10マインドフル・ステップス仏陀の次第説法①布施:前編

皆さんこんにちは。

前回の10マインドフル・ステップス 仏陀の次第説法プロローグでは仏陀の次第説法の概要の説明をさせていただきました。

今回は、仏陀の次第説法の一番目のステップである布施について紹介したいと思います。

前編と後編に分けて解説したいと思います。


布施は仏教の重要な修行の一つ

仏教では、布施は涅槃に至るために必要な善行為の一つとして重視されていて、上座部仏教の十波羅蜜や大乗仏教の六波羅蜜でも布施が第一項目として説かれています。

仏陀が次第説法で一番目の教えとして布施を人々に説いたのには深い理由があるはずです。

仏陀の説かれた布施について、様々な角度から分析して布施に関する理解が深まるように解説していきたいと思います。


布施の一般的な意味

布施(ダーナ:dāna)とは、他人に財物などを施したり、相手の利益になるような教えを説くことなど与えることを意味します。

英語の Donation (寄贈者)やDonor(ドナー)とダーナは、同じインドヨーロッパ語族の語源をもつそうです。

日本では「物や金銭を与える=布施」という狭い意味で誤解されていますが、広い意味では自ら学んで得た知識を教えたり他人に何かのサービスを提供することも布施に含まれます。


財施と法施

仏教では、他者に物質的な財物を施す場合は財施、相手の利益になる教えなどの非物質的な情報を与える場合は法施といったように布施する施物の性質で二種類に分けて説明しています。

他者の畏れを取り除く無畏施を説く場合もありますが、これも財施か法施またはその複合的な布施として説明できます。

伝統的に仏教では、使ってしまえば失くなる物や金銭などを与える財施よりは、自ら学んで得た有益な知識を与える法施の方が優れていると一貫して説かれています。

一方で、生きるために必要不可欠な衣食住薬などの最低限の財物も得られない貧困状態では、施主が法施を行ったり受け手が法施を受けたりすることも難しいのも事実ですから財施と法施は両方大事だと理解しておいた方が良いと思います。

仏教思想では、基本的に精神を重視して物質についてはほとんど扱わない傾向が一貫してある背景には文化的に布施の習慣が既に出来上がっていて修行者が托鉢や布施で生活するのに必要な財物を得ることが容易だったインド社会という環境下で成立して発展した思想であることも影響していると思います。


布施と文化

インド文化では、宗教家や学問を学んでいる学者などが修行や学業に専念できるように一般の方々が食事や日用品などを施したり宿を提供することは仏陀が現れる以前から一般的な文化でしたので仏陀が発明した訳でも仏教の専売特許でもないのです。

インドなどの南の地域では仏教成立以前から今日に至るまで、布施の文化が盛んな文化的な土壌が前提としてあったので仏陀は布施を殊更要求する必要が無かったし反対に受けてはいけない施物や不正な布施などを規定する律がたくさん設けられたのです。

今日でも上座部仏教では、第一結集で編纂された仏陀の戒めをそのまま継承して出家が経済活動をしなくても行学に専念したり布教伝道活動をすることができるのはそのような文化的な土壌が前提条件としてあるからなのです。

例えば、欧米ではキリスト教のドネーションやチャリティーの文化的な基盤がありましたので、今日では上座部仏教の布教伝道活動がある程度社会に受け入れられて完全非営利で運営されている森林僧院が作られて無料の瞑想合宿なども行われています。

一方で、「働かざる者食うべからず。」という言葉に表されているように、村という共同体に所属して労働に従事しない浮浪者を排斥する文化的な傾向の強かった東アジアでは布施が成立するような文化的な土壌が乏しいと言えるでしょう。

北伝仏教ではそのような文化的な土壌に合わせる形で、僧侶が自ら料理をしたり耕作や儀式で対価を得る必要に迫られて、今日に至るまで南伝仏教のように僧侶が托鉢や布施で生計を経てながら行学に専念できるような安定した強固な布施の基盤が確立しなかったのは文化の影響が大きかったのではないかと個人的には考察しています。

そのような文化的な事情の影響で、南伝仏教のような布施の基盤を前提にした仏教活動は欧米ではある程度普及しているのに、日本では社会に受け入れられて普及するには至っていない状況があるように思います。


世俗的な意味での与えることは全て布施なのか?

一般的な意味では、自らの所有する物や知識やサービスを他者に与える行為が布施であるという理解や解説がほとんどだと思います。

そのような「他人に何かを与える行為は全て布施である」という説明では、物やサービスを売る販売行為や商業的な融資や投資なども全て布施行為であると誤解する可能性もあります。

商売や取引にしても、相手に何かを与えなくては成立しませんのである程度では施しの要素が含まれているのは事実です。

広い意味では、他者に何かを与える行為は全て布施に分類できそうですが、一般的には商売や取引と布施を同列には語りません。

他者に何かを与える行為までは布施と商売や取引は共通していますが、商売や取引の場合は与える見返りとして対価を提示して交換に持ち込むという特徴がありますので純粋な施しとは言い難いのです。

見返りを求めたり対価を提示して与える行為は商売や取引で、見返りを求めたり対価を期待しないで与える行為を布施と定義すると理解しやすいと思います。


生命はみんな商売人

生きるために必要な物やサービスを自らが得るために、他者に何かを差し出したり与えるという行為をして生活しているのは人間だけではありません。

動物達も繁殖期には雄が雌に餌や巣をプレゼントして交尾に持ち込もうとしたり、群れのリーダーに取り入るために毛繕いをしたり、ペットが飼い主に餌をねだるために媚びたり、ほとんどの生き物達が得るために与えるという行為をして生活しています。

仏教では、生き物達が何かを与えることで何かを得て生きることを否定している訳ではないのです。

世間一般で広くみられる見返りや対価を求めて商売や取引をする生き方よりは、仏陀の説かれた布施の教えを学んで理解して実践してみた方がより有意義であると推薦しているのです。


仏教の布施行為

世俗的な広い意味での与える行為については既に触れましたので、ここからは仏教で説かれている精神的な修行としての布施行為について少し説明したいと思います。

仏教では表面的な身体で行う行為よりも、その裏で働いている動機や目的や意思を重視します。

布施という行為も、布施をする人の動機や目的や意思によって分類して説明することができます。

基本的には、人が何かの行為をする際には何かしらの動機や目的や意思が絡んでいますので「他人に何かを与える行為」は全て同じことだとは言えないのです。

仏陀の推薦する布施行為には、功徳行為としての布施と善行為としての布施の二種類があるのですが長くなってしまったので今回はここまで一旦区切らせてもらって詳しい内容は後編で解説したいと思います。


大事なポイント

・布施は仏教の全ての宗派で重視される重要な修行の一つです。

・布施(ダーナ:dāna)とは、他人に財物などを施したり(財施)、相手の利益になるような教えを説くこと(法施)など与えることを意味します。

・何かを与えて何かを得ることは、生きる上では欠かせない重要な行為です。

・与える行為はその目的や動機や意思によって、世俗的な利益や見返りを求めて行う商売や取引のようなものから仏教的な功徳行為や善行為としての布施の三種類に分類することができます。


終わり

今回は、仏陀の次第説法の一番目のステップである布施について二部構成に分けて前半部分を説明させていただきました。

次回は、10マインドフル・ステップス 仏陀の次第説法①布施:後半の説明に入りたいと予定しています。

ここまで読んで下さった方々に智慧の光が現れますようにと御祈念申し上げます。