映画感想:私はゴースト(ネタバレ有り)
普段はあんまり上映中の映画以外の感想を書かないのだが、この映画を観て、ちょっと感想を書きたくなったので、まとめることにする。
まあ、つい最近退職して時間が余っているということもあるのだが。
この映画、アマプラ見放題に入っていたので何気なく見たのだが、凄まじい恐怖を突き付けられた。
人間、誰しも一度はこう考えたことがあるだろう。
死後、一体どうなるのだろう?
天国と地獄、どちらかに行く?幽霊になり、この世を彷徨う?成仏する?
人によって考え方は違うだろうが、僕はこう思っている。
天国と地獄?そんなもんねえよバーカ!
人間は死んだら虚無になるだけだ!
僕は天国と地獄なんて一切信じていない。人間は死んだらただいなくなるだけ。意識が虚無になるだけで、幽霊なんてものは存在しない。
お前、趣味で幽霊の出てくる怖い話を書いてるじゃねえか!と言われるかもしれないが、それはそれ。フィクションの話だ。
ともかく、僕は死後の世界なんてものはないと考えている。同じような話だが、因果応報や生まれ変わり、転生なんてものもバカげたものだと考えているのだ。
死んで次があると思ってんのか!バーカ!
それが僕の持論である。
ところが、そんな考え方をしていた僕に、
じゃあ見せてやるよ、お前の考える死生観。
と、真っ向から恐怖を突き付けてきたのがこの映画なのだ。
この映画はまず、立派な屋敷で一人の少女が慎ましく生活しているところから始まる。
眠りから覚め、卵を焼き、買い物に出掛けて、屋敷を掃除する。
それを延々と繰り返している。場面はひたすら屋敷の中。ところが、時折不穏な場面も差し込まれる。突然ナイフを振りかぶったり、物音が聴こえたり・・・。
やがて、それは声となって語りかけてきた。声の主は自分を霊能者だといい、あなたはこの屋敷に憑りついた幽霊なのだと教えてくれる。
「そんなはずない。何不自由なく生活しているし、外にだって出掛けたわ」
「それは生前の記憶を追体験しているだけよ」
「・・・そんなはずない!私は生きてるのに!」
「外へ行ってはダメ!」
慌てて少女は外へ出ようとするが、玄関のドアを開けると、そこにはどこまでも続く真っ暗な虚無が広がっていた。叫んでも叫んでも、音すら響かない。上下左右もない、真っ暗な虚無が。
「あなたはきちんと成仏しなければならない。ただ消滅するのではなく、あなたの因果を解かないと」
そう霊能者に言われ、少女は生前の記憶を思い出そうとしていく。(ここのパートは面白い。過去に囚われた少女と今を生きる霊能者が過去の事件を調べつつ、真相に近付いていく)
その内、自身が幽霊と自覚した少女は、屋敷の中を徘徊する自分を目撃するようになる。霊能者曰く、自覚したから自分という存在を客観視できるようになったのだと。そこまでくれば、後は因果を解くまであと少しだとも。
そしてとうとう少女と霊能者は真相に辿り着く。
少女ははるか昔の時代に、解離性同一性障害を患っていた。いわゆる多重人格者だったのだ。それを悪魔憑きだと思われ、父親から悪魔祓いをさせられていたが、父親の亡き後は母親から見捨てられ、屋敷に取り残されてしまった。妹がいたが、もうひとつの凶暴な人格が妹の首を絞めたことがあったため、妹も母親に着いて行った。
ひとりになった少女は、自殺を図って死んだ。
少女は多重人格、もうひとつの悪魔のような人格のせいで、家族から見放されてしまった悲しい存在だったのだ。
とうとう自分の因果に辿り着いた少女だったが、霊能者は、
「もうひとりの自分、悪魔のような人格も共に成仏しなければならない。ひとつの肉体に宿ったふたつの魂、一緒でないと成仏できない」
という。
恐る恐るもう一人の自分と対面すべく、屋根裏部屋に向かうとそこから、全裸の白塗り大男が襲ってくる!(文章にすると間抜けだけど怖い!)
時折、記憶の片隅に蘇っていたその白い大男は、少女のもうひとつの魂、凶暴な悪魔の人格だったのだ。
「俺は、お前に嫌な記憶を押し付けられた!解放されたくて自殺を図ったのに、屋根裏部屋に閉じ込められて、散々だ!お前に償いをさせてやる!」
と息巻いて、追いかけてくる大男。少女は自殺だったが、それは肉体から解放される為に悪魔の人格がやったことであり、少女はもうひとつの人格によって殺されてしまっていたのだ。
クライマックス、なんども大男から殺される場面を追体験し、それすら客観視できるようになった少女。気が付くと、悪魔の人格も、それを追体験している。
「助けて!助けて!」
恐怖のあまり、霊能者に助けを求める少女だったが、霊能者に声は届かない。やがて、部屋は真っ暗な虚無によって蝕まれるように崩壊していく。
そう、とうとうひとつの肉体に宿ったふたつの魂は、共に因果に辿り着いてしまったのだ!つまり、成仏する時が来たのだ!
「光の方に向かえ!光の方に向かえ!」
霊能者の声が響く。何度も何度も。
「光の方に向かえ!光の方に向かえ!光の方に向かえ!光の方に向かえ!」
ところが、部屋はどんどん真っ黒な虚無に吞まれていく。光なんて一向に現れない。
「助けて!光なんてない!見えない!助けて!」
泣き叫ぶ少女。気が付くと、もう一人の自分、凶暴な悪魔の人格である大男ですらも、泣き叫んでいる。
どんどん真っ暗な虚無に呑まれていく部屋の中で、少女は必死に呟く。
「私はゴースト、私はゴースト、私はゴースト・・・」
ここで映画は終わる。
怖すぎるだろこの映画!
この映画、色々な考察をされていて、どういう意図でラストが撮られたのかは不明である。最後まで虚無に呑みこまれなかった少女は無事に成仏したのだ、と好意的解釈をしている人もいたが、僕は書いた通りの解釈をしている。
天国と地獄?そんなもんねえよバーカ!
人間は死んだら虚無になるだけだ!
そう、どんなに善良な人間も、悪魔のような人間も、死んだら虚無になるだけなのだ。
いってみれば、この映画の死生観は僕の考える死生観とぴったり同じなのだ。死後は虚無が待っているだけ。天国もクソもない。
ところが、いざそれを突き付けられてみると、僕は凄く怖くなった。
この映画は僕に、
「お前のそのスカした考え方、見せてやるよ。こういうもんなんだぜ」
と言ってきたのだ。
この映画を観た後も、僕の死生観は変わらない。だが、こうも真っ向から突き付けられてみると、どうにも居心地が悪い。
間抜けだが、天国と地獄を信じていた方がまだマシだろうか、と考えるほど、この映画は痛いところを突いてきた。
もちろん捉え方は人それぞれだし、解釈は自由なんだろうが、僕は自分の考え方を恐怖で揺さぶられてしまった。
もしも、死後、玄関のドアの外のような、最後に少女たちを呑み込んでいった、どこまでも続く真っ暗な虚無が目の前に広がっていたら?叫んでも叫んでも、音すら響かない。上下左右もない、真っ暗な虚無が・・・。
当たり前のことだが、絶対に死にたくない。
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