季節を感じる術

カーネーションのようなフレアースカートをまとう女性はオフィスへの出勤途中だろうか。何とかして目を開けている疲れた男性は夜勤明けだろうか。ただ歩いているだけで名も知らぬ人々とすれ違う。それを幾度となく繰り返し、今日も私はビル街を闊歩する。


家を出るときは青空が広がっていた。それが今はパラパラと雨が降っている。夏の天気は変わりやすいとどこかで聞いたような気がした。用が済んだので駅に向かおうと外に出ると、雨天時独特のむわっとした空気に包まれる。空調の効いた屋内とは大違い。湿り気と気温に日本の夏を感じた。それくらいしか都心で季節を感じる術がないのだ。

他に都心で季節を感じる術といえば、スーパーの生鮮食品売り場に行くことだと思う。いつも並んでいる食材も旬を迎えると値が下がる。今の時期はトマトやきゅうりなどの夏野菜が安価になっているだろう。それ以外に特定の時期にしか並ばないものもある。春先しか見かけない菜の花、ツクツクボウシが鳴き出す頃に並べられる梨。どちらもわたしの好物だ。旬の間にはスーパーに行くたび、それらを購入し、自宅で季節を味わっている。


地方では更に多くの季節を感じる術がある。わたしの実家は都会と田舎が入り交じったところだ。一般に地方都市と呼ばれる。そこに田畑があるのはよくある光景だと思う。少し車を走らせると山や湖もあり、自然に触れる機会は都心の子どもたちと比べるとだいぶ多いだろう。それ故季節を感じる術は気温や天気以外にいくらでもあり、スーパーなど行かなくても身近で存分に感じることができた。近所の田んぼ道を自転車で走れば、稲の様子で季節を知ることができた。田植えが終われば夏の足音が聞こえた。すっかり稲を刈り取った田を見れば心地いい秋の風を受けることもできた。冬場は遮るものが何もなく冷たい風を一身に受けて凍えることもあった。道端のシロバナタンポポを見るのが春先の楽しみだった。深緑が映える夏空が好きだった。赤や黄色に染まった山々が美しかった。寒い朝、坂のてっぺんから富士山を見ることで「今日も頑張ろう」と思えた。


今の住まいは都心から少し離れたエリアだ。ベッドタウンとでも言うのだろうか。周囲に田畑や山はほとんどなく、閑静な住宅地が広がっている。それ以外は学校や公園、個人経営の小洒落た飲食店などだ。道端や戸建ての庭先、公園など季節を感じられるところは多少ある。少なくとも都心のビル街よりは多い。通り道にある住宅には梅や朝顔、紫陽花などが植わっているところもある。それが私にとっては密かな癒しなのだ。ただ、多忙な日々の中で季節に気づき、感じながら生きることは難しいのも確かである。

次に引っ越すなら、と考えることが時々ある。新しく、設備の充実した物件がいいという希望はある。それは私だけでなく、引越しを考える人であれば多くがそう望むだろう。立地も重要な条件であると思う。駅の近く、治安がいい、通勤に便利…一言で立地と言えども多種多様である。自分にとっての好立地が他人にとって同じとは限らない。私にとっての好立地は駅に近いことはもちろんだが、都心から程よく距離があり、自然を感じられるエリアだ。公園や庭園が気軽に行ける距離ならば最高だ。これは都心部に住むことを否定しているわけではない。都心や都心が至近距離のエリアは確かに便利だ。仕事が生活の中心にある人ならば、職住近接が実現し、時間を有効に使える。ファミリー層であれば、教育の選択肢が豊富なこともメリットとなりうるだろう。それはそれで素晴らしいと思うし、1つのライフスタイルなのだ。自分に合うかと考えたときに合わないという結論に達しただけである。学生の頃は都心の高級住宅地やタワマンに住みたい…なんて夢を見たこともあるが、心からの願いではなかったのだろう。


自然と共に、季節と共に在りたいと思う。実家の両親とは折り合いが悪く、しかも閉鎖的な地域社会である。連絡をとっている同級生が沢山いる訳でもない。それでも地元に帰りたいと思わせるのは、周囲の自然や季節と共に在ることが可能だからである。そのために時々は帰省し、季節を求めてドライブする。お気に入りは素晴らしい眺望を楽しめる山のルートだ。夏はどこまでも広がる青い空に青々とした水田のコントラストが美しい。営業中の気分転換に来ていたのもここだったなと思い出す。数日間の滞在で存分に季節を感じ満たされると、また忙しなくビル街を闊歩する日常に戻る。ややワーカホリックの気がある人間からすると忙しく働く日々は充実しているのだが、季節を感じられないのは寂しくもある。


前回、地元に戻ったのは年末年始の休暇だ。5月の大型連休などに帰省しようかと考えては見たものの、この世の中である。人目を気にせず帰ることは不可能に近いだろう。帰ったところで要らぬ土産を持ち帰ってしまうリスクもある。最近のニュースを見ていても、状況がすぐに好転するとも考えにくい。それゆえ、次に帰れる季節はまだ分からない。ひとつ言えるのは、いつであっても季節を存分に感じたいということ。冬でなければお気に入りの山へドライブするだけでなく、登ってみようか。きっとこれまで以上に素晴らしい季節を感じることができるはずだから。

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