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私のほどほどはどこか?(今年の目標的な・・・)

昨年の読書の冊数は結果的に196冊だった。
200冊まであとちょっとだったわー!!という気持ちと同時に湧き上がる「いや、そんなに読んでたの?」という無自覚の読書量に対する驚き。
去年は60冊くらいでいいと思ってたんだけどなぁ・・・予定は未定。
というわけでごきげんよう。

年末年始はあまり遠くには行かなかった。
オンラインで遠くに暮らす友人と忘年会をしたり
お取り寄せした蟹をウッキウキで食べたり
年始に向けての買い出しをしたりした年末、
初詣に行ったり
行ってみたかった本屋さんに行ったり
近所で凧揚げをする子どもたちを横目にを散歩したりした年始。

そして暇を持て余した私がやることはやはり読書。
軽めの本を選んだということも相まって年が明けてからの私が読了した本は14冊。

わー、いつもより多めに読んでおります・・・。
と思っていたら15冊目でふと気付いた。
なんか文字が脳みその上をするんするん滑っていく感じがする。

意味は理解できる。
書いてあることのイメージもできている。
なのになんだかこう・・・内側に沁みこんでいかないのである。
例えるならば、水の中にどんどん塩を放り込んで溶かしていっていたのに
あるところで飽和状態になったのか溶け残ってしまって塩の粒が目視できてしまうような感じ。
私の中に入っているのに私に溶け込んでくれないのである。
なんだか頭が「お腹いっぱい」みたいな。

この経験ははじめてのことじゃない。
読書だけに限らずずーっと同じことをしていると
「あ、お腹いっぱいだな」
みたいな感じになる。
飽きるのとも少し違う。
「これ以上摂取しても今いい感じに吸収することができないな」
という感じ。

私は心の栄養も体の栄養と同じような側面があると感じている。
物事は摂取した体験(この場合読書)を咀嚼して消化して体内に取り込む。
「この右の小指はあの時食べたステーキでできているのね!」とはならないけれど
消化されて「私」になった栄養は毛細血管を使って私の隅々まで行き渡る。
それは私を支える糧になっていく。
あまりにも経験(摂取)が足りなければ飢餓状態になるし
あまりにも偏った栄養を摂取すれば体は不健康に膨らんで歩くのも億劫になる。
健やかな体や心で生きるためにはほどほどにバランスが必要なのだ。
(でも好きなものを過剰摂取しちゃうのも似てるよねぇ)

今回の読書を身体の栄養になぞらえるならば
「まだ口の中で前の物語をもぐもぐしているのに次の物語を押し込まれている状態」
という感じだろうか。
ぼーっとしてさっき読んだ物語を身体に沁み込ませる時間が足りていなかったような気がする。
他の物を新たに口に放り込まずもぐもぐごっくんしてその成分を体にいきわたらせたいのだ。

昔に比べて情報は近くにある。
テレビ、雑誌、動画、音声配信コンテンツ、ライブ配信、ネットニュース、音楽・・・
スマホはそれらすべてを見ることができるし、何といっても手軽。
私が本を読むときも紙の本もネットで読める漫画もオーディオブックも使う。
それは絶えずインプットできるということだ。
手軽で楽しい。
テクノロジーよ、ありがとう。

だけどインプットできるだけしていたら、咀嚼する余裕がなくなっている。
それはちょっとしんどい。

あー、これは別のことに時間を使った方がいいな。
ぎちぎちの頭に中に気付いたその日、出先から歩いて帰ることにした。
自宅まで約4km。ぼんやり歩くにはちょうどいい気がした。
普段ならラジオを聴きながら歩くけれど、その時は何も聞かずに歩いた。
頭が「休みたいよー」って言っている気がしたから。
多分それが今の自分の「咀嚼」で「消化」につながるような気がしたから。

頭の中はずっとこちゃこちゃしていた。
昨日読み終わった本のワンフレーズ、
あ、あそこにいる子ども可愛いな、
今日のごはん何にしよう、
明日の仕事の段取り・・・
何も解決しないまま短く小さな思考がみょんみょん頭の中を流れていく。

あらー。なにひとつ考えが纏まる気配がしないわー。
と思いながら歩いた。
小1時間かけて家にたどり着いても頭はざわざわしたままだった。

夜はゆっくり湯船に浸かった。
お風呂には何も持ち込まない。
何ならお風呂のライトも消してアウトドア用の防水ランプを持ち込んで入る。
お肌の乾燥防止のために入れた入浴剤は白く濁っていて
オレンジ色の小さな明かりはその水面をぬるーんと照らす。
冷えた体を浸せば「ぼぁー・・・」となんとも間抜けな声が出る。
出そうと思ってない、出ちゃうのよ。

頭の中に浮かぶのは
あー、オレンジー(光の色の話)
明日何着ようかなー、
ごはん、美味しかったなぁ・・・(この日の晩ごはんは鍋)
あー、湯船気持ちいい・・・

散歩した時よりも頭の中に浮かぶ情報みたいなものが減って
感覚が「今」に戻ってくるような感じがする。

そしてその日は寝る前の読書をせずに眠ることにした。
まぁ多分、明日は今日より読書が私に沁みることを祈って。
だって読みたい本が沢山控えてるんだもの!(やっぱり偏る栄養)

「年間500冊本読みます!」
みたいな人もいる。
「読むのが遅くって・・・」と言う人もいる。
500冊読んでいる人には「そんなに読めて羨ましい!」と思うし
読むのが遅いと言う人には「じっくり向き合える才能がある!羨ましい!」と思う。
人を羨んでばかりじゃん。

でもまぁ羨んだところで私は私でしかない。
私の「ちょうどいい」を探るしかない。
その「ちょうどいい」は日々変化する。
今回の私はインターバルなく読む15冊目の本で「アレ?」と思ったけれど
もっと難しい本を読んでいたら1冊の間に何度も立ち止まることが必要なこともあるかも知れないし、
似たような本を選んでいても自分の体調次第ではもっとたくさん連続して読むことができるかも知れない。

咀嚼や消化についてだって
今回の私はなるべく何も情報を得ないボーっとする時間が必要なんじゃないかなと感じたけれど
身体を動かした方がスッキリ!という時もあるだろうし
読んだものを誰かに伝えるようなアウトプットが次へ向かわせてくれる時もあるかも知れない。

自分の体調を心に耳を澄ませながら
「私のほどほどってどこですかね?」
と手探りで生きていくしかない。
その都度違うのだ。
この間と同じ人なのかしら?!と自分に対して疑いを持つほどに。

私は飽きっぽい。
そしてキャパシティが小さい。
しかも体力がない。
だけど私は私と付き合っていくしかないし、
それもまぁ悪いことばっかりでもなさそうだなとこれまでの経験で知っている。

今年の目標は私にとっての「ちょうどいい」「ほどほど」を探る。
ということだなと思っている。
ひとまず、今日はずいぶん軽くなった脳みそで積読を読もうと思っている。

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