檻の中の小さな祝福
思春期のど真ん中に居た私たちは、生ぬるく湿った空気が漂う狭い世界で、一つの神秘を目の当たりにしていた。
中学3年の時の担任の先生はどちらかと言えば無口で、生徒のことを「諸君」と呼び、他の先生たちとはあまり関わりたがらないような、長身で30代の男性だった。
変わった先生だな、と誰もが思っていた。授業はよく聞けば面白いが声が小さく早口で聞き取りづらい。ほぼ毎日配られる学級通信にはA3の紙に中学生にしてはかなり難しい内容の文章がびっしりと書かれている。
また、自身の妻のことを「同居人」と呼び「妻」という台詞は頑なに口にしなかった。
近寄り難い雰囲気はあったものの、月日が経つにつれ私たちは先生の不器用な“クラスの皆への愛情表現”を理解しつつあった。字が汚いからという理由で毎度Wordでちまちまと文字起こしし印刷して貼り付けた学級日誌の[担任の所見]をきちんと読めば分かる。あんな言葉、生徒のことを本当によく観察していなければ出てこない。
様々な行事を終えクラスの団結力も強まってきた頃のある日の終礼。そんな先生が文字通りぼそりと言った。
「実は同居人がひとり増えまして…」
騒がしかった教室は一瞬でしんと静まる。そしてひと呼吸分の静寂の後、徐々に動揺と祝福の声が上がった。「え」「マジ?」「それってつまり」「おめでとう先生!」「おめでとう!」
教師の子供が産まれましたという報告なんてよくあるイベント事だ。けれど私は、いつも無表情で無感情だった先生のその時だけ見せた柔らかな表情が今でも心に残っている。初めて先生の人間らしさが垣間見えた気がして、言葉に表せられないなんとも不思議な気持ちになった。きっと他の皆も同じだろう。拍手と歓声の中で「やばなんか涙出てきた」と笑う普段はちょっと気が強い女子生徒を周囲の生徒がからかう。「なんでお前が泣いてんだよ」「感動してんの?」「でもなんでか私も嬉しくなっちゃった」「わかる」教室の隅で私は彼女らのやり取りを横目に自分もいつの間にか涙ぐんでいたことに気付いて、慌ててそれを拭った。
教室という狭い檻の中、様々な感情が交錯する思春期真っ只中の私たちの日常で、たった一つの出来事に対して同じ気持ちになれた瞬間だった。
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