が繁栄した事と言われている。人類の短期的に善かれと思った選択が裏目となり、結果的に人類自身への淘汰圧も強めていき、人類自身が生存し続ける事自体が難しくなっていく。人類が善かれと思って作為をすればするほど生存的特異点が近付き人類の猶予が無くなっていくパラドックス。

人類は様々な問題に対して対症療法を繰り返し新たな問題を生み出してきた。人類の問題に対する根本療法とは何だろう?
2014年に、
自由を追求しても繰り返される釈迦の掌。繰り返す度に釈迦の掌は大きくなっていく。
真実を追究しても繰り返される螺旋迷宮。繰り返す度に螺旋迷宮は複雑になっていく。
人類の営みも紀元前から繰り返し。喜怒哀楽も禍福も繰り返し。
って思った。

「勝負の本質は常に対自分自身」つまりは自分自身が成長すればするほど勝負対象はより強大に複雑に成長していく。
終わらない。
終わらない螺旋。どれだけ成長しても、この世の設定、循環から逃れられないのだ。
人類史は、やってやられてやり返しての繰り返し。終わらない。故事成語に「人間万事塞翁が馬」や「禍福は糾える縄の如し」とあるが、ガンダムの逆襲のシャアのテーマ曲「BEYOND THE TIME メビウスの宇宙を越えて」はそれらを彷彿とさせ名曲だなと度々思う。

スパロボのシャアは、今作は裏切らないんですか?みたいな話があるけれども、人生上100%裏切らない、裏切るとまではいかなくても100%味方で居続けてくれる存在というものは親であっても難しい事が多々あるのが現実。逆説的にはそれが1生物でも得られる事が出来たら誰にとっても今生の幸せとなるのであろう。

人類の様々な問題が解決するのであれば紀元前に既に達成していた。けれども達成出来ずに文明の進歩により、かえって人類は劣化退化した現実。つまりは達成出来ていない事が人類の行く末を物語っている。過去の歴史によって法則性が既に表れているのだから、その法則性によって未来を計算すれば答えは出る。けれどもサイコフレームの奇跡があったらいいなとも想う。全く期待していない気持ちでもいる。

ガンダム内ではサイコフレームの奇跡があっても人類は変われなかったと続いていく。そもそもとして、人類は変わる必要性や改善する必要性があるのだろうか?
得る事は失うこと、失う事は得ること。福は禍を生み、禍は福を生む。善は悪へと繋がり、悪は善へと繋がる。人類は作為を止めれず、自滅の螺旋を行進していく。
大抵の善は普遍的ではなく短期的一時的な対症療法。

人類という種族や存在に懐疑的。人類が存続し続ける意義はあるのだろうか?存続し続けるに値する種族なのだろうか?この世の始まりから人類が存在した訳ではない。
栄枯盛衰、盛者必衰、因果応報、自業自得、自己責任、諸行無常。
道、無、空。

世の中の疑わしき事を悪しき事と論じるなら、人類の存在についてが主題だと思う。
弱者や被害者を売りにしている人が、より弱い弱者を毎日食べて生存し続けているパラドックス。
知識知恵を売りに何かをやっている人は、動画や写真でたくさんの本を背景にして何かをしている事も多いけど、大衆向けの演出でしかないよね。だって僕は殆ど本を読んでいないし、現代で買う価値のある本は殆どないから。寄付の意味合いとかなら解る。
ここ数年、回顧する事が多くて走馬灯みたいでおもしろい。走馬灯は時間が長く感じるとの説があるが、僕の走馬灯は40年くらい続くのかも知れない。逆に「白駒の隙を過ぐるが如し」なんて言葉も。


2022年07月13日 記

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