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長年戦っていた親不知と決別したんですよね!って話。

少し前、年末の話なんだけど職場の人と
「今年、何しました?」
という話をした。
年末の風物詩。
日々はずるずると流れて行くから、こういう振り返りって
「あらー、私ったらこんな感じなのね!」
と思うことができて結構好きなタイプです。
ていうかこういう話題でもなければ自分の立ち位置がぼんやりしてしまう残念さんなのよね。

そんで振り返って最初に浮かんだのは
「今年!親不知抜きました!!!」
というもの。
もっと他にないのかい・・・?という突っ込みもありそうだけれど
私にとっては大きかった。
なんせ15年越し(もっとか・・・?)の親不知に決着をつけたのだ。

私の親不知遍歴(なんじゃそれ)は長い。

左下の親不知についてはいつ抜いたのかも覚えていない。
多分、普通にまっすぐ生えていて普通にすっぽり抜いたのだろうと思う。
だって本当に記憶にない。
何か問題があれば流石に覚えているだろうと思うのだけれど
自分の記憶力には少しも自信がないので、もしかしたら起きた問題ごと忘れているだけという可能性も捨てきれない。
とは言え覚えていないものは仕方ないので、ひとまず問題なく若かりし日に抜いたのだろうと思う。

次に生えてきたのは右下。
この親不知は厄介で、とても斜めに生えてきた。(親不知あるある)
頑張っても届かない歯ブラシの先、
噛み合わせ云々以前に埋もれているその歯が咀嚼の役に立っているとは思えない。
抜いたほうがいいのだろうとは思うものの
これを抜くには歯茎を切開して歯を砕いて・・・と中々の手間がかかるらしい。
同じような状況だった職場の先輩は抜歯後めちゃくちゃ腫れていた。
おたふくさんもびっくりだ!!ってくらい腫れていた。
怖い。
めっちゃ怖い。

15年前、当時私はサービス業に就いていて
多くのサービス業シフト勤務の正社員がそうであるように連休を取るのは難しかった。
連休が望めないというのはつまり
抜歯した翌日には腫れた顔で働く(しかも接客)ということだ。
・・・嫌だ。
めっちゃ嫌だ。

しかも私の親不知の状態は口腔外科を標榜している歯科でないと抜けるタイプではなかったようで
当時暮らしていた町にある評判のいい歯科医は口腔外科を標榜していなかった。
つまり紹介状を書いてもらってちょっと離れた町に行くしかないのである。
・・・面倒くさい。

私はこの怖い、嫌だ、面倒くさいの三重苦によりずーっと親不知退治を先延ばしにしていた。

しかしながらそうも言ってられなくなったのは10年前。(この時点で5年は放置している)
歯ブラシの届かない状況から予想はしていたけれど、ついに親不知は虫歯へと変化した。
最悪。
絶対抜かないとダメじゃん。
辛い・・・・。

と思いながら行った歯医者さんは口腔外科を標榜していた。
引っ越していたのでね、行ったところが違ったのよ。

紹介状書いてもらってー。
遠くの街に行ってー。
という過程がないってことは三重苦のうちのひとつ「面倒くさい」解消じゃん!
と喜び勇んで抜くことにしたさ。
そのために夏休みの3連休を使ったさ!!

せっかくの貴重な(マジでサービス業シフト制にとっては貴重)3連休なのに痛みに耐えるのね・・・
と思うと激しくげんなりしたけれど背に腹は代えられない。
翌日からのゼリーとかヨーグルトを買って挑んだわよ、えぇ。

抜歯はふたりがかり。
埋もれた歯を抜くために歯茎を切ったり砕いたり・・・
というところで気付く。
麻酔が効いているのに痛い。。。

そう、その頃から徐々に気付いていったんだけど
どうやら私は麻酔とか痛め止めの類が効きにくいらしい。
それなのに痛みに対する耐性が低い。
どんな地獄だよ。

何度か麻酔を足したりしつつ抜こうとしたけれど
その時結局は完全には抜くことができなかった。

上の方だけ砕いて取って
「これ以上は神経に触りそうなので蓋をしましょう」
ということになった。

「絶対とは言わないけれど随分と取ったから
 これからこの歯が生えてくる可能性は低いでしょう。
 もし生えてきたらその時また抜くことになるかもしれないけれど」
と言われた。

完全に抜ききれなかったことは残念だし
爆弾を抱えているみたいで怖くもあったけれど
これ以上は無理だ!だって痛かったし!!!
ということで納得するしかなかった。

そしてその後右上の親不知も抜いたのだけれど
これはもうスポンと気持ちよく抜いていただいた。
なんていうか下も上も右側の親不知はいい子。

そしてそれから10年。
親不知最後の刺客、右上が生えてきた。

この右上の親不知はレントゲンを見る限りずっと真横を向いていたので、長年
「この歯は生えないだろうね」
と言われていた。
なのに右上の親不知を抜いたことによって
マイ歯茎に地殻変動が起きて頭を覗かせることになった。
斜めに。

お前も斜めかよ、勘弁してくれよ。
というわけで行った新しい歯医者さん(また引っ越している)で衝撃的なことを言われる。
「右上もそうだけど、右下のが生えてきてるよ」

マジで!?
マジで言ってんの?!
あんなに苦労したのに生えてきちゃったの!?
いや、歯医者さんは言ってた「生えてきちゃうかもしれない」って。
正直「生えてきたら嫌だなぁ」ってずっと警戒してた。
はぁ・・・生えてきちゃったかぁ(絶望)

何て言ったってもうすでに半分くらい削り取られた歯である。
これを抜くとなったらまた歯茎切開したりするんでしょ?
嫌だよー。
怖いよー。

しかもここ10年で確信を持って言えるんだよ。
私は痛み止めとか麻酔の効きが弱い。
嫌だよー。
怖いよー(涙目)

しかし実感していることもある。
加齢とともに歯茎が衰えている。
(いや、衰えているのは歯茎だけじゃないんだけど)
切って抜いた後の回復のことを考えたら絶対に早い方がいい!!

というわけで一大決心をして紹介状をもらって大きい病院に行った。
担当の歯科医の方はとても美人な若い女性でお肌はピカピカだった。
歯の症状よりも基礎化粧品何使ってますか!!って聞きたかった。
(我慢した私偉い)

「麻酔とか痛み止め効きにくくて・・・鎮静剤で眠っている間に歯を抜いてもらうことはできますか・・・?」
おずおずと聞く私に
「ご希望でしたらできますよ」
と美しい笑顔を向けてくれた時はマジで女神に見えたね!!!!

近年はこの「眠っている間に抜歯」をやってくれるところはすっごく少なくなっていると聞いていたので
祈るような気持ちで聞いたのだ。
マジでほっとした。
寝てる間に済ませてくれるならもうその後の痛みには耐える!
と心に決めたもの(もっと早く心は決めておくべき)

抜歯当日、麻酔科のお医者さんが準備しながら
「緊張してますか?」
と聞いてくれて
「えぇ・・・とても・・・」
と返すと
「大丈夫ですよ。寝ている間に終わりますからね。最初から最後まで私は傍にいますからね」
と優しく笑ってくれた。
この病院には女神がふたりもいる・・・(涙目)

目が覚めたらまぁそれなりに痛かったのだけれど(麻酔効いてるはずなのに)
砕けた歯を貰って夫の人の運転する車に乗せてもらって帰った。
帰ってアイスノンを頬に当てながらころりと横になっている間に
夫の人は処方された薬を貰いに薬局まで行ってくれた。
夫の人は私の送迎のために半休取ってくれたのである。
感謝しかない。
みんなに支えられて私は親不知を卒業します!!と心の中だけで叫ぶ(だって喋ると痛いから)

その後私の顔面は盛大に腫れ
おしゃべりな私が無口になるほどだったけれど
それも3日後くらいからは徐々に引いていった。
ピーク時は
「瘤取りじーさん爆誕!!」
とか言って笑おうとするもそもそも笑うのが痛くて涙目だった。。。

想定してなかったのは
腫れたところに当たるマスクのゴムは結構痛いということ。(コロナ禍の弊害)
それから10日くらい腫れてて
「腫れが引いた時に皮膚のたるみが進んでいたらどうしよう・・・」
というアンチエイジングが気になるお年頃ならではの悩みがあったということだろうか。

そんなこんなで最後の2本の親不知をやっつけた2022年の私!
マジでお疲れ!!
長年の戦いに終止符を打ったわ!!!
という気持ち。

というか抜いて初めて知ったのよ。
親不知、思ってたより気になってたんだなぁって。

親不知に限った話じゃないけど
「あれ、本当は気になってるんだよねぇ・・・」
と思いながら先延ばしにしているのって結構ストレスだ。
しかもその引っ掛かってることがあるゆえに手を出せない別のことがあったりする。

今回私は親知らずをやっつけたことによって
定期的に歯科検診に行く
ということができるようになった。

歯科検診は大事だと知ってはいるものの
「行ったらきっと親不知について何か言われる・・・」
と思うと億劫で億劫で行きたくなかった。

だけど親不知退治後の今は3か月に1度検診に行って
クリーニングと歯磨き指導を受けている。

歯石が溜まる前に落としてもらえば虫歯のリスクは低くなるし
自分の歯の形を踏まえて上手く磨けていないところを教えてもらうのはためになる。
今後も続けていきたい習慣だ。
だって加齢とともにメンテナンスが大事になっていくじゃん。
そして年を重ねてもやっぱり病院ってちょっと怖いじゃん。
だからこそ悪くなる前にできることはやっておきたい・・・と思う。
(できる範囲で)

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