病室の窓から、春
いつも春を探している。例えばそれがイチョウ並木を吹き抜ける10月の風だったとしても、少しでも温度が春と似ていれば、春風ということにしたいくらいに。今日はなんだか春の香りがする日だ。
入院中に、たった数センチしか開けられない病室の窓から、限界まで鼻を突き出して、そうして感じた初春のほんのり冷たい空気を思い出す。4人部屋の窓際のベッドだった私は通路側のベッドの患者から「よかったら換気してくださいな」としばしばお願いされたものだ。顔も知らない、年齢も分からない、私たちの体は不自由だった。クリーム色のカーテンがすきま風で揺れて、私はそれだけで生きようと思った。
私が入院している間に冬が終わって、春が来て、春が終わって、飼ってた金魚が死んでいた。
金魚がその生涯を終えようとしている間に、私も死について考えていた。体を起こせるようになってからは、毎日日記を書いた。
3月18日(月)
病室の窓から見える、別の棟へと繋がる渡り廊下。それを挟んだ向こう側に二本の背の高い木が立っている。手前にある片方はいくつもの葉を茂らせ、その奥にあるもう片方は葉を一枚も宿すことなく裸の枝を宙にさらけ出している。薄暗い早朝の景色のなかで不気味にそびえている二本の木。
あれはまるで、まるで、生と死そのものではないか。葉の有る生と無い死。
病院という空間に身を置く人々は皆自身の、あるいは患者の生と死に向き合っている。生活に、これほどまで死という概念がまとわりつく瞬間があるだろうか。さきほど洗面所で鉢合わせた患者は虚ろな目をしていた。虚ろな目をしながら、何を考えているのだろうか。
屍のように生きている、もちろん、私だって。
ふいに、眩しい光が射し込んだ。昇ってきた太陽が枯れた枝木を一瞬だけ見えなくさせた。が、また間もなくして枝木は姿を現して、黒くて細々とした影をこちらに見せつけるように映し出す。目の前のクリーム色のカーテンには木と自分の影が映っている。看護師に内緒でこっそり開けた窓の隙間から朝の冷たい風が流れ込んで、カーテンが揺れた。
4月13日(土)
幸せな夢を見た。
痛い。苦しい。気持ちが悪い。日記帳のほとんどのページがその言葉で埋まっていた。そんな台詞を除いた日記に残ったのは春だった。痛くて苦しい地獄の隙間に吹く風は春風だった。
───ナースステーションから笑い声が聞こえる。真っ白でいやに清潔な布団を頭のてっぺんまでかぶって、けれどまだ耳に木霊する彼女らの笑い声に、苛立って、そういう地獄に差し伸べる手の体温は冷たかった。感情のない死んだ裸の木はその影をカーテンに映し出すことで私を救った。
だからまだ、春は死の匂いすらする。
幸せな夢を見たのは4月13日のその日だけだった。私はその日見た夢を一生忘れることは無いのだろう。あの地獄だった日々に射し込んだ光を、今もまだ吐き気を催すほどに気色の悪かった日々の唯一の春風を、信じ続けていたいと思う。
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