10マインドフル・ステップス仏陀の次第説法①布施:後編

皆さんこんにちは。

前回の10マインドフル・ステップス 仏陀の次第説法①布施:前半では仏陀の次第説法の布施についての概要の説明をさせていただきました。

今回は、仏陀の次第説法の一番目のステップである布施について前編に引き続き後編として解説していきたいと思います。


布施を3つの要素に分ける

布施は、施しを行う人と施しを受ける人と施すものという3つの要素が組み合わせって成立すると説明できます。

布施という行為は、施しを行う人と施しを受ける人がいて成り立つ社会的な行為ですから施しを受ける人に関しては施しをする対象として扱いたいと思います。

まずは、一番分かりやすい施すものについて説明したいと思います。


施すものについて

前回のおさらいですが、金銭や食事や日用品などの財物を施すことは財施で、有益な情報や技能などについての教えを施すことは法施です。

また、自分の身体を使って何かのサービスをしたり、労働や作業を代行したり手伝うことも布施の一環ですので、経済的に裕福な人や特別な知識や教養がある人でなくても施しを行うことは可能なのです。

世間的な例でいえば、貧困や災害や戦争などで困窮している人々のために募金をしたり食料や必需品を提供することや仮設住宅を作ったり医療や教育などのサービスを提供したりすることです。

仏教の例でいえば、出家した僧侶や道場などで修行する人が瞑想や教学に専念できるように、在家の方が代わりに調理したり食事を提供したり身の回りのお世話をすることや、法話を文字起こしして本にまとめたり他言語に翻訳する施本活動で布教伝道活動を支援したり、お寺の管理やサンガを維持するために何かを提供したり手伝うことも全て布施になるのです。

物や教えや労働力を施す余裕がない場合でも、他人に接する時に相手に不快感を与えないように表情や話し方や振舞い方に気をつけることで、相手を明るい気持ちにさせたり場の雰囲気を良くすることも一種の施しになるのです。

施すものについては、以下の三種類の順番で布施の功徳は増大します。

①法律や道徳に反する行為をして、不正に得たものを布施する場合は功徳は少ないのです。(犯罪はやってはいけません)

②親から譲られた財産や宝くじなど、不正ではないが苦労をせずに得たものを布施する場合はそれなりの功徳になります。

③自分が正しく仕事をして、努力をして合法的に得たものを布施する場合は大きな功徳になります。


施しを行う人に関して

仏陀の教えでは、布施を行う人の性質を五種類に分けてそれぞれの行う布施の功徳を説明しています。

①怒り、高慢、見栄などの汚れた心で布施をする場合

②宗教的な儀式や義務感で布施をする場合

③五戒を守って道徳的に生活している人が布施をする場合

④戒だけでなく瞑想修行も行う人が布施をする場合

⑤預流果以上に悟った智慧を備えた人が布施をする場合

これらの五種類のケースでは、①<②<③<④<⑤の順番で布施による功徳は増大すると説明されています。

基本的には、人が何かの行為をする際には何かしらの動機や目的や意思が絡んでいますので「他人に何かを与える行為」は全て同じことだとは言えないのです。

施しを行う人についても、世俗的な広い意味での物や情報やサービスを与える行為として施しを行う人もいれば、仏教で説かれている精神的な修行としての布施を行う人もいるのです。

仏教での布施行為には、功徳行為としての布施と善行為としての布施の二種類に分けて説明することができます。

功徳行為としての布施と、善行為としての布施についても少し解説したいと思います。


功徳行為と善行為

仏教の善行為には、功徳(プンニャ:Puñña)と善(クサラ:Kusala)の二種類があります。

功徳(プンニャ)の場合は、宗教的な意味での「善い行為をすると功徳になる」というような意味です。

善(クサラ)の場合は、功徳(プンニャ)よりも広い意味で用いられる言葉で、日本語では「善」や「巧みである」と訳されることが多いと思います。

英語では、「prudence:〔危険を回避するための〕慎重さ、用心深さ」や「efficiency:効率のよさ」や「ability:能力がある」という意味に近いと言われているようです。

ここでは、宗教や一般的な意味での善い行為は功徳行為であり、それを理性的により巧みに効率よく行うことが善行為であり、善は功徳を包括すると理解するといいと思います。

布施の文脈では、自分の所有物や得た知識などを他者に分け与えることで困っている人々を助けることや功徳を積む目的で布施をすることは功徳行為です。

世間一般での「困っている人を助けよう」というボランティア行為や、宗教的な意味での「お布施をすると功徳になる」「功徳を積むと死後善い所に転生できる」と考えてお布施をすることは主に功徳行為としての布施だと言えるでしょう。

布施という行為も、ただ他の生命を助けるという目的や功徳を得る目的だけに留まらず、理性的に物事を考えて施しを行うことで物惜しみの気持ちを減らして物や知識に対する執着心を弱めて心を浄めて解脱に達する為に行えば善(クサラ)としての善行為になるのです。

功徳行為として布施を行うことは功徳になりますが、さらに理性的に巧みに善(クサラ)として布施を行う場合は功徳にもなりますし智慧が生じて解脱に達する道になるので遥かに効率が良いのです。


功徳の果報については、10マインドフル・ステップス 仏陀の次第説法③天の話で解説するテーマですので、ここでは簡単に「善い行為をすると善い結果に繋がる」と理解しておきましょう。


施しをする対象

布施をするためには相手が必要ですので、どのような相手に布施をするかで得る功徳も変わるのです。

例えば、悪人に布施する行為も功徳にはなりますが、それよりは善人に布施をした方がより優れた布施だということができます。

仏陀の教えでは、布施をする対象を五種類に分けてそれぞれの対象に布施を行うことで得られる功徳を比較して説明しています。

①心の汚れたに布施をする

②心の清らかな人に布施をする

③出家者に布施をする

④出家・在家にかかわらず、預流果以上の悟りに達した聖者に布施をする

⑤聖者の集団であるサンガに布施をする

これらの五種類の布施をする対象では、①<②<③<④<⑤の順番で布施による功徳は増大すると説明されています。

仏陀によると、「仏陀個人に布施をするよりも聖者の集いであるサンガを対象に布施をする方が功徳が大きいのです。」と説かれています。

仏陀(ブッダ:Buddha)の説かれた法(ダンマ:Dhamma)を学んで実践して伝える聖者の集いがサンガ(Saṅgha)です。

サンガの定義は様々ありますけど、布施を受ける対象という文脈では出家・在家関わらず悟りに達した方々を全てまとめて聖者の集いとしてのサンガと定義するのが適切でしょう。

一般の方々には他人の心が清いか汚れているかを判断したり聖者を見分けることは難しいので、仏教では伝統的にサンガを対象に布施をするという気持ちで個人的に関わりのある出家者や修行者に布施をすることが一般的です。

個人的での布施の功徳

仏教での布施は、施す人と施しを受ける人との間で成り立つ社会的な行為として両者の関係性に注目して説明することもできます。

①心の汚れた人が心の汚れた人に布施をする場合でも、施しという行為には結果が現れるので必ず功徳を積めます。

②心の汚れた人が心の汚れていない人に布施をする場合は、功徳は受ける側の徳の高さによって増大します。

③心が清らかな人が心の汚れた人に布施をする場合は、徳の高い人が相手の不徳を気にしないで慈悲によって布施をするので受ける功徳は大きいのです。

④心が清らかな人が心の清らかな人へ布施をする場合は、受ける功徳はいちばん大きいのです。

個人間での布施の場合は、①~④の順番で布施によって受ける功徳は増加すると説明されています。

ここまでの説明では、布施の金額で功徳が増大するという説明は一切なかったことにお気づきでしょうか?

汚れた心で欲張って大金を稼いで多額の布施して功徳を得る生き方よりは、清らかな心で理性的に判断して自分の財力や能力の範囲内で巧みな善い布施行為をする生き方の方が効率が良いというのが仏教のスタンスなのです。


仏教活動を支える土台は布施の基盤

仏陀が次第説法の一番目に布施というテーマを選んだ理由は、仏陀と出家した弟子達は在家の方々の托鉢と布施で生計をたてることで世俗的な労働や家事から離れて修行と伝道活動に専念できたという因果関係があったからです。

インド文化的な托鉢と布施の基盤がなければ、そもそもゴータマ氏は修行に専念出来なかっただろうし、正覚して仏陀になる前に餓死していてもおかしくなかったのです。

苦行時代のゴータマ氏は、餓死寸前のところをスジャータ婦人の乳粥の施食で命拾いをして修行に励むことで正覚して仏陀になったのです。

仏陀が生涯をかけて布教伝道活動に専念できたのは布施の基盤があったからです。

仏陀が布施で生活することで法施に専念することができたので、大勢の人々が仏陀の法施を受けることができたのです。

仏陀の法施を受けた人々の中から、在家の生活を離れて在家者の布施で修行に専念する出家弟子が増えて仏教の僧団ができたのです。

在家者が布施によって出家者が修行に専念できるように支えて、修行に専念して智慧を育てて悟りに達した出家者が在家者に仏陀の教えについて法施するという布施の輪によって、2500年経った現代まで仏陀の教えと実践が引き継がれてきたのです。

これらの偉業は、出家・在家関わらず大勢の人々が互いに行った布施の協力があって成し遂げられたことなのです。

現代でも、上座部仏教圏では出家して修行に専念する修行僧や一時出家やリトリートのような形で瞑想修行に専念する修行者を一般の在家者達が布施によって支えるという布施の基盤に基づいた仏教活動が脈々と続いているのです。

仏陀は既に入滅しましたが、在家者の布施によって修行に専念する修行僧や修行者が仏陀の教えと実践を法施によって次世代に継承していき、その中から智慧を育てて悟りに達する者が現れて在家者に法施を行うという仏教の布施の輪が機能しているので仏陀の教えと実践は健在なのです。

出家者の僧団を布施によって支えることや、行学に専念したい修行者が一時出家やリトリートなどに参加できる環境を作るための布施活動は仏教の伝道と維持のためには欠かせない基盤なのです。

大事なポイント

・財物を与えることだけが布施ではなく、知識や教えを与えることや、労働力を提供することやサービスを行うことも布施の一環で全て功徳になります。

・布施の功徳は金額よりも布施をする人や受ける人の精神状態や徳によって大きく増減しますので、清らかな心で理性的に判断してそれぞれの財力や能力の範囲内で巧みな善い布施を行うことが重要です。

・布施の対象としてもっとも優れた功徳となるのはサンガを対象に布施をすることです。

・布施は仏教活動を支える大事な基盤です。

終わり

今回は、仏陀の次第説法の一番目のステップである布施について説明させていただきました。

次回は、10マインドフル・ステップス 仏陀の次第説法 ②戒の説明に入りたいと予定しています。

ここまで読んで下さった方々に智慧の光が現れますようにと御祈念申し上げます。